世界に1つだけのオンリーワンなんかじゃないって思ってた話
じつは最近まで、
『世界に1つだけの花』の曲が
あんまり好きじゃありませんでした。
曲を聴くたびに、
わたしは特別な存在なんかじゃないし、
世界に1つだけのオンリーワン
なんかじゃない、ってずっと思ってました。
わたしがいなくても、
世界はつづく。
わたしがいなくても、
代わりはいる。
子供たちは間違いなくオンリーワンだし、
そう伝えてもいるけど、
…わたし自身は、自分が
特別な存在だとは思えない。
エヴァの綾波ちゃんのように、
「わたしが死んでも代わりはいるもの」
って、つい最近まで
ずーーーっと思いつづけてました。
今日は、その思い込みが
フッとはずれた時の話をします。
◆ん?それは本当かい??
でもね、あるとき人に言われて
ふと気づいたんですよ。
子供たちにとってはすでに
オンリーワンの母だし、
仕事でも正直、すぐに
わたしの代わりは見つからない。
そりゃあ時間をかければ
いつかは代わりの存在が見つかるかも
しれないけど、
それでも、
『まったくわたしと同じ』は
どうやったって再現できない。
(もっとよい、もっと悪いの可能性は
どちらもあるけど。)
たしかに人間として生まれた以上、
個体としてのオンリーワンでは
すでにあるんですよね。
でも、その「役割」としての
オンリーワンでは、決してない
と思っていました。
◆きっかけはたぶん、うつ。
たぶんね、わたしが
「代わりはいくらでもいる」って
思うようになったのって、
22歳でうつ病で倒れたときなんですよ。
それまでは
「仕事はちゃんとやらないと
みんなに迷惑がかかる」
「何の役にもたたないわたしに
価値なんかない」
「だからもっとがんばらなきゃ」って
思ってたので。
ほんとうの意味で休むことを知らなくて、
…結果、病みました。
で、その時、新卒で入った
初めての会社を辞めるかどうかの
話になりまして。
母に、
「あなた一人くらいいなくても、
仕事の代わりはいくらでもいるから大丈夫」
って言われたんです。
あなたの代わりは、
いくらでもいる。
たしかに、この言葉が、
仕事をやめられるきっかけになったことは
間違いないです。
でも、わたしの中では、
それが真実になりました。
わたしの代わりは、
いくらでもいる。
それが、
いつのまにか仕事だけじゃなく、
人生全体にまでしっかり適用
されちゃってたみたいです。
◆「自分はいなくてもいい」はさらに昔からあった
この、
自分はいてもいなくてもいい感覚って、
じつはけっこう幼少期から持ってました。
昔のわたしは、いわゆる『大人しい子』で。
話しかけられても
うなずくか、首をふるかだけ。
おそらく場面緘黙症とかだったと思うのですが、
「あ」でいいから言ってみてとか、
ほんとは耳聞こえないんでしょ!って
大声で言い捨てられたりしました。
だから、母からいわれた
「代わりはいくらでもいる」の言葉と、
その頃の一人ぼっちだった
記憶が結びついて。
『自分はいてもいなくてもいい』
+
『代わりはいくらでもいる』
=つまり、自分は特別なんかじゃない
これがずっと、
わたしの『ルール』として
採用されてたんだと思います。
◆言葉にするって、やっぱり大事。
こういう
『自分についてのネガティブな設定』って、
実はいらなくなったあとでも
ずーーーーっと残ってたりします。
わたしは今回たまたま、
「そういえば『世界に一つだけの花』
あんま好きじゃないんだよねー」
っていう話をしてたら、
この設定が見つかりました。
『自分はいてもいなくてもいい』
+
『代わりはいくらでもいる』
=つまり、自分は特別なんかじゃない
うつの時は、たしかに
これが真実だと思い込んでたけど。
それを治ったあとも、いつまでも
持ち続けなくてもよかったんですよね。
だれかのひとことや、
自分が感じたことは、
どうしても、それが
世界の真実みたいに感じることもあります。
・わたしは幸せになんてなれない
・がんばらないと見捨てられる
・幸せはすぐにはつかめない
・何もしないわたしは価値がない
こんなふうに、いいことよりも、
自分の存在価値にかかわるネガティブな
ことのほうが残りやすいです。
でもいまは1回だけ、
「あ、わたし、そう思ってたんだな」と
ちょっと客観的に認めて。
その上で「本当にそう?」って
ちがう答えが出てくるまで
何回も自分の脳に聞いてみると、
なにか答えが出てくるはずです。
いつもわたしのセルフモシャモシャアワーにお付き合いいただき、ありがとうございます。
だれか似た経験をした
オンリーワンのあなたに、届きますように。