聴覚障害のあるわたしと、耳に入ってきたらテンションがあがる音〜6月6日補聴器の日〜
「趣味はなに?」「特技はなに?」みたいな話題があがるたびに、こう答えるようになって数年。この延長線上でよく尋ねられることに、こんな質問がある。
「好きな音楽はなに?」
出会ったばかり、これから相手のことを知っていこう、そんなタイミングでわりと無難そうなその質問は、往々にしてわたしの周りの空気を凍らせる。
よく見ると、わたしの左耳には小型機器が掛かっていて。相手はその白い塊とわたしの顔を交互に見ながら、バツの悪そうな顔をする。
わたしは、聴覚障害者
相手はきっと、社交辞令のつもりで話題に出したその質問がわたしを傷付けると思ったのだろう。だって、質問したのその相手の耳は、キコエナイんだもん。
だからわたしは、iPhoneのホーム画面を開いてニコニコしながら
「わたしのiPhoneにも、 Spotifyが入ってるんだよ。聴こえにくくても、音楽は好きだよ。それにね、中学と大学ではクラリネットも吹いてたんだよ。」
と答える。すると、相手はとってもびっくりした顔をする。その顔を見るのが、ちょっぴり楽しみだったりもする。
ここ数年で、iPhoneと補聴器がBluetoothで接続するようになって、オンラインでの会議や通話がグッと楽しめるようになってきた。
それだけじゃない。ワクワクする待ち合わせに行く道すがら、楽しかったお出かけの余韻に浸りたい帰り道……そんなときに、音楽を聴きたくなることが、ぐんと増えた。そして、音楽を耳に流すことでその道中がもっともっと心躍るものになってきている気がする。
聴覚障害のあるわたしにとって補聴器は、まず身の安全を確保するという大きな役割を持っている。後ろから車がくる音、クラクション、緊急地震速報……この世界には、そういう自分の身を守るために必要な音情報がたくさんある。それらの音を感じるために、周りに人がいなくても、特に外では常時装用している。
それから、相手の話を聴き取ること。この世界に生きる多くの人は音声言語を主なコミュニケーション手段としていて、手話はできない。お店でのお買い物、仕事、友達と遊ぶとき……相手の音声を少しでも聴き取れることは、わたしの生活行動圏を広げてくれる。
ただ、補聴器は眼鏡のようにかけたらはっきりときこえるようになる機械ではない。ホームビデオで撮影した動画のように、周りの雑音も含めて音を増幅させるから、たくさんの音が耳に入ってきても必要な音声を取捨選択することが難しい。それにやっぱり、全部はきこえるようにならない。だから、目で見て分かる手段も併用していきたいところ。
こんな感じで、人によって程度に差はあるけれど、周りの音情報が入ってきて、相手の音声を聴き取れることは、補聴器に求める大きな役割。
旅も写真も文章も、生きていくのに必要不可欠なものではないかもしれない。それでもわたしたちは、相手を知る術として「趣味」を尋ねるし、それらはわたしたちが息をしていくための心の拠り所にしている。
それと同じように、聴覚障害のあるわたしにとってもまた、ちゃんと「耳を澄まして聴かないといけない」オンライン会議だけでなく、「耳に入ってきたらテンションがあがる」音楽が生活の一部になったことは、確実にQOLをあげて日々を豊かにしてくれているんだろうな、なんて思う6月6日。耳に補聴器をつけた形が6みたいなかたちに見えるそんな今日は「補聴器の日」