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鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)②

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

① 鹿島槍天狗尾根とは。(“鹿島槍研究より抜粋”)

 天狗尾根を末端、即ち荒沢出合い付近より登ることは積雪期、主として東尾根同様、極地法的な体系で登山するべきルートである。 無雪期にこのルートを取ることは、最近の学習院の遭難捜索のため、多少の踏み跡が付けられたとはいうもののブッシュも多く登攀の興味は少ない。

 積雪期にこの尾根を登るによい時期は12月より4月ごろである。 5月になると下部はブッシュが増す。 厳冬期はラッセルに苦労する。 キャンプの数はパーテーの規模、目的、技術によって相違するが大体2~3を要するものと考えねばならない。 春も遅くなれば1か所で済ませることも出来よう。 キャンプ地としては2か所の場合は1800m~1900m付近にC1、天狗の鼻にC2というのが最も多く取られている方法であろう。 記録的には1900mのC1から一気に登頂した例も少なくないし、あえて天狗の鼻に最終キャンプを出す必要もない。 しかし天狗の鼻のキャンプは風あたりこそ強いが広々とした、しかも荒沢奥壁や北壁を一望にできる場所でそれらの登攀根拠地ともなるので捨てがたい味がある。

 ベースキャンプは荒沢出合いなら一番楽だし大川の取り入れ口付近から大冷沢出合いまでどこでも大差ない。

 取り付き点は荒沢へ入ってちょっと進んだ左岸で何本かルートはえらべようが最もわかりよいのが約150mばかりはいったブナの小リッヂである。 これを忠実に登ってゆく。 かなりのラッセルは予想する必要がある。 やがて尾根はやや広くブナやもみの大木が出てくる。 一度広い平坦な場所に出るがその先で尾根は急に痩せ、樺が多くなる。 C1は大体この付近がよい。 春ならばBCから1日でC1を張れると思うが厳冬期や、どか雪の後などだと、中継キャンプや荷物のデポも必要になってくる。

 C1から天狗の鼻まではナイフリッヂと小岩峯で歩きにくくなる、途中2つ程岩峯がある。 最初の岩峯は裏側を容易に通れる。 次のものは荒沢側の雪のクロワールがあり最近では第一クロワールと呼びならされているようである。 さらにナイフリッヂを登ると第2クロワールと呼ばれている場所があり、その上部で尾根は広くなり天狗の鼻への登りになっている。 樺の生えている斜面の中に広いルンゼ状の部分があり、それがルートとなるがここは見かけより登りにくい。 登り切れば広い天狗の鼻の頂上である。 良いキャンプ地である。 但し風あたりは相当強いから、しっかり防風壁を積む必要がある。 雪洞も掘れる。 眺望は素晴らしい。

 特に荒沢奥壁の圧倒的な大氷壁には目を奪われる。 C1から鼻のC2まで荷があるとかなりしごかれる。 しかし特別に技術的に難しいところはない。 昭和10年12月21日~11年1月5日の立教の記録によると12月24日造林小屋(9:20~)
荒沢出合(11:50~12:25)~C1(1400m)(14:00~15:00)
12月26日C1(10:05~)天狗の鼻手前のピーク(2040m)(13:15)

 冬の鹿島槍の気象はまったく悪い、の一言に尽きる。 日本海を通過した大陸の偏西風は風雪に明け、風雪にくれる気象状況を作る。 一夜にして相当の積雪を見ることも多い。 こんな場合の雪崩の危険は恐るべきものがある。 予想もしなかった大雪崩が出ることもある。 特に新雪雪崩はスピードが速いので逃げることは難しい。 雪庇の発達も著しい。 これが鹿島槍末端からの天狗尾根初トレースである。(なお積雪期鹿島槍に始めて登られたのは大正15年3月であったとの事を“山岳”32号(一高の1925-6による)に松方さんと同期の黒田孝雄氏(大正10年学習院高卒)が書かれているのも何かの因縁であろう。 黒田氏は遭難した鈴木迪明リーダーにバトンタッチした大場隆前リーダーの伯父上に当たる。 以上吉田二郎氏鹿島槍研究により積雪期の鹿島槍及び天狗尾根という登攀ルートのアウトラインを述べてみた。 さて本題に入る。


遭難当時の気象的考察(山木魂より)


1955(昭和30)年12月25日9時(342 気象庁提供)


1955(昭和30)年12月25日21時(343 気象庁提供)


「鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)①」から

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