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上高地「学習院田代小屋」探究の旅④
学習院大学山岳部 昭和42年卒 石川正弘
輔仁会雑誌のバックナンバーを注意深く読み返すと板倉勝宣、松方三郎の記述を追認できる次の記述を発見した。
輔仁会雑誌125号(大正12年7月)
「小舎」書き人知らず。
清水屋の前を大正池の方へ、一町も行くとカラマツ、シラカバの林がある、そこまでくると道は小川のために切られている。 (中略)この道から森を透して一間の小屋が見える。 小屋は自然木と板で囲まれていて、屋根には直径二尺もありそうな木が転がしてある。
小屋の後には水が流れていて茶わん、なべ、おけがそれに浸かって水泡を立てて時々動いている。 そのすぐそばに石で囲んだかまど、真っ黒になったやかんがある。(中略)
窓の上の棚には本がぎっしり詰まっている。 (中略)窓の前は森だ。
霞沢岳・六百山のピークが真っ青な空に浮き彫りのように見える。 (中略)小屋の隅の方に蓄音機。 その右の壁に小さな箱が取り付けてある。 (中略)下手には、しこたま釘が打ってあって、タオル・作業服・セーターがあるかと思えば、ピッケル・ザイル・カンテラ・針金・ノコギリが乱雑にかけられてある。 床の上には茶色の毛布が積んである、戸口からは穂高が見える。(中略)
「こんにちは」人が来た。 庄吉さんだな。 黒い小さな鳥打帽をちょこんと頭に載せた赤い顔、あのまるまるとした目、いつ見ても愉快そうに見える。 (中略)清水屋にその日の手紙を取りに行く。 手紙が楽しみだ。小包でもつけば大喜びで帰ってくる。 夕食がすむと温泉に行く。 (中略)小屋の中には煮立ったコーヒーが待っている。 そしてみんなでコーヒーをすすりながら「交響曲第5番 (ベートーベンの「運命」)」を聞く。
「小舎」書き人知らず。
この時代は岡部長量、内藤政道(※1)、波多野正信、池田秀一(※2)、等が活躍していたころで、このうちの誰かが「書き人」と推定できる。 それにしても食後のベートーベンとはさすが公達のやる事は違う、私たちの時代のフランク・永井や島倉千代子とは大違いだ。 恥じ入るばかりだ。
この記述内容は板倉勝宣の記述とも整合し、初代小屋であることがわかる。 大正12年7月発行の輔仁会雑誌のため、大正12年前半もしくは11年にはまだ確実に存在していたのだ。
(※1)内藤政道(1903-1995)
高等科山岳部卒
(※2)池田秀一(1903-1957)
高等科山岳部卒
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