見出し画像

武者小路実篤 友情

この本を初めて読んだのは、中学生の夏休みだった。

とにかく衝撃的で、驚いて、母に読了後の感想を語りながら夕食を食べた記憶がある。

その時何を感じたのかはっきり覚えてはいないし、当時の感想はほとんど忘れた。
(確か日記に感想を書いたのだが、数年前に処分してしまった)

それでも、この本は特別な一冊だった。

表紙を見るだけでドキドキして、絶対に手放してはいけないという思いに駆られた。
大学で家を出た時からずっと、引越しを繰り返しても手放さずに持っている。

その本を、久しぶりに読み返した。

初読、当時中学生の自分にはかなりの衝撃だった

前述の通り、中学生の私が読んだときに感じたことは、あまり覚えていない。
ただ、ものすごく衝撃を受けた、というインパクトは残っている。

友情とは、男女の恋愛とは、人が生きていく上での人間関係とは、何か。

当時私は女子中学に通っていたので、先生以外の男性(男子)を知らなかった。なので、この本に書かれていることがそのままそっくり年頃の男子たちにも当てはまるのだろうか・・・と疑問に思いつつも、男性の堅い友情と恋愛の複雑な関係に、感銘を受けた。
そんなことを、ぼんやりだけれど覚えている。

初読時には、杉子が初めて大宮と出会った年だったのだな、と思うと、私の少女時代は彼彼女たちに比べて、非常に薄っぺらな気がしてしまう。
杉子のような素直さも、奥ゆかしさも、情熱も、私の少女時代にはなかった。
それが少し悲しく思えた。

いつの間にか、野島の年齢も大宮の年齢も越していた

読み返すと、初読の時は主人公である野島に感情移入しながら読んでいたことに気付いた。歳の近い同性の杉子ではなく、年上の性別も違う野島に感情移入しながら読んだのは、自分とはかけ離れた存在であるからこそ、本の世界=ファンタジーだと思って読まなければ理解できなかったのだろう。

2回目の今回は、果たしてどうであったか。

野島にも大宮にも杉子にも、そして武子や早川など3人を取り巻く個性豊かな登場人物一人一人を生き生きと感じ、どの人物にも入り込みつつ入り込みすぎず、この物語の世界を俯瞰して読めた。

成人し、社会にもまれ、いろいろ経験した今だから、各人物をよりリアルに感じられたし、野島と大宮の友情の深さも、野島の杉子に対する恋心も、野島と大宮の本当の友情についても「ファンタジー」ではなく、この世のどこかに存在するリアルな人間関係として感じた。

人生経験によって、ファンタジーだったモノが現実に近いモノになった。

自分の経験を無意識に投影しながら読んでいたのかもしれない。

すっかり忘れていたのだけれど、過去、好きになった男の子と親友が交際することになったことを思い出した。
ただ、私は野島が大宮にしたような相談は一切しておらず、心の奥底に隠していたので、彼女は今でも私の密かな失恋を知らないだろう。

一方的な片思いを思い返すと、まるで野島のようだったなぁと思う。

野島のような片思いをした人は、多いと思う。

果たして彼は本当の意味で杉子を好きになっていたのだろうか。
そんな疑問も生まれた。
このことについては、読んだことのある人と議論してみたい。

仕事で悪評を叩かれたこと、友情に支えられたこと、読みながら忘れていたことをありありと思い出したりもした。

同じように野島に感情移入しても、中学生の頃とは全く違う世界が見えた。

杉子の苦しみも、当時はわからなかった苦悩を感じることができた。

私は鎌倉の海辺で悩む3人の男女の心を行き来し、自分の経験したことのない青春を、もう一度経験した。

これが、人生で何度も読み返す本なのか?

「とっておきの1冊」とか「無人島に持って行きたい本」というテーマで紹介されている本は、大抵「何度も読んでいるけれど、飽きない」とか「読むたびに違う発見がある」とか「その時の自分が置かれている状況で、全く違う本に感じる」という感想が添えられていたりする。
もしかして、この本は私にとってのそういう本になるのかな?と思った。

今の生活がいつか変わるかもしれない。
何か大きな経験を積むかもしれない。
その時に読み返したら、また違う物語に感じるかもしれない。

それがいつ来るか、そしてこの本をまた読み返すことがあるか、今はわからない。

ただ、このタイミングで読んでよかったなと思う。

そして私が思うのもおこがましいけれど、
いつまでも、青春の一冊として読み継がれて欲しいなと思う。


武者小路実篤 友情


この本に出会えて、本当によかった。


当記事のリンクはAmazonアソシエイト・プログラムを利用しております。

この記事が参加している募集

励みになります。