dear 桂小五郎【高杉晋作③】
今回は江戸にいる高杉さんが、同じく江戸で勤務中の桂さんに宛てて書いた手紙を訳してみました。
高杉さんから桂さんに宛てた手紙の中では1番有名かもしれません。
(しっかり解読できたところは相変わらず少ないです。練習中なのでご了承ください...)
桂小五郎宛(文久2年9月28日)
「尾張町の蒲焼き屋さんで待ってるよ。(対馬藩の内紛について話したいことがある、と続く)」
蒲焼店の名前である"横向まく内"という文字の羅列が珍しい。
「桂さんの姿を一日見ないだけで三ヶ月会っていない気がするよ、ああこれが友情というものか〜」
漢字ぺディアによると文の最後につく「乎」は詠嘆の意味を持つらしいので、「〜」で表現。
今までと違い桂さんが近くにいるから手紙の重みがないというか、ぱっと読んだときはLINEみたいな内容だなと思いました。
が、この時の高杉さんは脱藩騒動(前回の記事のときのこと)の直後なのでまだ気持ちが生き急いでいるのかもしれません、桂さんに会いたがったり寂しがったりと頼りっぱなしです。
対馬藩の話とは?
対馬藩の何について話したのかは分かっていないので、勝手に予想。
私の予想は③です。
手紙に「対馬藩の内紛」と出てくるので、対馬のうちわごとだとすると②の可能性は低く、
そうなると①ですが、他藩の人がそんなに気にすることではないと思うし、跡継ぎで揉めている藩は対馬だけではないよなぁ。
③で出てくる対馬移封論とは、異国船の来島("らいとう"だよ。又兵衛じゃないよ)で防衛費が嵩み困窮した対馬を幕府の直轄領として、対馬藩を別の場所へ移すというもの。
当然、藩内の攘夷派は反対し、長州に援助を求めました。
これは対馬前藩主の妻が毛利家の出だったためと考えられていて、彼女の協力もあり、対馬と長州は盟約を結んだそうです(対長同盟)。
ここから対馬藩は攘夷へと傾いていきます。
この辺りが当時の対馬藩の状況だけど、どれだろう。どれでもなくて、結局桂さんに会う口実だったりして。考えすぎ?
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