あの日あの時。わたしの音だけがホール中に鳴り響いて、時が止まった。
SpotifyのBGMプレイリストから、『魔女の宅急便メドレー』が流れてきた。心地よいリズムに、つい音階を口ずさむ。相変わらずわたしは「歌えない曲は、演奏できないんだよ」の教えをわりと信じている。
大学時代。地方の国立大学にある、小さな小さな吹奏楽部に入っていた。楽器は、母から譲り受けたクラリネット。毎年冬に開催されるコンサートで、そのクラリネットパートは暗黙の了解のように毎年ジブリメドレーを演奏していた。
わたしが初めて参加したその年、パートリーダーの先輩が持ってきたその楽譜は『魔女の宅急便メドレー』
小さい頃、多分金曜ロードショーを録画したのであろうビデオテープを擦り切れるほど毎日鑑賞していた。録画されていたのは『となりのトトロ』と『魔女の宅急便』
楽しみだなぁ。そう思いながら楽譜を眺めていると、スコア譜(全パートがまとめて書かれている楽譜)を眺めていた彼がこう呟いた。
「sanmari、ソロあるじゃん」
たった一章節。でも、曲と曲のつなぎ目のいわば次の曲のテンポを決めるまぁそれなりに重要なポイントにわたしのソロパートが登場していた。
聴覚障害のあるわたしにとって、自分自身が演奏をしながらその曲の全体像を捉えることはとても難しい。まず、右耳が全くきこえないから、自分より右から発せられる音源は基本的にきこえない。
それから、わたしの耳には「きこえやすい音域」と「きこえにくい音域」がある。訓練をすればある程度聴き取れるようになるけれど、自然に聞き取ることは難しい。
まずは、楽譜を見ながらひたすら歌う。いつも同じパートを演奏していた先輩が「歌えない曲は演奏できないんだよ」と言ってくるから、基礎練習の後は彼の吹くクラリネットに合わせて楽譜の音階を歌う日々。
その一方で、同じメロディーを吹いているパートを探しては、個人練習の合間に聴き取りやすい場所で楽譜を追いながら何度もそのメロディーを吹いてもらう。それでやっと初めて、合奏中になんとなく合わせることができる。
クラリネットのソロは大抵高音域を担当する1st.のパートに多く登場する。残念ながらわたし自身高音域の聴き取りはそこまで得意じゃないこともあって、1st.は避け続けてきたからソロを担当することもほとんどなかった。
そんな中、突然やってきたソロパート。大学に入って初めてのソロパートが突然降りかかってきたのだ。
そもそもアンサンブルだから、基本的に同じリズムを吹いている人はいなくて常に1人1パート。今まで「誰かに合わせる」練習ばかりしてきたわたしにとって、「自分に与えられたパートに自信を持って演奏する」ことは未知の世界。
「きこえないから合わせられない」に苦しみ悶えていたわたしにとって、アンサンブルは救世主のような、そんな気がしたのはほんの一瞬。
今までは息を吸うタイミングだって誰かに合わせてきたのに、そのパートを演奏する人が一人になると、誰かに合わせて息を吸うということも叶わない。アンサンブルは、「自分ですべてのタイミングを判断していく」ことをしてこなかったツケが回ってくる機会になってしまった。
タイミングがわからなくて、怖くて入れない。入れたとしても自信がないからダイナミクスに欠ける。もちろんソロパートでもテンポを崩す。
全てが悪循環で「sanmariちゃん、無理ならこの部分僕がやるよ」なんて先輩に言われてしまうことも一度や二度じゃなくて。とにかく凹んで凹んだ。
それでも頑張れたのは、練習の折々に音の反響が少ない個室で個人レッスンをしてくれた先輩たちと、何よりも『魔女の宅急便』が好きという気持ちだったと思う。
本番前日、製本した楽譜にパートのみんなが書き込みをしてくれる。
「ここ、一緒に頑張ろうね」「ここはわたしと一緒だから、アイコンタクトを取り合おうね」
とか。そして、ソロパートのたった一章節には、音符が見えなくなるくらい真っ黒な黒猫ジジのイラスト。
そんなこんなで迎えた本番当日。大好きなパートのみんなと眩いスポットライトの下、キキとジジのコスプレをしていざ演奏。何度もなんども演奏したその曲は、まるで草原にふく風のようにそよそよと、自然に流れていった。
あともう少しで後半。その瞬間にやってきたわたしのソロパート。(どうしよう。こんなにもうまくいっているのに、わたしがとめちゃったらどうしよう)そう思うともういてもたってもいられなくて、「今すぐステージから消え去りたい」そう思って周りを見ると、みんなが頷きながら笑顔でわたしを見つめてくれていた。
その次の瞬間。
タラ♪タラ♪タータッター♫
わたしの音だけが、ホール中に響いて、時が止まった
ような気がしたけれど、それは本当に本当に一瞬で。次の瞬間には、何事もなかったかのように曲が続いていた。そう、わたしのソロは成功して、曲は止まることなく盛り上がって最後まで進んでいったのだ。
演奏を終えてもなお震えるわたしの指先に、同期がニヤニヤと笑っている。「やればできるじゃん」わたしを凹ませたあの先輩も肩を叩いてくれる。
確かに吹奏楽はそれぞれのパートが一つに合わさって一つの曲を作り上げる。そのためにはもちろん「合わせる」ことが必要になってくる。でもそれと同じくらい「自分のパートに責任をもつ」こともまた大事だし、それはきこえにくくたってできるんだ、そう知った『魔女の宅急便メドレー』
相変わらずわたしの中で『魔女の宅急便メドレー』は特別な曲になっていて。今日もiPhoneから曲が聞こえてくる。あのソロパートの部分が来ると、ちょっぴりにやけちゃうわたしも、相変わらず。
タラ♪タラ♪タータッター♫