オール学習院の山登りの象徴「光徳小屋」
学習院山桜会 会長 加藤洋
学習院大学山岳部 昭和57年卒
現在、私たち学習院山桜会は戦後の学習院の山登りをテーマにした「学習院登山史Ⅱ(宵山)」の編集作業をしています。 この本は、「オール学習院の山登り」として、学校法人学習院の中で登山をしてきたクラブのすべてをとりまとめしています。
「オール学習院の山登り」を行う、私たちに共通する象徴の一つが「光徳小屋」です。
学校法人学習院の校外施設である日光光徳小屋は、1939(昭和14)年11月に設立されました。今年の11月には85年となります。
最初に1938(昭和13)年に、学習院中高等科山岳部の生徒が夏休みを返上しての勤労奉仕により、現在の小屋の周囲の木の伐採、笹薮の整地をOB1名、高等科生4名、中等科生9名で作業を行ったとあります。
翌年の夏休みにも10日間の勤労奉仕に延べ144名の中高等科生が参加して、整地を完了。 11月に完成したとあります。
既に戦争が迫っていた中で、1940(昭和15)年1月には山梨勝之進(※1)院長、西崎一郎(※2)部長以下、OBと現役が一週間宿泊。 完成を祝ったとありました。
以後、戦前は中高等科山岳部の心のふるさととして、利用されています。
戦後の1950(昭和25)年11月に小屋は学校の管理となり、1951(昭和26)年4月に焼失するも、同年11月に「二代目小屋」を再建。 以降は、1980(昭和55)年に老朽化により「三代目小屋」を建設、現在に至っています。
そのあいだ、戦後の「大学山岳部」「スキー部」「ワンダーフォーゲル部」「あるける同好会」「竿友会同好会」「探検部」「短期大学山岳部」「短期大学ワンダーフォーゲル部」「女子大学ワンダーフォーゲル部」「高等科山岳部」「女子高等科山岳部」「女子中高等科野外活動同好会」等に長く利用されてきました。
「光徳小屋」は「オール学習院の山登り」の象徴ともいうべき施設です。
この光徳小屋の管理人は、戦後6代の管理人に引き継がれていき、大切な小屋を守っていただいています。
その中で、2016(平成28)年度から、2021(令和4)年度まで6年間守っていただいた、5代目管理人の学習院大学あるける同好会の卒業生である三樹千鶴子さん、三樹大治さんご夫妻の「日光光徳小屋からのお便り」を明日から連載いたします。
三樹さんご夫妻が感じた「光徳小屋」を取り囲む自然は、今年も変わりません。 皆さまに光徳小屋の雰囲気を知っていただきたいと思います。
そして、お読みいただき光徳小屋をご利用いただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
(※1)山梨勝之進
17代 学習院院長(在任:昭和14年10月7日~昭和21年10月5日)
(※2)西崎一郎
四代目、学習院中高等科山岳部部長。
部員にとても親しまれ、あだ名は「カニ」。光徳牧場から光徳小屋に向かうなだらかな登りの最高地点(峠)で、いつも「休んだ」ことから、この場所を現役部員は「カニ峠(カニパス)」と名付け、85年を経た現代でも山岳部では「カニパス」と呼ばれている。
現代の利用者は光徳牧場までバス・自動車等の交通手段で入るので、光徳牧場から光徳小屋までは僅かな距離で、「何故?こんなところで毎回休んだのか?」と思える。 しかし、光徳小屋創設時の初期は日光駅から、そして間もなく交通機関が発達するも、西崎一郎先生が通った頃は、中禅寺湖から徒歩で光徳小屋に向かっている。
中禅寺湖からでも、現代の道路で12㎞の道のりであり、食糧等を全て持参しての入山で「カニパス」で休憩するのもあり得る行動です。
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