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散文詩集

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#あなたとわたし

29.8

雨が空から堕ちて来る 雨が、雨が、堕ちて来る もう三日も着っぱなしの上着を濡らして その下の薄汚れた肌を凍らせる 所詮ヒトがヒトにできることなどたかが知れていて 片手で収まる程度のもんで 下手すりゃひとつもありゃしない それはわかっていたけれど 思い知ってはいたけれど それでも 諦められなかった 諦めたくなんかなかった ねぇ教えて あなたは 飛んだ先に何を見た? 何が見えた? 何が見たかった? いくら訊ねても いくら声を張り上げても あなたからは二度と 応えなど帰ってはこな

地下鉄の花束

夜明けの地下鉄 花束を買う 自動販売機 幽かな音をさせて落ちてきた花束は 葉脈の先端までも冷え切って 冷気は握る私の掌から 背中へと抜けてゆく 覚めきらぬ晩の酔いを残し 走り出す車両に 朝日は射さず 何処までも何処までもトンネルの中 走り続ける あなた わたし 何処までも何処までも トンネルの 中 何処までも あなた わたし 花束 あなた わたし 花束 何処までも何処までも 熱を孕んで ああ 花束がとろけてしまう前に 地上に出よう 次の駅は 次の駅は 花束がと

距離感

わたしとあなたの 距離は適当に 聴こえたら返事して 聴こえたとだけ それ以上でもそれ以下でもなく どう好きか どう嫌いか なんて そんな説明はいらない あなたの好きと わたしの好きの輪郭は 決して完璧に 重なり合うことはないのだし わたしの嫌いとあなたの嫌いの輪郭も それもまた同じ 一枚の絵の前で ふたり きれいだね きれいよね そう言いながら あなたは絵の中の樹林を わたしは絵の中の大地を それぞれに目を細め 眺めてる きれいだね きれいよね そう云いながら私たち そ

「夢」

夢を見ました 幸せな夢だと思います 多分 幸せだったと思います もう覚えていないけれど 私の脚が折れて 右手も折れて やがては左手も折れて ただの塊みたいに路上に転がって 気づいたら 石ころと並んで座ってた 幾組もの家族が通り過ぎてゆく 石ころと私との前を 幾人もの足音と 後ろ姿と 影が ふと見れば、折れた私の手も脚も そのゆき過ぎてゆく群れの中にいるじゃないか 身軽になった手脚は嬉々として スキップしながら、小踊りしながら やがて人込みに紛れて見えなくなった 石ころ

「迷子」

昔のことです 遠い遠い 昔のことです 誰かが呼んだ 名前を呼んだ 私に向かって 誰かの名前を 人違いかと首をかしげ そのまま歩いてゆこうとするのを 追いかけてきて 呼びかける 私ではない 誰かの名前を あなたはだあれ? 私はあなたの誰かじゃないわ あなたはだあれ? 私の名前は 私の名前は 云おうとして 声が詰まった 私の名前は 何処へいった? 私の名前が 見当たらない 誰かの名前で呼びかける 誰かが私を呼び止めて 追いかけてまで 引き止めて それでも私の名前じゃない

「満潮」

あなたはわたしの鎖骨を折って これが愛の証といふ わたしはあなたの肋骨を折って これが愛の証といふ 幾つもの幾つもの愛の証 幾つあったら満ち足りるのだろう あなたの両手の十本の指を わたしの療法の乳房の乳首を ぽきぽき折って かりかり齧って ぼろくずのようになって あなたはわたしの首を絞め これが愛の証といふ わたしはあなたの喉を裂いて これが愛の証といふ そうして満潮の浜辺 波に攫われて ふたり 海の藻屑に なる ―――詩集「三弦の月」より

「呼子鳥のように」

あなたが死んだら あたしは泣くでしょう 六月の雨のように しとしとと泣くでしょう 葬列の面々が目を覆うくらい さめざめと泣くでしょう あなたのその躰の分だけ空いた 空白を今度は誰で埋めようかと まるで迷子になった猫のように 夜毎泣くでしょう そしてちょうどいい具合の 男を探し出したら 今度は男の上で啼くでしょう 呼子鳥(カッコウ)のように ―――詩集「三弦の月」より

「天井」

わたしの ゆうれいは ぴちゃぴちゃ と 音を立て あなたの ゆうれいは ぴちゃぴちゃ と 音を立て 互いに貪り合うふたつの躰を見下ろしながら 天井で無花果を喰っている ふたりして わたしの ゆうれいは もう喰い飽きた と言い あなたの ゆうれいは もう喰い飽きた と言い 汗みずくになって寝床に伸びる身体に頬杖ついて 喰い残した無花果の身を放った ふたりして ―――詩集「三弦の月」より

「骨壺の唄」

カタカタ カタカタ と 揺れて揺られて笑ってる 猫の足元 骨壺の中 下弦月夜にぶら下がり 老いた三毛猫が欠伸をすれば カタ カタカタ カタタカタ 骨が笑う 骨壺の中 カタ カタタ 他にひとつの物音もしない 静まり返ったこの夜更け あまりに骨が笑うので あまりにあなたが笑うので あたしは喰ってやることにした 一口喰んで しゃれこうべ 二口喰んで 足の甲 三口喰んで 割れた上顎 はぐはぐ はぐはぐあなたを喰って 空っぽになったら ようやく眠れる いとしい いとしい骨壺抱

「深い深い森の奥で」

深い深い森の奥で 一本の樹が 倒れる 見ている者は誰もなく 聞いている者も誰もなく ただ一本の、森を貫く道は 呆気なく裂傷し、 その時君は 眠っていた その時僕は 俯いていた 深い深い森の奥で今、 一本の樹が 倒れた 横たわる樹の下に 裂傷した一本の道 誰もいない 誰も見ていない 森の奥で ただ一羽 今空へ垂直に 飛び立った、雲雀 のみ、 そのことを 知る 深い深い森の奥で今、 一本の樹が 倒れた ―――詩集「生活Ⅰ.」より

「地滑り ブレてゆく日常」

定規などでは計れない 日々生じる誤差を辿っては 何重にも描き直されるその 輪郭線 やがて互いに 重なり合い、打ち消し合い、 君が今 溜息をついた 君が今 嘲笑を口の端に浮かべた 君が今  ―――地軸がズレてゆく 君が 君がそこにいることで 私の地軸が ―――詩集「生活Ⅰ.」より

「夢の話」

穴を掘る 夢を 見た 見覚えはある けれど 名前を忘れた何処かの街の片隅 破れた金網をくぐって 忍び込んだわたしは 穴を掘る 穴を掘る 爪が剝げ、傷む指先にもかまわずに 穴を掘る 穴を掘る 掘る掘る掘る掘る掘る掘る 穴を 掘る その時、 手応えを感じて 覗き込んでみたら、そこに 君がいたよ にぃっと歯を剝き出しにして 笑ったまま固まっている 汚れた顔の君が そんな、 夢を見た 君の隣 で ―――詩集「生活Ⅰ.」より

「骨の髄まで」

適当に嘘をつき合いましょうか おたがいに 軋んだ歯車も 油を垂らせばまた 滑らかに廻ってくれる かも 適当に逸らし合いましょうか 矛先を 射てしまったなら今空を 飛んでいた筈の鳥がこのテーブルに ぽとり 堕ちて来るかも そんなわたしもあなたも 最期は ただの白く乾いた骨になるんだし あなたが先に死んだなら 骨は隣家の犬にしゃぶらせよう そうして骨に沁み込んだあなたの 嘘をすっかり喋らせよう わたしが先に死んだなら その時は仕方ない 三途の川を渡る手前でつらつらと あな