
旧制中高等科山岳部:光徳小屋の設立と活動
学習院大学山岳部 昭和40年卒 檜山栄司
1937年7月、日中戦争(支那事変)が始まり、1938年には国家総動員法が公布され、戦時色が深まりました。 この時期に学習院山桜会は、奥日光の光徳に山小屋を建設する計画を進めました。
1939年8月、約300坪の傾斜地の平地化作業が始まり、先生、OB、そして年少の中等科生までが真夏の作業に従事しました。 夜間にも蝋燭20本を使って作業が行われ、同年11月に、日光光徳小屋が竣工しました。
翌1940年1月2日には、西崎部長、OB木戸孝澄、五島昇、現役のメンバーが1週間滞在し、光徳小屋の完成を祝いました。 3月には、西崎部長他現役の土田新一ら13名が参加する日光春期合宿が行われ、8月には西崎部長他、OB原口らと現役土田ら18名が参加する山小屋合宿が行われました。
舟橋明賢は中等科4年の時、光徳小屋で先輩の周布光兼に連れられて男体山の薙の一つを登り、地図の基本的な読み方を学びました。 秋には三つ峠での岩登りに誘われ、加藤泰安から岩登りは山登りを志すものとして身に付けるべき基本的な技術と教わりました。 彼は戦時中も山岳部の活動を積極的にリードし、戦後も大学山岳部との関わりを続けました。
1940年12月から1941年1月にかけては、神戸商大(現在の神戸大学)と合同で厳冬期に南アルプス・赤石岳登頂が行われ、OBの周布光兼、土田新一と中等科・高等科生、神戸商大生が参加しました。 なお、神戸商大との縁は、OBの田中薫が1927年に神戸高商に奉職し、山岳部長を務めたことに由来します。 土田新一は卒業後、神戸商大山岳部員となりました。
1941年12月8日、ハワイの真珠湾での攻撃を契機に太平洋戦争が勃発しました。
「旧制中高等科山岳部:学習院山岳会(後の山桜会)の設立と活動」から
「1919年度:最初の夏合宿は、カムチャツカ、シベリア、日光、白馬、赤城で始まった」へ
#学習院大学 #学習院高等科 #学習院大学山岳部 #学習院高等科山岳部 #学習院山岳部 #学習院山桜会 #山桜会 #大学山岳部 #高校山岳部 #登山 #アウトドアでたのしむ #アウトドア #山であそぶ #山岳部 #山 #自然 #部活の思い出