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子どもの短所ばかりが気になる時は

子どもを褒めて育てたいけれど、実際には「短所」ばかりが気になって叱ってしまう。

1日の終わりにわが子の寝顔を眺めながら「怒鳴りすぎちゃった」と落ち込んだ経験のある方も多いのでは。

引っ込み思案な長男の話

わが家の長男(年中)は、自分の気持ちや意見を伝えるのが苦手だ。

彼はこの春、年長さんになるが、いまだに今一つ何を言いたいのかわからないことがよくある。

幼稚園の先生からも、

「(長男くんは)いつも給食でおかわりを欲しそうにしてるけど、自分から言いに来れない」
「お友達から誘われれば一緒に遊べるけど、自分から誘う姿はまだ見られない」

と言われ、心配することもあった。

かくいう私も、子どもの頃は、内気で人見知りなタイプだった。

「とにかく恥ずかしくて、目立つのがイヤ」「周りの目が気になって、極度の緊張から思考停止してしまう」など、長男の気持ちは痛いほど想像できる。

だが、自分の過去を振り返ると、内気な性格で損することも多かった

長男には同じような思いをしてもらいたくないという気持ちから、「もっと自己主張してもいいのに」「積極的にお友達と関われる子になってほしい」と願い、叱ってしまう瞬間もある。

子どもの短所ばかりに目が向く理由

長男が生まれた頃は、ニコッと微笑んでもらえるだけで「可愛い!」とときめいていたはずなのに、保育所や幼稚園での集団生活が始まった頃から、彼の短所に目が向くようになった。

その原因のひとつには、「他人」との比較が大きく関係していると思う。

幼稚園や保育園で集団生活が始まると、「お友達はもうひらがなを全部読める」とか、「お箸が上手に使える」とか、つい保護者が子ども同士を比較する場面が増える。

私の場合は、「お友達と仲良く遊んで、楽しそうな他人の子ども」と「教室でぽつんと1人遊びをしてる長男」を比べて、心のどこかで劣等感や焦りのような感情を抱いていた。

最近はネットやSNSなどで“他人のキラキラした日常”や“意識の高い育児”を目にする機会も多い。余計に「うちの子は今のままで大丈夫?」と不安を煽られる機会も増えているのだろう。

また、子どもの欠点や短所ばかりが気になるときは、たいてい「自分の心が疲れているサインだ」。

心身が疲れている時は、人は誰しもネガティブ思考になる。

忙しい毎日に追われ、自分の「心の動き」に無自覚なまま、ストレスを溜め込んでいる人も多いだろう。

とくに、子どもに向ける「何気ない声掛け」は、自分の心の状態を的確に表している

「早くして」「もうこんなこともできないの?」「何回言えばわかるの?」など、ネガティブな発言が増え、怒りが抑えられずにガミガミ叱ってしまうときは、自分の心が弱っている証拠だ。

もし心のアラートに気がついた時は、「ああ、今の自分、疲れてるんだな」と心の中で唱え、自分の心を満たす方法を考えよう。

「すでにある良いところ」を探してみる

ヨガの重要な経典であるヨガスートラには、「サントーシャ」という教えがある。

日本語に訳すと「足るを知る」という意味で、「生きることに必要な最低限のものがあれば、それに満足すべき」という考え方だ。

私はこの考え方が好きで、心の中に「焦り」や「不安」などのネガティブな感情が湧いた時は、自分の置かれた環境や、当たり前の日常に感謝をするようにしている。

子どもに叱ることが増えた時も、子どもの「欠点」や「できていないところ」ではなく、「すでにある、いいところ」を目を向けるように心掛けている

例えば、「ひらがな学習」というシーンにおいても、

・「ああ、鏡文字になってる」
・「“ほ”と“は”をまた読み間違えた」

ではなく、

・「鉛筆で線をまっすぐ書けた」
・「自分の名前が読める」

など、小さな「できた!」に目を向けて、言葉にする。

「優しい」とか「元気」とか抽象的な言葉ではなく、もっと解像度を上げて、子どもを観察するのがポイントだ。

どんなに些細なことでも構わない。普段「できて当たり前!」と思っている子どもの姿に改めて目を向けると、「1年前と比べてこんなに成長したのか!」と気づくことができて、親子で幸福度が上がる。ぜひ試してほしい。

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