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上高地「学習院田代小屋」探究の旅③

学習院大学山岳部 昭和42年卒 石川正弘

 文献を漁るうちに松方三郎(※1)の次の記述に行き当たった。

(※1)松方三郎(1899-1973)
高等科山岳部卒、第5代、第10代の日本山岳会会長

アルプス記
松方三郎 平凡社(昭和9年9月)「神河内」

 (前略)二度目に上高地に入ったのはそれから三年目、米騒動(※2)の翌年であったろう。 中房温泉を振り出しに烏帽子岳から笠ヶ岳にかけて、中尾峠から大正池へ降りたのであったが、この年は7月末からほとんど8月いっぱい、田代の池へ行く途中の中州に組んだ小屋に根をおろして、みっちりと上高地の生活をしたのであった。 (中略)毎日夕方になると清水屋に湯を浴びに行く。 暗い浴槽の中に鳴りを潜めていると、徳本峠の上から「槍ヶ岳」を眺めた話しだとか、槍ヶ岳を「きわめた」話、さては穂高縦走の「冒険談」などが聞かれる。 それから宿の帳場で加藤惣吉(※3)老の気焔をひとくさり聞くか、でなければ常さんの小屋か、庄吉さんの家で話し込んで帰る。 橋は懐中電灯で渡るのだが、電灯で照らすと、下駄の下を流れる梓川が白く泡立っている。 (中略)白樺林の白い砂地でリスが遊ぶのを見たり、岩魚を釣ったり、川につかったりして、わがままに、しかしこれと言う野心を抱かず、淡々と暮らしたのであった。 清水屋がお客で溢れても、私たちの三間四方(注:約30㎡・9坪)の御殿では人口が四人以上になったことがない。 三十何年かの生涯を通じて、私はこれ以上のぜいたくをした事が無いようだ。 (中略)それから丸2年、私の足は上高地から遠ざかっていた。 (中略)上高地の方ではその間に田代の小屋の二世や三世が生まれたとも聞いた。 山登り自体も槇有恒さん(※4)の帰朝を転機として新しい世界へ一歩踏み出した。 地震の前の年(注:関東大震災(※5))の春には私自身も、トリコニーの靴(※6)を後生大事に、先輩のあとにつき従って槍から上高地へと訪れた一人であった。
 しかしその夏、私は三度槍沢を下って上高地の人となった。 (中略)奥穂高の頂上より岳沢にかかった雪渓で六人数珠つなぎになって滑り落ちたのもこのときの出来事であった。 (中略)板倉勝宣は8月半ば過ぎ、また一人で上高地に帰って、別の仲間と涸沢で粘ったりした。 想えば、板倉勝宣にとってはこれが最後の上高地だった。 (中略)上高地が目立って盛んになり、(中略)清水屋の加藤惣吉老は忽然として逝き、庄吉さんや常さんは拓殖博覧会(※7)のアイヌのように、生きた標本のように見られることとなった。 そうして私は、それっきり前後8年の間、上高地と絶縁状態に陥ってしまった(中略)
 そんなわけで四年前の夏、(注:昭和5年頃)8年ぶりで上高地に舞い戻って行ったのは、ほとんど一つの偶然であった。 (中略)ともあれ森に逃げ込む。 清水屋は元のままだが一体どこに行って案内を乞うていいのかわからない。 なんでも加藤惣吉老の没後は温泉会社との係争が続いて、もとの清水屋の方は信州モボ(モダンボーイ)(※8)がパジャマを着て、宿の帳場に陣取っているなんて脅かされていたので、その方は敬遠したが、加藤惣吉家の方の旅館がわからない。 (中略)常さんは相変わらずの童顔、庄吉さんほど老けて見えない。
 「板倉さんは本当に可哀想な事したね」なんてその頃の上高地の悪童どもの話をして、波多野正信や岡部長量まで死んでしまったことを悔しがった。

アルプス記
松方三郎 平凡社(昭和9年9月)「神河内」

 もう間違いないこの小屋を起点として、清水屋の加藤惣吉翁や庄吉さん・常さんとの交友も生き生きと描かれている。 田代の小屋と呼ばれていたこともわかった。 小屋の二世、三世とは何を指すのだろう。 いったいいつまでこの小屋は存在したのだろう。

(※3)加藤惣吉
上高地温泉(現在の上高地温泉ホテル)の開発者。

(※4)槇有恒(1894-1989)
慶応義塾大学山岳部卒、第4代、第7代の日本山岳会会長

(※5)関東大震災
1923年(大正12年)9月1日に南関東を中心に発生した巨大地震。 死者・行方不明者105,385人。 日本で最大の被害のあった地震。

(※6)トリコニーの靴
登山靴に靴鋲を打って滑り止めとする鋲がついた靴。

(※7)拓殖博覧会
1912年10月1日から11月29日まで東京都上野公園で開催された博覧会。 北海道出品協会が主催し、北海道の殖民地政策を喚起させるために開催された。

(※8)モボ(モダンボーイ)
モボ・モガとは、それぞれ「モダンボーイ」(modern boy)、「モダンガール」(modern girl)の略語。 1920年代の都会に、西洋文化の影響を受けて新しい風俗や流行現象に現れた、当時は先端的な若い男女のことを、主に外見的な特徴を指してこう呼んだ。 戦前の日本の若者文化では、最も有名。

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