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鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)⑩
学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫
⑤ ガイド星野貢氏の現場考察
6月25日 藤原荘一君遺体発見の後に
昭和31年7月6日ガイド星野貢氏に対して、1月の捜索より今回6月25日の藤原壮一の発見に至るまで一貫して現地を見てもらっている星野貢氏の意見をあらためて聞きたいと質問状を出した。(右川清夫)
その回答を踏まえてみると、とりあえずまかり沢へ落ちたという1月5日にたてた推定は舟橋明賢OB、ガイド星野貢氏の一致したところであった。
質問状
① 雪崩発生に関して
a、当時の雪質より
b、発見現場の地形より
② 雪崩の進行方向より
a、雪崩の最初に突き当たる枝尾根は?(略図)
b、今回藤原君の発見された場所と考え合わせて
今回の発見(自然露出)より捜索区域の限定ということは大きな仕事であります。 そこで6月21日夜、取り入れ口事務所で、ガイド勝山氏、寺田OBを交えて、討論した結果星野さんの意見は1月5日に下ってみたとき、1段2段3段の雪崩があったがその1段目の雪崩は出たとすれば12月30日の地こすり式の相当大きなもの、しかもそれは湿雪であったと言っておられたが、この点もっと具体的に略図も付けて説明してください。
私(右川)は1月にも今回にも現場を見ていないので何とも言えないが私の見解は積雪の厚さを水流上よりはかり12月末のあの雪崩は雪層のどの辺かを調べて現地の地形がそれ自身地こすりを起こしていたのか、もしそうでなく12月末の雪層もそのまま固定していれば、捜索区域も限定されてくるのではないか?
また1月、3月、5月のまかり沢の諸状態の変化、まかり沢の天狗の鼻よりの雪が融けたときの地形について詳しい説明がほしい。
上記の質問に対して雪崩発生の状況について、ガイド星野氏より昭和31年6月25日の藤原壮一君の遺体発見を踏まえて、以下のコメントと現場見取り図を昭和31年7月20日にもらっている。
(星野貢氏による発見現場図参照)
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