尾崎放哉:鳥取駅前
尾崎放哉(おざき・ほうさい、1885年~1926年)…自由律俳句の俳人。本名は、尾崎秀雄(おざき・ひでお)。鳥取県鳥取市の出身。
画像は、鳥取県鳥取市の鳥取駅の北口にある尾崎放哉の句碑。周辺には複数の句碑がある。
尾崎放哉は、現在の鳥取県鳥取市の吉方町に1885年に生まれて、翌1886年に同じ市内の立川町に転居。1902年に鳥取県第一中学校を卒業、上京して第一高等学校法科に入学する。17歳まで鳥取で過ごしたことになる。1899年には俳句をつくり始めていたとか。
尾崎放哉を知ったのは、種田山頭火(たねだ・さんとうか、1882年~1940年)を知ったのと同時期である。
ちなみに種田山頭火について深く関心を持つようになったのは、中原中也(なかはら・ちゅうや、1907年~1937年)が切っ掛けである。
尾崎放哉と種田山頭火は、同じ師について自由律俳句の技術や感性を磨いていった。その師とは、荻原井泉水(おぎわら・せいせんすい、1884年~1976年)である。
先に種田山頭火にハマって、その後に尾崎放哉にハマっても何ら問題はない。でも尾崎放哉のエリート街道と、その没落のあまりにも明確な優等生的な筋道と、そこはかとなく漂う陰の気が、少し距離を置かせた。
その後、尾崎放哉に改めて興味を持たせる事になる作品に出合う。ヨルシカというバンドの作品「思想犯」である。
「思想犯」というタイトルは、イギリスの作家ジョージ・オーウェル(George Orwell、1903年~1950年)の小説『1984』から。ただし、その歌詞は、”春のやまのうしろからまた一つ煙が立つ”や、“入れ物がない両手で受けて”など、尾崎放哉の俳句と晩年をオマージュしたものである。
そもそも私は文学好きよりも前に音楽好きである。Jポップから始まり、フォークやロック、パンク、メロコア、パワー・ポップなどを聴き漁り、邦楽だけでなく多少は洋楽も通ってきた。趣味でギターもベースも弾く。さらにヨルシカのライブにも二回ほど行っている。
ヨルシカは、文学作品をモチーフにした楽曲も多数ある。分かりやすいものは、「又三郎」「老人と海」「月に吠える」「斜陽」など。それぞれ、宮沢賢治(みやざわ・けんじ、1896年~1933年)、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway、1899年~1961年)、萩原朔太郎(はぎわら・さくたろう、1886年~1942年)、太宰治(だざい・おさむ、1909年~1948年)の作品名と対応している。
文学好きな人にはオススメのアーティストである。
話を尾崎放哉に戻す。
ということで、改めて尾崎放哉という自由律俳句の俳人に興味を持つ。まずは、分かりやすさを重視して、種田山頭火と並んだ雑誌と書籍を読む。『人間 種田山頭火と尾崎放哉』と、『放哉と山頭火』である。
山頭火についても復習しつつ、さらに知識を増やし、放哉についても情報を吸収していった。この二冊は結構オススメである。さらに放哉に絞って読んでみようと思ったのが『海も暮れきる』である。
多くの良質な記録文学、歴史文学を手掛けてきた小説家の吉村昭(よしむら・あきら、1927年~2006年)によるものである。丹念な取材によって詳細に組み上げられた作品。こちらもオススメである。
ちなみに、文学者たちの夫婦関係、妻たちにスポットライトを当てた『散華抄:妻でない妻』には、尾崎放哉、種田山頭火、荻原井泉水についも書かれているので、こちらも是非。とても読みやすく、彼ら以外の文豪たちのエピソードも面白い作品である。
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