誤診により廃人になり帰郷
■就職できないことへの焦り
リスパダールを飲み始めて二週間が経った頃、私は母親と1Kのアパートで生活していた。
なんとか身体を起こし、入浴、食事といったことをし大学に赴いて就職、卒業制作に関することをしていたのだ。
この頃服はボロボロのジャージを着ていた。
何故かと言うと自分みたいな人間がおしゃれをしたら駄目だという観念に囚われていたせいだ。
さらに、就職出来なければ死ぬしかないという焦り、不安が常にあった。
そんな状態だがデザイン事務所用の作品を少し作ったり、相談しに行ったりといったことをなんとかやっていました。
まだ薬を飲んで二週間程だったがあきらかに副作用が出て体調が悪化していたのです。
二月から試験週間になるのでそれまでに就職を決めて卒業制作も完成させなければいけないと自分を追い詰めていった。
両親に病気、薬の知識は皆無であり、日々おかしくなる私に対してとまどっていた。
■卒業制作の審査落ち
卒業制作の単位を貰うには教授の前でプレゼンをして評価してもらうのだが、私は教授の前で萎縮してしまい何も話せなかった。
問答無用で審査落ち。
その時、教授やすれ違っていく人に笑われているように感じ死にたいと思ったのを覚えている。
帰る際に廊下で助手の人に笑顔で挨拶をされたのだがバカにされたと感じ、萎縮してしまった。
その後、展示も終わり片付けをしに行った際に何人かの友人とすれ違い話しをしたのだがなんとも言えない悲しい気持ちになった。
私は卒業できないかもしれないことを親に伝えた。
■再びヤブ医者の元へ
あまりにも体調が悪く、上記のことをM医師に話すと
すぐに実家に連れ帰って下さい。私には手に負えません。
と言われた。
いや、まずおまえは診断したことに責任を持てよ
と思ったのは言うまでもない。
地元の総合病院を紹介してもらい、冬休みの二月に帰省することになった。
卒業制作に関しては教授の中に学生部長がいたので相談したら、とりあえずポートフォリオを提出してくれと言われたので実家で作ることにした。
統合失調症と誤診されリスパダールを飲み始めたった三週間で人生を棒に振るとはこの時は思いもよらなかった。
今でも帰省する際に乗ったバスを待っている時のことは覚えている。
乾いた空気、霞んだレンガ道、近くに見える動物病院、これから先ここに戻ることはもうなかった。
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