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「切れてない私が悪いんだけどね…」と、コリスは言った


昨日、出張から帰宅した30分後、コリスが小学校から帰ってきた。金曜の朝、マンションのエントランスで別れて以来のコリス。わかれ際に、「ママ、どこ行くんだっけ?」と聞いてきた。「東京に行ってくるよ」と答えると、「うん、行ってらっしゃい」と言ってくれた。

金曜から日曜までを「ばあば」の家で過ごしたコリスは、日曜夜、ごはんもお風呂も済ませて家に帰宅した。パパとダラダラ遊んで22時に寝たそうだ。

昨日朝、コリスからLINEがきた。パパのスマホからいつも連絡を入れてくる。

それにしてもいつも、早起きだ。コリスとLINE電話で話して、「ごはんをレンジで温めてね」と話していると、「今日は、ふりかけごはんにする」と言った。学校に持っていく水筒も自分で入れたと言う。「すごいなあ、コリス……」と、思いながら帰ってきた。

帰宅したコリスは、「今日学校でいやなことが、ふたつあった」と、言った。話を聞いていくと、ひとつは掃除の時間のこと。よかれと思って注いできたバケツの水が「多すぎる」と上級生に言われたことが嫌だったと。

もうひとつは、国語の時間のこと。短歌を読む順番が回ってきた。五・七・五・七・七を読む際に、息を吸って「切る」ことが大切なのだそう。コリスは切ってるつもりでも、先生に「切れてない」「早い」と、言われた。何度か2回目を読んだ際にも「切れてない」と言われ、泣いてしまった。3回目を読もうとしたが、声が震えて出なかった。「次のひと」と先生は、次のひとに回してした。コリスが泣く様子を、みんながじーっと見ていた。

「切れてない私が悪いんだけどね……。先生に怒られているところをみんながじーっと見ていたし。嫌だったー」と、振り返るコリスの頬を涙がつたった。こんな場面、あるよなあ。何度もできてないと言われると、悲しくなる。そして、涙が出ると声が出なくなる。わかる、私もだ。悲しかったなあ、コリス。「そんな言い方しなくてもねぇ」と、なぐさめの言葉をかけると、「いやいや短歌については、うまく切れない私が悪いから」とコリスは、言う。コリスがそう言うのなら、そうなんだろう。もっとコリスが練習すればいいのだ。

夕飯のあと、コリスと一緒に国語の教科書にある「短歌」を詠んだ。私はこれまで「短歌が切れてない!」と、怒られたことはないけれど、短歌を詠むって難しいと感じた。普段は使わない言葉も出てくる短歌。書かれていることの意味がわからないと、文字が単なる記号にも見えてくる。それでは、うまく切れない。また、五・七・五・七・七のリズムにも慣れないと、うまく切れない。言葉や文章の意味を理解しつつ、音をリズムに合わせて発するなんて、なんて難しいことを学んでいるんだ。

秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる

藤原敏行

そして、短歌ってすごいな。国語のようで音楽のよう。手紙のようで歌のよう。学びのようで、遊びのよう。短歌、おもしろっ。

「短歌がうまく切れない」と、悔し涙を流したコリス。国語の授業は毎日あるからと、昨晩、練習した。今日はうまく、切れただろうか。

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