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光徳小屋創設時の建設作業と戦前の光徳小屋利用のピーク③

学習院大学山岳部 昭和62年卒
学習院高等科山岳部 昭和58年卒 平澤信一

◆山小屋建設状況視察
1939(昭和14)年9月24日
現地の建設の進行状況を確認した。

先生:西崎一郎先生
現役:土田新一、糸井弘之

出典:輔仁会雑誌164号

◆光徳小屋竣工
1939(昭和14)年11月
奥日光、光徳の地に念願の山小屋や完成した。

出典:輔仁会雑誌165号

◆第一回光徳小屋合宿
1940(昭和15)年1月2日-5日
学習院中高等科山岳部の部長とOBと現役で完成を祝う。

先生:西崎一郎部長
OB:木戸孝澄、五島昇
現役:15名
合計18名

出典:輔仁会雑誌166号

◆戦前の「初代光徳小屋」の利用のピークへ
 1940(昭和15)年から、夏も冬も光徳小屋で「奥日光光徳小屋合宿」として1週間程度の合宿が繰り返して行われ、毎回20名以上の部員が参加している。

出典:輔仁会雑誌166号
出典:輔仁会雑誌168号
出典:輔仁会雑誌169号

 しかし、戦況が悪化。1944(昭和19)年には学徒出陣により、高等科生の卒業が早まった。
 山岳部からは舟橋明賢、波多野敬人、三井源蔵が海軍予備学生として、醍醐忠久、石本一雄、尾崎福盛が海軍兵学校に、三樹義夫が陸軍幼年学校に
学徒出陣で部員が出陣して、山岳部の活動は休部状態になった。

 1940(昭和15)年から、1943(昭和18)年までのわずか4年間ほどが、初代光徳小屋の利用の最盛期であったようだ。

◆残された部員たちが、光徳小屋の維持管理を行う

 1944(昭和19)年から1945(昭和20)年まで、中等科5年生で主将を引き継いだ佐久間宏、同級生の犬養康彦、芳野赳夫等が中等科生と3人程度で毎月光徳小屋に通い、小屋の維持管理を行った。

 「当時は、光徳小屋は遠く、日光駅からいろは坂を登り、二日目に光徳小屋に辿り着いた。でも、いつも美しい自然が私たちを迎えてくれた」と芳野赳夫が語っている。

ヒアリング:平澤信一


戦前・戦中も変わらぬ自然が中高等科山岳部の生徒を迎えてくれた



戦前・戦中も変わらぬ自然が中高等科山岳部の生徒を迎えてくれた



戦前・戦中も変わらぬ自然が中高等科山岳部の生徒を迎えてくれた



戦前・戦中も変わらぬ自然が中高等科山岳部の生徒を迎えてくれた



戦前・戦中も変わらぬ自然が中高等科山岳部の生徒を迎えてくれた



戦前・戦中も変わらぬ自然が中高等科山岳部の生徒を迎えてくれた

「光徳小屋創設時の建設作業と戦前の光徳小屋利用のピーク②」から

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