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光徳小屋今昔①

学習院大学山岳部 昭和47年卒 秦野郁郎

 3代目の小屋が建て替えられた頃から光と声を利用する人が漸減し始めたため、学習院山桜会を中心とした有志が年に3度光徳小屋に集まるようになったと亡くなった先輩から教わった。

 私が現役の小屋係をしていた昭和40年代は最も小屋の利用者が多かった頃からかもしれない。

 4月の新学年が始まると新入生歓迎や親睦を深めんがために、毎週のごとく研究室やゼミの教授・先輩後輩が連れ立って。光徳小屋を訪れた。目白から電車バスを乗り継いでも3時間ちょっとで着く。 その頃から学生でも車を運転するものが増え、土曜日の午前の授業が終わると、車を連ねて押し掛ける姿をよく見かけた。 1泊200円と言う値段は当時の学生にも魅力だったのだろう。 謄写版刷りの手作りの小屋周辺散策マップを戸山校舎の短大に持っていき、配ってもらったところ、女子学生がたくさん光徳小屋に訪れるようになった。

 私の手元に残るメモによると、当時は年間3000人近い利用者があり、100万円を超える売り上げがあった。 大学山岳部に8万円、高等科山岳部に2万円の特別補助が小屋の売り上げから支給されていた。

 昭和47年に卒業後、光徳小屋を遠ざかってしまったある日、仕事で宇都宮に来たついでに新しい光徳小屋に寄ってみた。 カニパスを超えてゲレンデ近くまで来た時、見知らぬ人に咎められた。 「小屋の利用許可証」を見せろと。 事情を話し3代目の光徳小屋を見せてほしいと懇願したが、とうとう見られずじまいで寂しい思いで帰京した。

山桜通信23号(2005年5月)

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