見出し画像

この道より:武者小路実篤記念館

この道より
我を生かす道なし
この道を歩く。

「この道より」

武者小路実篤(むしゃのこうじ・さねあつ、1885年~1976年)…小説家、詩人、劇作家、画家。

武者小路実篤記念館

画像は、東京都調布市にある武者小路実篤記念館。実篤公園があり、旧実篤邸もある。

小説家の原田宗典(はらだ・むねのり、1959年~)。戯曲やエッセイなどでも知られる人物。特にエッセイが有名なのかもしれない。最近では、妹で小説家の原田マハ(はらだ・まは、1962年~)の方が知名度は高いかもしれない。

一時期、原田宗典のエッセイにハマっていた。活字でこんなにも面白おかしくエピソードを表現できるのかと驚いた。本を読みながら笑いを堪えるのに必死になったことは数知れず。いや、耐えられずに何度も吹き出している。

星新一(ほし・しんいち、1926年~1997年)と並んで、読書の楽しさを教えてくれた私とって特別な人物である。

原田宗典は、高校生の時に志賀直哉(しが・なおや、1883年~1971年)を愛読していたらしい。確か、その流れで、同じ白樺派である武者小路実篤についても触れていたと思う。

いつだったか、原田宗典はネット上に共同体を設立した。共同体というと仰々しいが、つまりは単純に公式のホームページを立ち上げたのである。その名前が「はらだしき村」である。同名の書籍『はらだしき村』もある。

これだけで、原田宗典と武者小路実篤の関係が分かったなら、なかなかの文学好きだろう。

1918年、理想的な調和社会の実現を目指して、武者小路実篤は宮崎県児湯郡木城町(こゆぐんきじょうちょう)に、村落共同体を創設した。その名称が「新しき村」である。

つまり、「はらだしき村」の由来は、「新しき村」なのである。

ちなみに「新しき村」は、1939年にダム建設により大半が水没するために、一部を残し埼玉県入間郡毛呂山町(いるまぐんもろやままち)に移転。2025年の現在でも、宮崎と埼玉の両地域で存続している。

というわけで、恐らく原田宗典を経由して、武者小路実篤を知ったと思う。たまたま、詩にも興味を持ち始めていたので、詩作をはじめ、絵画なども手掛ける武者小路実篤に、さらに関心を高めたのだろう。かなり、耽読した記憶がある。

最初は、詩集から読み始めたのかも。非常に分かりやすく読みやすい詩。ほぼ散文に近い韻文である。けれども単に分かりやすく読みやすいだけではなく、何か真に迫るものを感じさせる。これが武者小路実篤の筆力なのかもしれない。

あっさりとした感じは、立原道造(たちはら・みちぞう、1914年~1939年)に近く、警句的な傾向は、茨木のり子(いばらぎ・のりこ、1926年~2006年)と似通っているような気もする。

あまり小難しさがないので、詩などを読んだことがない人でも、入りやすいと思う。武者小路実篤の詩集は、詩などを読んでみたい初心者にもオススメである。

詩集から次に小説へと読んでいった。『友情』『愛と死』『若き日の思い出』『お目出たき人』『幸福者』『棘まで美し』『真理先生』。その他に評論・随筆である『人生論・愛について』も。

どの作品も美しく清らかな雰囲気が漂う。あまりにも理想主義的な感じも否めない部分もあるが。ただ、武者小路実篤はかなり正直な人物であったのだろうということは想像できる。良くも悪くも正直というか、誠実、真摯な人物は好きである。その人物が幸福なのか不幸なのかは分からないけれど。

ここから先は

708字 / 1画像
この記事のみ ¥ 300
期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が参加している募集

書籍代・資料代などの活動費に使わせてもらいます!