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星新一と星一:星薬科大学・歴史資料館

いま私が生きて存在しているのは、父のおかげである。それは、父の父のおかげでもあるのだ。

『明治・父・アメリカ』

星新一(ほし・しんいち、1926年~1997年)…小説家。本名は同じ読みで漢字の異なる、星親一。父親は、実業家で星薬科大学の創立者の星一(ほし・はじめ、1873年~1951年)。

『明治・父・アメリカ』は、星一の前半生を星新一が描いたノンフィクション。

星一の後半生を星新一が書き綴ったノンフィクション『人民は弱し 官吏は強し』もある。

星薬科大学にある星一先生之像

画像は、東京都品川区荏原の星薬科大学にある星一先生之像。歴史資料館もある。

星新一はSF作家として有名であり、非常に短い小説つまり掌編小説の名手で「ショートショートの神様」と呼ばれる人物。自分としては、読書の楽しみを教えてくれた人物でもある。

最相葉月(さいしょう・はづき、1963年~)の『星新一』という作品が、星新一を知るのには非常に最適な一冊である。副題は「一〇〇一話をつくった人」。星新一の詳細な生涯を辿ったノンフィクション作品。もしかしたら初心者には、ハードルが高いかもしれないが、ファンであれば必読の書ではある。

星新一は、SF作家として有名であり、短編のドラマとして映像化も多々されている。だが、あまり一般的には知られていないが、ノンフィクションも手掛けている。それが先に挙げた父親・星一の前半生を描いた『明治・父・アメリカ』などの作品である。

星一という人物はどの程度、世の中に知られているのだろうか。

星薬科大学にある星一先生之像

星一は、福島県いわき市の出身。1894年に東京商業学校(現在の東京学園高等学校)を卒業して、アメリカのサンフランシスコへ。1896年にコロンビア大学に入学。1901年にコロンビア大学政治経済科を卒業し、修士号を取得。1905年に日本に帰国。
1911年に製薬会社である星製薬を設立。胃腸薬やマラリアの特効薬キニーネの製造で大きく発展し東洋一の製薬会社とも呼ばれる。この星製薬の社内の教育部が、時代を経て、現在の星薬科大学の母体となる。
実業家でありながら、政治家としての活動も行なった。概要としては、このような感じである。

ただ星一の後半生が描かれた『人民は弱し 官吏は強し』を読む限り、かなり国や行政というか、お上に虐げられている。無理難題を吹っ掛けられているような雰囲気である。これは性格的に曲げられない部分が星一にあったがために、問題がより大きく複雑にこじれてしまったような気がしないでもない。時代の趨勢や人間関係の流れなどもあり、致し方無いとも言えるけれど。

ちなみに、星薬科大学には歴史資料館がある。

星薬科大学の正門
歴史資料館の入口

先ほど少し説明した星薬科大学の歴史をはじめ、関連した人物や品物などを解説、展示している。大規模ではないけれど、かと言って小さく一角にまとめられた感じでもない。中規模と小規模の間といった感じだろうか。ただ過大な期待は禁物だけれど。星薬科大学、星製薬、星一などに興味のある人にはオススメである。

正門を入って少し進んだ左手側にある受付で記名をすると一般の人でも無料で入館できる。受付では、首からぶら下げるためのVisitorのカードと、歴史資料館を解錠するためのカードを渡される。歴史資料館は、受付の反対側に位置している。つまり正門を入って右手側に歴史資料館がある。

星一は「親切第一」を重要な理念として掲げていた。その「親」と「一」から、息子に「親一」と名付けるほど。既述ではあるが、作家・星新一の本名の表記は「星親一」である。ちなみ「親切第一」が揮毫された額も歴史資料館には展示されていた。

星新一は、父親のことだけではなく、父親と交流のあった人物たちのノンフィクションも書き上げている。それが『明治の人物誌』である。

教育者の中村正直(なかむら・まさなお、1832年~1891年)、細菌学者の野口英世(のぐち・ひでよ、1876年~1928年)、実業家の岩下清周(いわした・きよちか、1857年~1928年)、政治家の伊藤博文(いとう・ひろぶみ、1841年~1909年)、教育者の新渡戸稲造(にとべ・いなぞう、1862年~1933年)、発明家のトーマス・エジソン(Thomas Alva Edison、1847年~1931年)、実業家の後藤猛太郎(ごとう・たけたろう、1863年~1913年)、弁護士の花井卓蔵(はない・たくぞう、1868年~1931年)、政治家の後藤新平(ごとう・しんぺい、1857年~1929年)、政治運動家の杉山茂丸(すぎやま・しげまる、1864年~1935年)といった明治に活躍した人物たちの評伝集。

この人々を貫くのが星一である。この作品も非常に面白いのでオススメである。同じ福島出身でアメリカに渡った野口英世の支援者であったというのは、かなり興味深い事実である。あとは、本筋とは異なるが杉山茂丸の息子は作家の夢野久作(ゆめの・きゅうさく、1889年~1936年)である。

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