【読書のキロク】令和における教師の学び方を考える【自分的保存版】
こんばんは、"もっちゃん"です。
教職大学院に入学してから、ジャンルを問わずに本を読み漁る毎日です。
講義の合間の読書となります。講義で用いる教科書もあるので、Audibleも合わせると3〜4冊を並行して読んでいるような感じでしょうか。
「そんなんで内容を理解できるか!」
というご指摘もあるかと思います。
私もそう思います。
ただ、この感じは悪くありません。
講義では主に教育に関わる書籍等の文献になります。
だからそのぶん、並行して読むのは実用書だったり、小説だったり。
うまく棲み分けできるもんだなぁと、自分でも驚いています。
"マルチタスク"なんて言ってみると、少しカッコいい感じがしますね。
○今回読んだ本:『「令和の日本型」教育と教師 新たな教師の学びを考える』 日本教師教育学会編 学文社
全104ページと、非常に薄いブックレットなので、読もうと思えばすぐ読み終わるボリュームです。
⓪概要
この本の話のベースとなるのは、中央教育審議会「令和の日本型学校教育」を担う教師のあり方特別部会が出した「審議まとめ」になります。
ここに記載されていることがベースになりますので、お読みになったことのない方は、少し目を通してみても良いかもしれません。
(読んでなくても、この本の主張は十分にわかります。)
①令和の日本型学校教育のポイントだと思うこと
大前提として、「令和の日本型学校教育」という言葉について確認しておきます。(自分に対する覚書です。)
簡単に言えば、かねてからある「日本型学校教育」ですが、時代背景を受けて、それを令和版としてアップデートしていこう、というものだと思います。
GIGAスクール構想や、コロナ禍を受けて、学びの形が大幅に変わりつつあります。それを踏まえて、ここで自分としてポイントだと思っていることを挙げておきます。
(1)従来の「日本型学校教育」である協働的な学びの充実
これまで再三言われてきた「主体的・対話的で深い学び」の実現かと思います。学校という場において、授業を中心に教員が促すべき学びをより精錬していこう、ということと解釈しています。
(2)「個別最適な学び」の重視
これもかねてより言われていることかと思います。「指導の個別化」と「学習の個性化」の両輪で進めていくことになります。
教員側の視点で捉えた言葉が「個に応じた指導」であり、学習者側から捉えた言葉が「個別最適な学び」と言われています。
(3)「協働的な学び」と「個別最適な学び」の一体的充実
さらにポイントは、(1)「協働的な学び」と(2)「個別最適な学び」を一体的に充実させる、ということだと思います。
今回インパクトがあるところは(2)「個別最適な学び」の重視、と感じているのですが、曲解(誤解)されると"ただただ学習者が勝手に学ぶ”ことになりかねない、ということで、「協働的な学び」と「個別最適な学び」の一体的充実を強調している、ということでしょうか。
学習者の「学習の孤立化」とならないようにしたい、ということと解釈しています。
②「令和の日本型学校教育」における教員の学び
さて、ここからが本題です。
本書では、それを受けて出された中央教育審議会「令和の日本型学校教育」を担う教師のあり方特別部会が出した「審議まとめ」について、批判的に論じています。
個人的には第1章の東大の浅井先生の文章が、もはや痛快であり、納得させられる部分も多く、非常に勉強になりました。
今回は、その内容を詳しく紹介するわけではなく、それを読んで考えたことをつらつらと書いていこうと思います。
(1)教員の研修システムについて
教員免許更新制の廃止を受けて、新たな教員の研修のあり方が提示されました。
教員免許更新講習だけでなく、これまで行われてきた各自治体等による研修等も含めて、現職の教員の研修システムを整えていこうという流れです。
本書のスタンスとしては、これはトップダウン式であり、教員の学びを支援するというよりも、教員の学びを管理・統制するものでしかないのではないか、と懐疑的です。
自分としてはこの主張には非常に納得です。
「研修を受講すること」が目的となってしまうだけではないか、という危険を含んでいると思います。
自分の目的や必要に応じて研修を受講することができ、その履歴を残していく、というのはとても良いことだとは思います。
ただ、「それをしないと…」のニュアンスが多く含まれているのも事実かと思います。
「教員が何を学んできたのか」ということが教員の一つのステータスとなることはとても良いことと思う一方、
「教員がどんな研修を受けてきたのか」が一つの評価指標になるという、という非常に浅はかなところでとどまってしまう恐れもあると思います。
子どもたちに「学習の個性化」を謳いながら、教師の学習が個性化されていかないことは、なんとも心苦しいところです。
ただ、現場で働いていて思うこととしては、
「研修に後ろ向きな先生も数多くいる」
ということです。
法定研修を受けた際、数多くの愚痴やネガティブ発言を耳にしました。
そうした“主体的に学びに取り組み難い教員”への対応も、このシステム整備には含まれていることも承知しています。
いろいろなことがこの研修システムに課題として挙げられると思いますが、なんとか現職の教員にとって有難いシステムとして運用してもらえることを祈ります。
noteを見ていると、すばらしい実践を多々報告してくださっている教員の方々もいらっしゃいます。
そうした先生方は、このシステムの中に位置付けてもらえないのでしょうか?
(2)授業研究からの学び
私がこの章が素敵だと感じたのは、この一節があったからかもしれません。
本当にその通りだと思います。
本書では、周りの研修を充実させていきながら、この中核となる授業研究が空洞化してしまうことを危惧しています。
授業研究(会)は現職の教員からすると、一番の研修の場であるように思います。
目の前の子どもたちをどう見るか、その視点が教員として一番磨いていかなければいけないところのように感じます。
本書でもある通り、教師の学びの場はトップダウンモデルではなく、コミュニティモデルを基本とする必要があると思います。
授業研究では、全員が一つの答えを見つけ出すものとは思いません。それぞれにとって、何らかの形で学びがあり、自己の教育活動につながるのではないかとは思います。
“研修システム”と銘打って、多様な教員の学びをトップダウン化していってしまうのは少し寂しい気がします。
本書の主張に非常に感銘を受けるのは、私が田舎の公立中学校に勤めているからでしょうか。少し都会だったり、私立の学校だったりすると、少し考え方は変わってきたりするのでしょうか。
いずれにせよ私は
授業研究は教員の「協働的な学び」と「個別最適な学び」が一体的に充実している場である
と実感しています。
教員の多忙感だったり、こちらも推進していくには課題は山積されているとは思いますが、こうした方向で動いていきたいなぁと思うばかりです。
長くなってしまいました。覚書ということで、好き放題いろいろと書いてしまいました。
もし最後まで読んでくださった方がいたら、とても嬉しいです。ありがとうございます。
あくまで私見が多く含まれています、どうぞご理解ください。
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