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仮面

人は意識的に、または無意識のうちに仮面をかぶっている。体のいい言葉で言えばその役を演じている。良き夫、良き妻、良き親、良き教師、良き上司、良き友。ぼっちではなく、人間社会で生きていくためにはこの処世術は必須である。テレワークのおかげで、人との接触機会が減りそんな役を演じることも少なくなった。コロナが終わって出社してからまたこの仮面をかぶらなければならないと思うとちょっとだけ憂鬱になる。剥がれた化けの皮の下にある本性を晒し、悪魔を見るような目で見られはしないか。

先日、妻が義理の娘に噛みつかれたと血相を変えていた。化けの皮が剥がれたのか?おそらく毒舌を履いたと思われるちょうの本人はそんなつもりは無かったのだろう。言っていることは立場を考えれば理にかなっているようにも感じる。まあぁ、あれは理屈よりも感情が先行していて我慢ならなかったのであろう。嫁姑の問題はどこにでもある。仮に化けの皮が剥がれて本性が現れていたとしても、変わった子だねと受け流せばよいだけのことである。っと心のなかで思うがそれを口にすると話がこじれる。「あんたはどっちの味方なんの!」っと激昂されそうだ。

良くないのは、娘とのやり取りがラインなどの電子データ交換であることだ。これはまずいなぁ、文字は削除しなければ永遠に残るし目に触れるの。「幸福について」の中では、気に入らないことは心のなかでさえ反芻してはならないと言っている。その度にムカつくぅ〜!っとなるからである。まだ電子メールツールなどが世の中に広まっていない頃、言いたい文句をわざわざ手書きのメモにして相手の机の上においておくといって世にも恐ろしい同僚がいた。その上司は事あるたびごとに説教していたようだがその悪習は止まらなかった。そして、電子メールが世に出始めてからは紙が電子に変わり転送が可能になったのだ。最低最悪だ。

こんなことを書いていると、ふと昔のことを思い出した。悪い思い出である。同僚ではなく上司にメールで出張報告をしたところ、返信に指導とは思えない批判文を長々とフォントの色を赤くして送り返してきた。自分だけではなく出張した同僚にもだ。もう四半世紀ほど前、俺の会社の話だ。こういったことを思い出し、糞ってムカつくことは避けたい。避けることが幸福につながるのだ。

「幸福について」つづく。

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