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音の世界と音のない世界の狭間で

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聴覚障害のこと。わたしのきこえのことを、つらつらと。
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#日記

水色のスモックを着た3歳の女の子は。

水色のスモックを着た3歳の女の子。砂場で黙々と1人で遊んでいる。ふと周りを見渡すと、誰もいない。 「なんでだろう。。。」 そう思って教室へ視線を向けると、同じクラスの友達たちが室内で制作をしていた。 なぜか忘れられない記憶の断片。 幼い頃から耳がきこえにくかったわたしは、たぶん、遊びの終わりの合図がきこえなかったんだと思う。それに加えて遊びに夢中で。教室に帰ることができなかった。 今思い返しても、ショックだったとか寂しかったとかそういう感情が湧くわけではなく、ただそんな記

#ときめく写真の作り方

文と絵をひとりでかく場合 文と絵の関係は まんじゅうの皮とあんこの関係に よく似ている。 (長新太) 大好きな絵本作家、長新太さんが『つみつみニャー』のあとがきでこんなことをおっしゃっていた。 今年の七夕にnoteをはじめたわたしは、一日一記事更新を続けて明日で130日目。もともとは、「書いて書いて考える」ひとつの手段だった写真。でも、長新太さんのこのあとがきを読んで、せっかくなら美味しいおまんじゅうを作りたいと思ったんだ。そこで、アイキャッチや記事中の写真とのバランスを

UDCastで「マチネの終わりに」を観てきたよ。

「映画館デート」って、なんだか定番で憧れるなぁと思うのです。でもやっぱり、わたしの聴こえでは邦画を満足に楽しむことはできない。必然的に洋画を見に行くか、字幕上映期間を狙って観に行くわけだけど。あの、映画の前の予告とか映画館内のCMとかでバンバンと魅力的な邦画の予告が流れるわけで。特に聴こえる人が相手だと 「これ面白そうだね。次はこれを観に……あっ」 みたいな変な間ができるわけですよ。で、すかさずわたしが 「字幕上映、あるといいねぇ。なければ、金曜ロードショーまで待とうか

お空にひびけピリカピララ♪音のある生活は年中無休。

周りの人の声、街中を流れるBGM、緊急車両の鳴らすサイレン音……。わたしたちは、たくさんの「音」に囲まれて生活している。聴覚障害のあるわたしもそんな環境に生きるうちのひとりだ。補聴器を付けて、意識的に音を聴いているときは、という条件付きだけれども。 ここ最近の補聴技術は、目に見えて進歩している。ついにわたしの補聴器は、iPhoneとBluetooth接続ができるようになった。 おかげで、手話ができない聴こえる人たちとも気軽に zoom や LINE でつながることができる

人形が、夢から目覚めない。

お風呂に入る時間が、1日の中で一番好きな時間だ。春夏秋冬温泉に行きたいし、自宅の湯船には、真夏だろうとお湯をはる。 春先に引っ越したばかりの知り合いの家に遊びに行ったら、引っ越して2週間くらい経つというのに「一度もお湯をはっていない」と言われて、本当にびっくりした。せっかく浴槽があるのに、そこにお湯をはらないという選択肢があるのか!そんなのもったいない!、そのままお湯をはって一番風呂にまであずかってきた。わたしのお風呂好きは、お節介な上に、図々しいにも程がある。 お風呂と

マスクと、ソーシャルディスタンスと、日本語と。それでもわたしは、音のある世界をも大事にしたいから。

まぁ、そんなもんだよね。 友達と待ち合わせてカフェに入り、店員さんが放った 「感染症対策のため、お席は横並びでお願いします」 の一言に、特に憤るでもなく「しょうがない」それ以上でもそれ以下でもないと感じた。 もちろん、騒がしい店内で初対面のマスクをつけた店員さんの声はわたしの脳内には届かなくて、友達の復唱を頼りに知った一言なのだけれども。 聴覚障害と言っても人それぞれで。 わたしときこえは、左右でだいぶ差がある。 左耳は補聴器をつけていて、ある程度聴き慣れた人の声であ

こんなご時世だって、東京にだって、あたたかい場所はちゃんとある。 #余韻を味わう夏の果て

都会の喧騒を背に路地をちょっと入ると、どこにでもありそうな白いドアが立ちはだかっていた。 前回ここに来た日は、凍てつくような寒い日で。 ドアを開けた瞬間に、かじかんだ手と氷が張っているのではないかと錯覚するような顔が、ふにゃふにゃととろけそうになったな。 なんてことを、遠い昔のように思い起こす。 たった半年ほど前のことなのに。 ちょっぴり緊張しながら約束の時間まであと10分であることを確かめて、そのドアを開けた。 「こんばんは」 そう一言口にすると、懐かしい顔ぶれが

当たり前だけど、どこか当たり前じゃないこと。

何をそんな当たり前のことを。今更。 最初から「聴覚障害のあるわたし」と出会った人たち、たぶん、このnoteを読んでくれている人の多くは、きっとそう言うだろう。 でも、あなたがもし6歳の子どもを持つ親で、ある日いきなり病院で 「この子は右耳が全くきこえていませんね。今の医療技術では、きこえるようにはなりません」 なんて宣告されたら、どうだろう。つい数秒前まで「きこえる子」だと思って育ててきた目の前の我が子が「きこえない」と言われてもきっとピンとこないだろう。 それは、

わたしは、わたしたちは、「かけはし」を必要としていて〜玉城デニー沖縄県知事の会見動画から〜

誰かが話を始めると、何事もなかったかのようにまた誰かがその隣で手を動かし始める。わたしはその話者と手話通訳を視界の同じ画角に入れながら話しを理解していく。 手話を習得してから早9年目。それが長いのか短いのかは分からないけれど、日本語と手話を使いながらの生活が続いている。 この世界の大多数の人たちは「音の世界」の住人だから、「音声」を「手話」に通訳してもらうことが、習得前と比べて格段に増えた。 学生時代は学務課を通して、仕事を始めてからは事務を通じて。個人で派遣を依頼する

一人の夢では叶わないが、みんなの夢になれば実現する。

「わからないこと」が 当たり前だった。 高校2年生の時、担当の先生が変わったその日から数学の授業についていけなくなった。今思えば、彼が黒板に向かって喋り続けていたことから、わたしの耳にも目にも情報が届いていなかった。だから、あの日から数学は気付いたら黒板に文字が増えていく不思議な時間になった。 大学に入って、ノートテイクを受けながらびっくりした。黒板に文字が増えていく中、教授が解説をしていることをノートテイカーさんの文字を通して知ったから。 高校のとき「わたしの努力不足

あの日あの時。わたしの音だけがホール中に鳴り響いて、時が止まった。

SpotifyのBGMプレイリストから、『魔女の宅急便メドレー』が流れてきた。心地よいリズムに、つい音階を口ずさむ。相変わらずわたしは「歌えない曲は、演奏できないんだよ」の教えをわりと信じている。 大学時代。地方の国立大学にある、小さな小さな吹奏楽部に入っていた。楽器は、母から譲り受けたクラリネット。毎年冬に開催されるコンサートで、そのクラリネットパートは暗黙の了解のように毎年ジブリメドレーを演奏していた。 わたしが初めて参加したその年、パートリーダーの先輩が持ってきたそ

狭間をぴょんと飛ぼうとするとき、世界はちょっぴりやさしく、輝きを増すのかもしれない。

彼は、相変わらず、ずるい。 夜更かしをして、ちょっぴり遅く起きた朝。テレビを見ながら、ふとこうつぶやいたんだ。 ぼくたちもテレビを消音にして字幕だけを眺めたら、 案外違和感なんてないのかもね。 要は、きこえるぼくたちが、sanmariの世界に行くってことだよ。 前夜の雨なんてウソだったのかもしれない。 そう思ってしまうくらい、見事な青空の広がるお昼どき。 テーブルの上には、ほかほかのご飯にお味噌汁、だし巻き卵に、昨夜の残り物たち。 外の世界では「緊急事態宣言」なんて物

目で理解するわたしと記者会見のこと。

都民への自粛要請以降、都知事だったり首相だったりが入れ替わり立ち代わりのようにテレビの画面のその先で、会見をしている、ようだ。 「なんか大きな発表があるらしいよ」 そう目にするたびに、テレビをつけて記者会見の様子を眺めてきた。 テレビの画面のその先で、「なにか深刻な問題について話がされている」ことはわかる。それでも、難聴のわたしにはその会見の内容の全てはきき取れない。 字幕をつけてくださる方が懸命に字幕をつけてくださっていることは、画面のその先からも伝わってくる。それで

音の世界と音のない世界の狭間で⑤

きこえない人あるあるだと思うんだけど、初対面の人に会うたびによくたずねられること。 あなた、ろう?難聴? どちらと答えても相手にがっかりされることがある。 。。。 どう答えるのが正解なんでしょう。 ちなみに、東京都聴覚障害者連盟のHPによると ろう者 ・補聴器等をつけても音声が判別できない場合 ・手話を母語もしくは主なコミュニケーション手段とする人 難聴者 ・残存聴力を活用してある程度聞き取れる ・音声言語が中心で手話を使わないか補助程度の人 とするらしい。