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ナルシシズムと自己愛


以下では、精神分析学の観点から、フロイト、ユング、クライン、ラカンの理論を統合して、ナルシシズムの原理について説明していく。


フロイトはナルシシズムを第一次ナルシシズム第二次ナルシシズムに分けた。

第一次ナルシシズムは、幼児期の自体愛である。幼児はまだ他者の認識が未熟なため、欲求(摂取/支配)が完全に満たされた全能感の妄想を抱いている。

幼児は、まだ理性の発達が未熟なので、快か不快かの快感原則によって動いている。幼児は、快感原則と原始反射の機能を使って認知を発達させてゆく。

幼児は、自分の欲求がすべて叶うわけではない現実にフラストレーションを感じることで、他者像(世界)の認識を成熟させ、かつ他者が持つ権力が自分の持つ権力よりも強い現実を認識しはじめる。自分は世界を自分の欲求どおりに自在に操ることはできないからである。

これにより、幼児の自我像の中に、理想自我が形成される。理想自我とは、理想的な自分のイメージであり、それは完全性への憧れである。それは自分の思うように欲求を叶えてくれない他者像の視線によって形成される理想的な自我像である。原始的な他者像は世界(自然)であり、養育者(母親)であり、第三者(父親と社会)である。

このように他者から見られている私という幻想によって、自己像が形成してゆく過程を鏡像段階という。いわば、鏡に映る像が自己認識に至るかのようだからである。

他者の視線は、一つは、社会的な法(父の名)として機能する。これは自己の欲求を制限してくる権力である。この権力は自分の持つ権力より強いので幼児はその力に屈服させられる。これが超自我元型(オールド・ワイズ・マン:理想の父親像)となる。

もう一つは、自分の欲求を完全に叶えてくれる理想的な保護的な他者像である。これがリビドーの向かう対象の元型(グレートマザー:理想の母親像)となる。

この理想の父親像と母親像が、性的に発達することで、男性にとってのアニマ(理想の女性像)、女性にとってのアニムス(理想の男性像)へと変質する。

また、この現実に打ちのめされるストレスが劣等コンプレックスとなり、これを克服して理想自我へ近づきたいという欲求が、リビドーの原動力となる。

それと同時に、幼児は他者像の持つ権力に対して原始的な生の本能(エロス)と死の本能(タナトス)を働かせる。エロスとは欲求を制限してくる他者像(理想自我の投影)と同一化したいという性愛的な欲求であり、タナトスとは欲求を制限してくる他者像(理想自我の投影)を破壊したいという破壊衝動である。この表裏一体のエロスとタナトスがリビドーの本質である。リビドーは対象に向かう本能的な欲動なのであり、理想自我を他者に投影する投影同一化なのである。自分を守るためのこのような最初期の自己防衛システムを原始的防衛規制という。

エロスは憧れであり、タナトスは羨望であり、他者の視線は良心である。憧れは幼児はこの理想自我に対するリビドーを最初の対象(母親など)に投影同一化する。そして、それは迫害意識や感謝になる。また、第三者(父親や社会の仲間など)は競争相手として存在するので、去勢不安嫉妬が生まれる。

健康な発達では、リビドーは外界の他者(外部対象)へと投影される。そして、社会的に承認されることを目指して努力したり、他者に恋愛感情を抱くようになる。

しかし、他者との関係(対象関係)の構築が上手くいかず、幼児が虐待などで本来の防衛機制の能力を越えるストレスに晒されると、外部対象(他者)へリビドーを向けることに挫折を経験し、リビドーが向かう対象が性的倒錯して内部対象(自我)へ向かうようになる。これが第二次ナルシシズムである。このように、本来向かうべき性愛の対象が、挫折を経験することによって倒錯的に屈折することをフェティシズムという。つまり、第二次ナルシシズムとは自分フェチのことである。

第二次ナルシシズムは、パラノイア(妄想)の状態なので、自分があたかも理想自我の全能感を持っているという誇大妄想に心酔することで、自己を偽り、自己の負の面や至らない部分(シャドー)を抑圧し、現実から目を背けることで、脆弱な自我を保っている。これは、自分のポジティブな面しか見ずネガティヴな面から目を背ける抑圧状態なので、躁的防衛とも言われる。

一方、健全な自己愛とは、自分の良い面も悪い面も統合的に受容している状態である。対象関係論は乳児期の母子関係に基づく理論だが、そこでは対象像の良い面(良い乳房)や悪い面(悪い乳房)を部分対象、両面ある統合的な対象像(母親)を全体対象という。自他の良い面と悪い面という二極的な部分対象しか意識できない状態は、分裂的であり、妄想的なので、妄想的・分裂的ポジションという。このポジションにいる乳児は敵が味方かの極端な思考をしている。

やがて認知の発達によって、良い面も悪い面も統合的に全体対象として意識できるようになるが、その際に良い面をも持っている対象を自分は攻撃、憎悪してしまっていたことに気づき、原始的な罪悪感を抱いて、償いたいという抑うつ状態に陥る。この状態を抑うつポジションという。

通常、この妄想的・分裂的ポジションと抑うつポジションを反復しながら、徐々にバランスを獲得していく。愛情深い両親に育てられると、良い面が悪い面よりも優勢すると認識できる。すると、その後の世界観や対人関係も全体としては善いものと認識できるので、精神は安定し、ストレス耐性の幅は広がる。こうしたバランスの取れた統合的な自我像をセルフ(自己)という。それゆえ、自我が極端な理想自我ではなく、セルフ(自己)を獲得することが一つの目標となるだろう。

自我を統合するからといって画一的なものになってしまうことを恐る必要はない。セルフ(自己)の状態は、ありのままでも個性的な自己同一性(アイデンティティ)として機能するはずである。

自他像(自己を投影した他者像)には破壊してしまったものを修復する能力(償う能力)があると信じられると、パラノイアの状態を回避できる。しかし、幼児期に修復能力がないと感じさせるような大きな悲哀(虐待や両親の死などの対象喪失)を経験すると、良い面が悪い面に優勢することができず、悪い面が良い面に優勢してしまってパラノイアの状態に陥り、神経症や、あらゆる性的倒錯(フェティシズム)や、各種パーソナリティ障害を引き起こしやすい。また、自己同一性(アイデンティティ)がバラバラな分裂状態にあるために統合失調症になることもあるし、躁的防衛と抑うつを反復強迫する双極性障害になることもある。

第二次ナルシシズム(自己愛性パーソナリティ障害)については言及したので、境界性パーソナリティ障害に関して補足すると、そのような症状の人は、他者像について敵(悪)か味方(善)かの二極思考に陥るかと思えば、極端な罪悪感に陥るなど、その三つの状態を激しく嵐のように反復強迫する。

だから、生きやすい精神状態を獲得するには、ナルシシズム的な屈折的で肥大した自己愛でなく、穏やかに統合された健全な自己愛を育むことが大切である。

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