「生きるぼくら」から倫治さんに繋がった話
父からの推薦図書
「この本読むといいよ。」実家の父から一冊の本を勧められた。
「生きるぼくら」原田マハ
引きこもっている24才の麻生人生が、壮大な八ヶ岳が見渡せる緑豊かな場所で暮らす中、少しづつ変化していく話。
物語の始めの人生は、もろくて壊れてしまいそう。
人生にとっての「米」とはコンビニのおにぎりであり、
「食べること」とは、味気ないおにぎりを機械的に流し込むということ。
なんとも印象的な一文。
人生は、ばあちゃんとご近所さんたちに支えられながらコメ作りへの挑戦を決意。
ばあちゃんの田んぼは、昔ながらの自然の田んぼ。
手間はたくさんかかるが、薬を使わないから様々な生き物たちがちゃんと食物連鎖をしている。
「ヒト」だって生き物であり、自然の一部だ。
自然の一部のヒトとして、機械ではなく「ヒトの手」だけで、お米の成長を支えていく。
稲も、田んぼにいるミミズやカエルも、ヒトも自然の中で繋がりあい、みんなで生きている僕らなんだ。
うんうん。
この繋がりあっている、共存している感じ、家の裏山に入る時のことを思い出した。筍や山菜、梅や柑橘を採りに季節を通して裏山に入る。
山を歩く足の裏の柔らかい土の感触、林のにおい、
優しくほおに触れる風、
響く鳥の鳴き声、
葉っぱ同士が触れる音、
私の五感がそれらをフルに感じている。
同時に自分という人間も生き物であり、この自然のサイクルの一部なんだな〜という感覚が沸く。
それは都会で暮らしていた頃は、湧きにくかったのかもしれない感覚。
この自然の流れの一部に身を任せることが、自然なナチュラルなことであり、そう思うといろんなことをLet Go(手放す)することが出来、流れに身を任せればいいのさ〜という気持ちになる。
それは時に、モヤモヤしていた不安や心配が解けたり、今一度大事なことを思い出させてくれたり、自分のブレそうになっていた軸を戻してくれるようなそんな感覚でもある。
ヒトも生き物で自然のサイクルで繋がっている。生きるぼくらなんだよ。
私には、こんなメッセージとして響いてきた。
東山魁夷と奥田元宗
本の中に、東山魁夷の御射鹿池の絵、「緑響く」が出てくる。
東山魁夷は、どんな絵を描くのだろう?とネットで検索した。
以前に山種美術館で開催された、
「東山魁夷の青・奥田元宋の赤 ―色で読み解く日本画―」というサイトにたどり着いた。
東山魁夷の描く緑や青を基調とした絵画を見ながら、キレイだな〜生で見てみたいな〜〜と思いながら、ゆっくりとクリックを続ける、すると赤い渓流の絵で指が止まった。
一緒に絵を見ていた夫と、「この絵、すごいね。」っとしばらく見入っていた。
燃えるように鮮やかな渓流の絵。
赤、オレンジ、黄色、カラシ色、色んな鮮やかな色がそこにはあった。
「奥田元宗 奥入瀬の秋」とあった。
随分前に夫と奥入瀬渓流を訪れた時のことを思い出す。
その時は、4月の奥入瀬だった。
山から流れる水は透明度が高く、清らかで緩やかに流れる渓流だった。
その一帯の緑は芽吹き出したばかりで美しく、瑞々しい自然に癒された。
あの奥入瀬渓流の紅葉の絵なんだ。
あまりに印象的な絵だったので、その絵を描いた奥田元宗について調べた。
すると、、、
奥田元宗 出身:広島県三次市吉舎町 明治45年・1912年 生まれ
あれま!私の父方の祖父と同郷!
私の祖父 出身:広島県三次市吉舎町 明治43年・1910年生まれ
同郷で二つしか、変わらない😲!
。。。。待て待て、、、、
私の脳みそが目まぐるしく回り出す。。。
数年前父方の本家を吉舎に尋ねた時、親戚のおばさんと私たち家族は、とある美術館でランチをした。そのランチの場所が、奥田元宗の美術館であったということを、恥ずかしながら私はすっかり忘れていた。旅行は大人数であったのと、スケジュールが過密すぎてゆっくり美術館の展示を見る余裕もなかった。
ただ、そのランチ中の会話は、覚えている。
おばさんが、
「あなたのおじいちゃんのお兄さん、倫治さんはこの美術館を立てた奥田元宗さんと知り合いで、よくしてもらったそうよ。」
私は、おじいちゃんの兄、倫治さんには会った事はない。でも、倫治さんの話は聞いている。一番上のお兄さんで、倫治さんは宮大工であり木彫りもやっていたそう。観音様を掘ったり、弟(私の祖父)が出征するときは木彫りの兵隊人形も贈っていた。
ここで繋がるとは!!!!
興奮しつつ実家に電話をかける。
母にこれまでの経緯を伝える。
父から勧められた本を読み、その中の東山魁夷の絵から奥田元宗へと導かれ、そしておじいちゃんの兄、倫治さんへとぐるっと繋がったことを。。。
母は、もちろん倫治さんと奥田元宗さんが知り合いだったことは知っていて、奥田さんの展示会にも行ったことがあるそう。奥田さんのこだわる赤についても、よく知っていた。
そして、私は母の前で宣言した。
「次、吉舎に行く時は、必ず奥田さんの美術館を見るんだ。」っと。
私は一人で勝手に不思議な導きみたいなものを感じていた。
全く違うところから無意識にただ導かれて、こんなふうに繋がることもあるんだな〜。
なんだか不思議、そして、世界は狭いんだ〜そんな感覚だった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?