街中の貼り紙に見る個性
街をぶらぶら歩いていると、
突然輝ける宝物と出会うことがある。
貼り紙だ。
それは主に注意喚起を促す内容のもの。
生活を営むなかで軋轢は生じることもある。
ご近所に住む人々は自分では選べない博打だから、
貼り紙という手段で注意を促す必要が
出てくるのだろう。
不快な思いを伝える言葉は人それぞれで違う。
そこには個性が存在している。
貼り紙は表現者の強い意志を乗せた
街のアートたりえるものなのかもしれない。
アートとか軽々しく言ったけど
各々の問題解決を心より願います。
【宝物たち】
貼り紙(2枚目は板だが)は大抵は署名が無い。
気の知れた仲くらいでないと
「これはアイツの書いた文字だ」と
文字で特定することもそうそう出来ない。
「私が書いた」と主張する者が無ければ、
つまりこれはほとんど匿名で書かれたものと同義だ。
また、貼り紙は先に書いたように
注意喚起を表すものが多いが、
注意する立場となると
得てして言葉遣いが悪くなる。
2枚目の『尿禁』に関しては
例外的にポップでオリジナリティがあり、
お茶目な人が書いたのかな?と思う。
ただ他の2枚は、
容赦ない言葉のナイフを平気で投げている。
"匿名で正義を振りかざして暴言を吐く……"
それは、近年のインターネットで
よく見る光景ではなかろうか。
注意(=攻撃)していい対象と捉えた者に
人権があることをすっかり忘れて、
正義を盾に簡単に悪意を曝け出せてしまう。
こんな注意をされた方はたまらない。
そんな悪意におとなしく従うわけが無い。
インターネットが無くとも、
このような行為は昔から市井に存在したのだと思う。
そう考えると『尿禁』ほど
分かりやすくかつ親しみやすい語感で、
洗練され堂々とした佇まいのものは
むしろ言う事を聞きたくなる魅力がある。
人は"注意のセンス"を
磨いていくべきなのかも知れない。
今後も貼り紙と縁のある徒歩が出来たら幸いだ。
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