「障害はなくせる」という考え方
「障害はなくせる」という考えかた、あなたは信じますか?
わたしは、わりと信じてるひとです。
ちなみに、わたしは専門家ではないので、「こういう意見もあるんだなぁ」くらいの受け止めかたをしていただけるとうれしいです。
ただのASD男子(10歳)のオカンで、自分はおそらくグレー。摂食障害とうつは経験者です。
◆障害とは、「状態」をさす言葉。
もう5年くらい前かな、
発達障害のある子の保護者向けの
お話し会で、こんなことを聴きました。
○○障害っていうのは、あくまで、なにかをする上で障害が生じている「状態」なんです。
なので、その人に合った環境を与えてあげれば、
『障害』はなくせるわけです
わたしはこの時、息子が
自閉スペクトラム症(おそらくASD)と
正式に診断されてまもないころでした。
なので、この
「障害」はそのことに対して困ってる「状態」
っていう言葉が、ものすごく救いになりました。
だって障害ってつくだけで
大変ってイメージをもたれるし、
孫が障害者ってことで
義母には泣かれるし、
なんかもう、ダークサイドに堕ちてました。
(今はもう大丈夫ですよー)
◆医療現場ではけっこうその意味で使われてる、…けど?
でもたしかに、
医療現場では「障害」ってことばは、
その困っている状態をさすものです。
たとえば、歩行障害なら、
歩くことが困難になっている状態。
嚥下(えんげ)障害は、
食べものや飲みものを
飲みこむことに障害がおきている状態。
わたしが10年間わずらっていた
摂食障害は、
文字通り「食べること」に
障害がある状態です。
摂食障害は、拒食や過食だけじゃなく、
なにを食べるか選ぶことや、
食べるか食べないか決めること、
それを消化・吸収してもいいかとか、
そういう「食の判断」がめちゃくちゃむずかしくなったり、思いどおりにできない状態、と思ってもらえたら助かります。
でも、これが精神障害や
発達障害になると、
『○○障害=その人自身に問題がある』
みたいに思われちゃうのが
すごくすごくイヤで。
とくに精神障害って、個人的には
あんまり言葉が好きじゃないなぁと
ずっと感じています。
・精神がすこやかでなくて困ってる障害
・精神が安定しなくて困ってる障害
とかのほうが、そのひとの大変さが
伝わるんじゃないかなって思ってます。
ただ生きてるだけなのに、
障害(困りごと)が起きつづけてる状態って、
めちゃくちゃ大変だと思いませんか?
◆そのうえで、発達障害をみてみよう
で、その障害=状態、を
ふまえたうえで発達障害を見てみると。
発達障害って、
その人が心身ともに、
健全に発達(成長)していくのに
困難がおきている状態
なんですよね。
つまり、なんとかするのは
「その人」や「その子」じゃなくて、
状態=環境のほうです。
なので、その人に合った環境を与えてあげれば、
『障害』はなくせるわけです
最初のこれですね。
もちろん、その人やその子自身に
対する療育も必要です。
でも療育だって、
定型さんが何もしなくても
できる・わかることを、
その子にできる手順ややり方を
示してあげる「環境」なわけで。
やっぱり、周りの環境や、人々の理解が
いちばんだなぁとは痛感しています。
たとえば、
学校に遅れていくことに対して
「ずるい」と周りの子が言わなくなり、
出なかった分の授業もリカバリできる
しくみがあれば、
体力や気力のない子も
同じ勉強ができます。
また、スプラトゥーンやりながら
「もう!!味方クズーー!!」って
大声でブチ切れてても、
防音・対ドスドスばっちりな家であれば
何の問題もないわけですよ。
まぁ、
そんなんムリじゃーーーー!!!
ああーーまたかーーー!!!って
毎度、思いますけど。
でもね、ほんと、
「目に見えにくい困難」だからこそ。
100%わかってもらう、なくすのはムリでも、
それでも一つひとつ、
「障害をできるだけ減らす環境」を
ととのえながら、
親子ともに笑ってすすめる道を
さがして歩んでいけたら
いいなぁって思うんです。
スラムダンクの安西先生の名言、
「あきらめたら、そこで試合終了」なので。
ちなみにわたしは、
下がったときは『ずっと真夜中でいいのに。』の曲をエンドレスでかけて歌ってます。
波長のあう音楽は大事
いつもありがとうございます。