他人と自分を比べてしまう人へ|努力の成果と社会の反映
会食の場や飲み屋などで、優秀な経歴を持っており金払いも良い人が昔の苦労話をしていると、努力あっての成果なのだと思わされることがある。
激化する競争社会を勝ち上がっているのだから、物凄い努力をしているはずだ。日々のプレッシャーにも負けることなく、タフに毎日を過ごしている。
そんな人を前にして「それに比べて俺は給料も安い。今まで努力してこなかったな」と、ついつい思ってしまうことが今までに何回もあった。
成功している人と自分をシンプルに比べると、どうしてもネガティブな気持ちになってしまい自分を責めてしまうのだ。
ただ、自分を責めたところで何も良いことは起こらず、こういった考え方をするのは、今はもう辞めることにしている。自分の能力や努力ではなく、世の中の複雑性に思いを馳せてネガティブな気持ちになるのを凌ぎ、できるだけ無駄な時間を過ごさないようにしたいからだ。
『自殺論』という本で有名なデュルケームという社会学者がいる。
私たちは個人が集まって社会ができると考えてしまうが、デュルケームは全く逆の考え方をしていて、個人の行動や心理は社会の状態が反映されたものに過ぎないと考えていて、それらは「社会の病気だ」とまで断じている。
つまり、個人の行動や心理の状態も、現在の社会状況が反映されているだけで、必ずしも個人が努力した結果が社会に反映されているわけではないとも考えられるわけだ。
少し都合の良い考え方かもしれないが、この考え方を用いて、成功している人の苦労話と自分を比較して自分を蔑むことを辞めるようにしている。
もちろん、成功している人が努力していることは認めるが、その人の会社にたまたま立派なCEOが就任したことが原因かもしれないし、その会社の顧客ニーズがたまたま高まっていたのかもしれない。
現在の自分の状況というのは、自分の努力の結果がシンプルに返ってきているわけではなく、複雑な社会のなかでの行動における不確実な結果なのだ。
その不確実な社会に落っこちているチャンスはうまく拾いたいものだが、少なくとも盲目的に頑張り過ぎてしまうことだけはしないようにしている。
社会と個人の在り方は複雑なわけだ。受け容れて生きていくのが賢明である。(「もっと努力しろよ」という声が聞こえてきそうだが、それはスルーさせていただく。)