#128 子どもができたら、 先生になったら
仕事としての研究や好きな音楽の活動以外に、自分がライフワークとして取り組みたいことがあります。それは日本にもっと「カウンセリング」の文化を根付かせることです。
最近は、公立の小中学校にも週に一日は専門のカウンセラーがいるような学校も増えて、制度整備は着々と進んできていると思います。でも僕がより大切だと思っているのは、使う側の子どもたちや親や先生の心の中で起きていることです。
話されたことしか、聞けない
今僕がお世話になっているカウンセラーの先生は、スクールカウンセラーとしても勤務されています。最近の小中学校で子どもたちと話していて気付くことについて、以前話してくれました。先生がおっしゃったのは、
でした。当たり前のことですが、どんなに有能なカウンセラーでも、「話されたことしか、聞けない」わけです。「目は口ほどにものを言う」場合もありますが、表情と雰囲気で伝わるのは漠然とした感情とその緊急度までで、こみいった内容は伝わりません。
人的リソースは有限なので、カウンセラーはもちろんのこと、親でさえも、無制限の時間はありません。「自分が何が辛くて、何をどう困っているか、どうすれば楽になれそうなのか」を言葉にして、限られた時間の中で親や先生、カウンセラーに伝えられないと、事態は悪化していきます。
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カウンセリングの授業
僕は大学院を修了後、中高一貫校で教師をしていました。教員免許を取るには、初歩的なカウンセリングの技術を学ぶことが必修です。深刻なケースはもちろん担任の先生ではなく専門のカウンセラーが相談に乗るわけですが、「親&担任にとどめておいていいケース」と「すぐに専門のカウンセラーに繋ぐ必要があるケース」、さらに「すぐに精神科医に繋ぐべきケース」を見分けるのは、実は親や担任の先生の役割です。教員免許の要件の中に基礎的なカウンセリング技術が含まれているのはそのためです。
最近の20歳前後の若い学生たちと話していると、彼らがとてもよい「聞き手」であることが分かります。話す側の気持ちを傷つけないように、上手に話を聞ける人が増えたと思います。日本人はすばらしいカウンセリングマインドを持っていると感じています。
問題はどこにある?
しかし残念ながら、子どもの自殺は減りません。いわゆる「セーフティネット」の整備は着々と進んでいるのですが、なぜかあまりうまく機能していないのです。カウンセリングという行為には「話し手」と「聞き手」がいます。あまりいろいろ考えを巡らせずメカニカルに考えれば、現在の状況は「聞き手」の準備は整っている一方、「話し手」の準備が整っていないと考えるのが自然だと思います。どういうことか、少し紐解いてみます。
大切な質問
note の街でも、この質問にイエスと答える人の割合は低いのではないかと思います。学校で保護者会などを開き、学校が整えているカウンセリング体制についての説明をする時、熱心に聞いている親、あるいは説明している側の教師も、「自分がカウンセリングを受けた経験がない」ことが多いのではないでしょうか。僕はここが問題のはじまりだと思っています。
「カウンセラーに悩みを相談する」ことは、実はとってもとっても難しいことなのです。訳がわからず悲しかったり、むしゃくしゃしたり、消えてしまいたくなった時に、その感情を「言葉にして」「限られた時間の中で」「初対面の人に話す」というのは、とても高度な知的作業なのだと思います。
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僕のカウンセリング歴
僕自身の話を少しすると、大学時代から今まで、ほぼずっと継続的にカウンセラーの先生にお世話になっています。どんなに調子が良くても、継続的にチェックしてもらっています。
これまでに、日本人カウンセラー3人、オーストラリア人カウンセラー1人、ドイツ人カウンセラー1人の合計5人の先生にお世話になりました。以前の記事でも登場したドイツ人のカローラ先生とは、ちょうど明日!話しに行きます。国や学派によってカウンセリングの手法や流儀が異なるので、いい勉強になりました。
慣れてくると、「今自分が困っていること、モヤモヤしていること」をぱぱっと10分ほどでまとめて話せるようになります。もし僕がまた別の国に引っ越して、カローラ先生ではない新しい先生にお世話になる必要が生じたとしても、初回のカウンセリングで必要なことを的確に伝えられる自信があります。でもそれは、最初からできたわけではありません。
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子どもができたら、 先生になったら
このお願いは、とてもシンプルでありながら、多くの人に「それはちょっと……」と敬遠されるお願いです。それは、悩みや問題が何もなくても、
です。数回外食を我慢すれば、飲み会を1回断れば、費用は出ます(1回45分〜1時間で、5,000円〜8,000円が相場です)。自分が受けてみれば、話すことがどれだけ難しいか、よく分かります。そして、何が難しくて話せなかったか、何をどうすれば最初の一言が出るのかを肌感覚で理解できるようになります。
もし「すべてがハッピーで悩みなんか全くない!」という方がいらっしゃったら、「周囲の人が色々と思い悩んでいることを、自分の肌感覚で理解できなくて困っている」と相談してみてください。最初多少話せれば、先方はプロなので、そのあとは導いてもらえます。
子どもに話しなさいと言う前に、まずは親や先生が自分で話してみて、話すことの何がどう難しいかを理解した上で、子どもたちに接していきたい、と思います。三ヶ月に一度程度、数年単位で継続的にカウンセリングを受けていれば、いざ自分の家族や子どもや生徒に問題発生!という時に、素早く必要な行動が取れるようになると思います。年間2〜3万円程度の費用は、例えば休みの日のおでかけを減らせば捻出できるのではないでしょうか。
いざという時に 「話せる」 子どもを育てる
時にコントロールできなくなる自分の感情を、「言葉にして」「限られた時間の中で」「自分とは異なる人に伝える」ことは、現代社会の中で幸せに生きていく上での重要なスキルだと思います。よく現実を見れば、「言わなくても分かる」「以心伝心」「目は口ほどにものを言う」「阿吽の呼吸」というような発想は、むしろ子どもを追い詰めてしまうように思います。
大人が、「何かあったら話しなさい」「カウンセラーの先生もいるからね」と言いながら、自分たちは相談せず、むしろ「自分たちにはカウンセリングは不要」とか「カウンセラーに相談するのは弱い人間」のような雰囲気を作ってしまっては、いつまでも「話し手」の準備ができないままになってしまいます。
例えばですが、親が数ヶ月に一度、カウンセラーの先生の所へ通うとします。親は自然と、悩みを話す時にどんな難しさがあるのかが分かるようになります。また、親がそのことを子どもに話題として話して、そんな親の姿を見ていれば、その子どもが自分で処理しきれない悩みを抱えた時に、カウンセラーに相談しようと決める時のハードルがぐっと下がります。
年に2〜3万円を継続的なカウンセリングに使うのは、親の精神的な健康のためのみならず、いざという時に子どもが自分で動けるようにするための、素晴らしい投資ではないかと思います。
実はここ数日、大切なある友人とこの件について話していて、この記事はそれをまとめたものです。気付きをもらった、その友人の記事を引用します。
今日もお読みくださって、ありがとうございました🧶
(2024年4月15日)
サポートってどういうものなのだろう?もしいただけたら、金額の多少に関わらず、うーんと使い道を考えて、そのお金をどう使ったかを note 記事にします☕️