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一人の夢では叶わないが、みんなの夢になれば実現する。
「わからないこと」が
当たり前だった。
高校2年生の時、担当の先生が変わったその日から数学の授業についていけなくなった。今思えば、彼が黒板に向かって喋り続けていたことから、わたしの耳にも目にも情報が届いていなかった。だから、あの日から数学は気付いたら黒板に文字が増えていく不思議な時間になった。
大学に入って、ノートテイクを受けながらびっくりした。黒板に文字が増えていく中、教授が解説をしていることをノートテイカーさんの文字を通して知ったから。
高校のとき「わたしの努力不足」でしかないと思っていた数学は、「きこえないこと」による理解不足であったことがわかった。(数学的センスがピカイチなわけではないので、単に向いてなかったことも関係するだろうけれども)
それからわたしは「他の学生と同じ授業料を払っているんだから、ちゃんと情報を得たい」とノートテイカーさんや手話通訳者さんを求め、情報を得てきた。
学校ではある程度の情報が保障され、職場でも手話を使ってもらい、プライベートでも手話者もしくはきき取りやすい少人数と付き合ってきた。
仕事を始めて約1年半。旅が好きで、文章が好きで、写真をはじめたわたしは、音の世界に一歩ずつ踏み出すようになってきた。
おそるおそる。
「わたし、きこえにくいんです」
そう言いつつも、高校を卒業してから約7年間「きこえない」ことに対してある程度知識のある人たちに囲まれてきたわたしは、自分の「きこえなさ」をどう説明したら良いのか、正確には分かっていなかった。
そんなある日。所属している音の世界 #dotcolony でイベントを開催するにあたり、スタッフを募集していた。
なにかが、変わるかもしれない。
それが何かはまだはっきりしていなかってけれど、ビビッとそう感じて手を挙げてみた。
おそるおそる。
今回のイベントは、トークショー。
まぁ、全部はわからないだろう。でも、そんなもんか。
そう思っていたわたしに、もう1人のわたしが囁いた。
わかんなくて、いいの?
いや、よくない。せっかくの機会だもの。参加するなら、ちゃんと情報を得たい。
わたしの情報源はどこ?
耳ではない。目だ。
そう。
手話通訳を派遣して貰えばいいんだ。
授業でもなければ、病院でもない。仕事でもなくて、これはただの趣味だ。
自分がきこえないのに、自分の意思で「音の世界」に飛び出そうとしているのに公的サービスである手話通訳をお願いするのは贅沢なんじゃないか。
そんな葛藤が2週間くらい続いた。
でも、やってみなきゃわかんない。動いてもいないのに諦めるなんて、それもおかしな話だよな。
自治体の手話通訳派遣センターに申し込みの連絡をした。
おそるおそる。
送ってすぐに後悔した。
わたしの贅沢のために、こんなわがままを言ってしまうなんて。
返信は、想像以上に早くきて。
あれ?
これって、わがままじゃなかったの?
というのも。
わたしは、「障害者差別」という言葉を安易に使う当事者が苦手だった。
「差別だ!」と言われて怯まない健常者がいるだろうか。使い方によっては、物凄く鋭い刃のような言葉で、できれば使いたくないなぁと思っていた言葉のひとつだった。というか、わたしにはイマイチこの言葉の使いどころか分からなかった。
でも、どうやらイマがこの言葉の使いどころだったらしい。
今回は予算等々の都合で、わたしが個人依頼をして通訳をお願いした。
スタッフのSlackで通訳派遣の依頼が正式に決まったことを伝えると、あれよあれよと言う間に通訳さんの立ち位置だったら事前の打ち合わせだったりについての質問が運営の皆さんから寄せられた。
「わたしのわがまま」ではなく「イチ参加者として、どんな通訳のあり方を求めるのか」を真剣に考えてくださる雰囲気が、そこにはあった。
その雰囲気は当日会場を包み込んでいて。通訳さんが帰り際
「こんなにも通訳のことを考えてくれるイベント、はじめて通訳しました。素敵なお仲間に恵まれていますね」
こう述べられた。
そのあとすぐに集合写真を撮るから我慢したけれど、わたしはあそこで泣いちゃいそうだった。
言語は世界の限界である
なんて言葉があるけれど、それは本当で。みんなが盛り上がっているラジオもzoomで盛り上がっているレタッチ会の録画も「どうせわからないから」とファイルを開くことさえしていなかった。
自分で自分の限界を勝手に決めていた。
でも、「どうせわからない」と限界を決めつけていたのはわたしくらいだったのかもしれない。世界は、わたしの想像以上に大きくて優しかった。
一人の夢では叶わないが
みんなの夢になれば実現する。
登壇者の一人である古性のちさんがこう仰った。
本当にその通りで。
わたし一人が「これも、わかったらきっと楽しいんだろうな」と夢見ているだけではなにも実現しなくて。周りが一緒に「手話通訳のあるイベントを作ろう」と盛り上がってくださったからわたしの世界が一歩踏み出した。
一緒にわたしの夢を追ってくれた ミツバチワークスの光山さんをはじめ、 #dotcolony の運営のみなさんと会場の皆さんの暖かい雰囲気があったからこそ実現した今回のイベント通訳。
写真は目に見えるメディアで、日本語の得手不得手に関係なく聴覚障害者が自分を発信できるツールになっている。それでも、情報保障が整っているイベントはまだまだ少ない。
旅が好きな聴覚障害者もたくさんいる。でも、聴者が主催するイベントに手話通訳はなかなかなくて、聴覚障害者同士で意見を交換することが多い気がする。
もちろん、聴覚障害者同士だからこそ見える視点もある。でも、どちらの世界も知った上で自分の写真なり旅なりをさらに彩るきっかけはひとつでも増えたらいいなぁと思っている。
帰り際に通訳さんがおっしゃったように、わたしの所属する「音の世界」は幸にしてどこもあったかい。
だからこのあったかさをわたしだけが独り占めするのでなく(しちゃいたいけれど)、社会全体がこのあったかさに包まれるようにちょっとずつ、動いていけたらいいな。
「音のない世界」の住人が「音の世界」との行き来をもっとスムーズにできる世界になるように、この世界の片隅で一歩ずつ歩みを進めていこう。
この歩みが、わたしを包み込んでくれてある優しい世界の皆さまへの恩返しになると信じて。
✳︎追記✳︎
今回のイベントは、こちらでした。
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