You Like Bohemian─小林秀雄(10)(2004)
十 批評とは世界に何かを「附加」する事
小林秀雄は、『Xへの手紙』において、批評が世界を解釈することではなく、世界に何かを加えることだと次のように書いている。
整理する事は解決する事とは違う。整理された世界とは現実の世界にうまく対応するように作り上げられたもう一つの世界に過ぎぬ。俺はこの世界の存在をあるいは価値を聊かも疑ってはいない、というのかこの世界を信じた方がいいのか、疑った方がいいのか、そんな場所に果しなく重ね上げられる人間認識上の論議に何の興味も湧かないからだ。俺の興味をひく点はたった一つだ。それはこの世界が果して人間の生活信条になるかならないかという点にある。人間がこの世界を信ずるためにあるいは信じないために、何をこの世界に附加しているかという点だけだ。この世界を信ずるためにあるいは信じないために、どんな感情のシステムを必要としているかという点だけだ。一と口で言えばなんの事はない、この世界を多少信じている人と多少信じていない人が事実上のっぴきならない生き方をしている、丁度或るのっぴきならない一つの顔があると思えば、直ぐ隣りにまた改変し難い一つの顔があるようなものだ。俺はこれ以上魅惑的な風景に出会う事が出来ないし想像する事も出来ない。そうではないか、君はどう思う。
彼は批評を世界を「整理する事」、すなわち世界を解釈することから、何かを世界に「附加」することへと移行させる。批評とは「人間がこの世界を信ずるためにあるいは信じないために」世界に何かを「附加」することである。その何かがオルタナティヴにほかならない。
小林秀雄は、『読者』において、そのオルタナティヴがいかに生み出されるかについて次のように意識している。
「週刊誌ブームについて意見が聞きたい」
「週刊誌は、今、幾つくらい出ているのですか」
「五十ぐらいはあるでしょう」
「なんだ、それっぽっちか。二百ぐらいになるといいと思う」
「マス・コミによる文学の質の低下というものをどう考えるか」
「質は、逆に向上すると思う。電気洗濯機を見たまえ」
「冗談は止めてもらいましょう」
「僕は、真面目に君に聞いているのだ。君は、何故ジャーナリストとして、そんな風に、読者というものを見下しているのですか」
「僕は文学者としてのあなたの意見を聞いているだけです」
「無論、そうでしょう。私は話をはぐらかしてはいない。文学者だって、文学の進歩が考えられる限り、売り込み競争が烈しくなればなるほど、品質もよくなると考えるべきだと思うのです。それとも、文学を向上させる、何か他に名案でもあるというのか。野球選手は何によって向上したのだ」
週刊誌ブームが、現代日本文化の病気であると考えるのは勝手であろうが、それが、ただ医者の見立てでは語らない。自ら患者になって、はっきりした病識を得てみなくては詰らない。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、むしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する、一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。それが、シチュアシオンの感覚だと言っていい。私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている。例えば、戦前派だとか戦後派だとかという医者の符牒を信用した事はない。
裾野が広くならなければ質は向上しない。少数精鋭などありえない。「マンガがとても豊かな娯楽性を発揮して、大衆文化として根づいているとすれば、先鋭的な表現と定型的な表現とが互いに完全に分離しないで、交流しながら発展しているからだろうと考えられます。おうおうにして批評家やマニアがバカにしてしまうような作品、どこを読んでも同じような類型的な作品がたくさんあることによって、初めてマンガ文化全体が豊かなダイナミズムを持ちうるのです。『いいマンガ』、『優れたマンガ』、『先鋭的なマンガ』のみを評価して、『くだらないモノ』は排除するという発想でマンガをとらえると、自分で自分の首をしめるようなことになりかねません」(夏目房之介『マンガはなぜ面白いのか』)。
Color me your color, baby.
Color me your car.
Color me your color, darling.
I know who you are.
Come up off your color chart.
I know where you're coming from.
Call me on the line.
Call me, call me any anytime.
Call me, my love, you can call me any day or night.
Call me!
Cover me with kisses, baby.
Cover me with love.
Roll me in designer sheets.
I'll never get enough.
Emotions come, I don't know why.
Cover up love's alibi.
Call me on the line.
Call me, call me any anytime.
Call me oh my love.
When you're ready we can share the wine.
Call me.
Ooh, he speaks the languages of love.
Ooh, amore, chiamami (chiamami).
Oo, appelle-moi, mon cherie (appelle-moi).
Anytime, anyplace, anywhere, anyway!
Anytime, anyplace, anywhere, any day, anyway!
Call me my love.
Call me, call me any anytime.
Call me for a ride.
Call me, call me for some overtime.
Call me my love.
Call me, call me in a sweet design.
Call me, call me for your lover's lover's alibi.
Call me on the line.
Call me, call me any anytime..
Call me.
Oh, call me, ooh ooh ah.
Call me my love.
Call me, call me any anytime.
(Blondie “Call Me (Theme From ‘American Gigolo’ Version)”)
小林秀雄は「くだらないモノ」、すなわちパンクの重要性を認めている。「いい」、「優れた」あるいは「先鋭的な」作品だけを評価してきたわけではない。パンクを見つけることで、彼の批評も活性化し続けている。彼は最初からメインストリームにいたわけではない。オルタナティヴ・シーンからメインストリームにやってきたのであり、彼の批評もまたオルタナティヴな領域に属している対象をメインストリームへとつれてくる。オルタナティヴを従来のメインストリームとして認定することもないけれども、マイナーなままにしておかない。「洗練されない“生”のままのフィーリングや“自由”」を奪わないように、『私小説論』において、スリップストリームの必要性を訴えていた通り、小林秀雄は変流文学を指向していたのであり、正真正銘のパンクにほかならない。
考えてみれば、ぼくが子供のころに育った、戦前の宝塚文化なんてのは、レビューやショーは、フランスやアメリカのマガイモノだった。エノケンがジャズを歌った、戦前の浅草文科だってマガイモノだった。
むしろ、マガイモノであるからこそ、そこに一つの世界を作って、文化となりえたのだろう。それが、カーネギー・ホールまで行ってしまったら、ホンモノ志向がすぎる。
ぼくの好みをさしひいて、なるべく文化論的に見たいのだが、ホンモノというものは公認の価値を志向しているだけで、新しい文化価値を生み出すのは、A級よりもかえってB級文化のような気がするのだ。
形をA級にしたところで、せいぜいが既成のA級に伍してとの自己満足程度で、そのA級文化だって最初はB級文化だったのだ。映画の『アマデウス』のおもしろいところは、モーツァルトのオペラをB級文化風にとらえていることだった。
むしろ、B級文化の渦のなかから出てくるものが、時代を変える。帝劇よりも浅草オペラ、名のだ。
光るものは、B級のなかでも光る。A級にまじったところで、光らないものは光らない。B級文化が繁栄している時代というのは、文化的に成熟した時代だ。ぼくの好みはB級でぼくの時代がやって来た。
(森毅『B級文化のすすめ』)
〈了〉
参照文献
小林秀雄、『小林秀雄全集』全十四・別二・補三、新潮社、二〇〇〇~〇二年
同、『小林秀雄初期文藝論集』、岩波文庫、二〇〇二年
同、『考えるヒント』、文春文庫、二〇〇四年
井上一馬、『アメリカ映画の大教科書(下)』、新潮選書、一九九八年
海野弘他、『現代美術』、新曜社、一九八八年
黒澤明、『蝦蟇の油―自伝のようなもの』、同時代ライブラリー、一九九〇年
坂口安吾、『堕落論』、角川文庫、二〇〇七年
ハリー・サムラル、『ロックのパイオニア』2、深津和訳、東亜音楽社、一九九六年
鈴木道彦、『プルーストを読む―「失われた時を求めて」の世界』、集英社新書、二〇〇二年
スポーツグラフィック・ナンバー、『豪打列伝』、文春文庫ビジュアル版、一九八六年
竹田青嗣、『世界という背理―小林秀雄と吉本隆明』、講談社学術文庫、一九九六年
夏目房之介、『マンガはなぜ面白いのか』、NHKライブラリー、一九九七年
森毅、『世紀末のながめ』、毎日新聞社、一九九四年
『小林秀雄―はじめての/来るべき読者のために』、KAWADE夢ムック、二〇〇三年
DVD『エンカルタ総合大百科』、マイクロソフト社、二〇〇四年