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科学と宗教の狭間。勉強したことのメモ帳(備忘録)。分野は問わない。神学、哲学、生物・心理学系が多い。

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心の哲学における私の仮説

心の哲学についての私の仮説。 ー意識の現前には何も存在しない。意識の背後に器官なき身体(欲動)が、宇宙(法則)が、超越(偶然)が存在する。立ち現れる現象の中で、質と量は重ね描かれている。ー 認識論から出発した時、私は私というフィルターを通した世界しか見ることができません。その世界を「現象界」と呼びます。ですから、身体や物質や他者も私の現象界の中に存在します。しかし、意識が単にその表層的なものだけならば、なぜ私は現象界を明晰夢のように自在に操れないのでしょうか?私が現象界を

    • 極楽浄土(ユートピア)とは

      生と滅が繰り返す現象を生命という。滅のみに留まることを死という。ならば、生のみに留まることはあるのか。それを魂というのか。 この世界が平等だと思われるのは、世界の法則においては平等ということ、くらいである。 物質は平等ではないが法則は共有される。物質は共有するのが難しい。ある者が使用しているらあいだはある者が独占する。空間と時間が共有を不可能にする。しかし、情報は時空を超えて共有できる。 物質がなくなり、情報体になれば、すべては共有できるので、ユートピアは完成する。しか

      • 川端康成『雪国』

        • 自然神の理

          なぜ自然は残酷なのか、僕には到底理解が及ばない。 宇宙の構造からしてそうだから、人間の罪ゆえにこうなったとは思えない。 自然神が残酷だから宗教儀式も生贄を必要とした。 人間も自然だから人間も元々残酷だ。 しかし、人間の理想世界は自然神に抗うもの。 ただ平和に快適に暮らしたいというのが人間の理想。 宗教は人間に優しい神を思い描き、宇宙からの解脱をさえ希求した。 快楽主義は、人間に都合のいい面だけ見ようとする麻薬だ。 文明は人間の安楽のために自然を支配しコントロー

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        心の哲学における私の仮説

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          童話「赤ずきん」とキリスト教的世界観

          論考: 童話「赤ずきん」の原型とされるポール・ドラリュが編集した民話『おばあちゃんの話』を読むと、イザナギとイザナミの冥界下りにも通ずる構造があるが、特にキリスト教的な救済の世界観が濃厚だと思われる。そこに、子供と大人の対比、女性と男性の対比などの比喩が巧みに組み込まれている。※原文の翻訳は後半に引用があります。 お母さんの家は天界、おばあさんの家は冥界。お母さん、温かいパン、ミルクは生命。おばあさん、おばあさんの肉と血は死。途中の道は地上の人生の歩み。スモモの木は聖性。

          童話「赤ずきん」とキリスト教的世界観

          信用についての考察

          ◆信用とは 信用(客観性)とは、この人はこのような状況の時には、このように行動する、行動しないという経験的データに基づく信頼(主観性)度(確率)のこと。良いこと(例えばあの人は約束を守る)にも悪いこと(例えばあの人は約束を守らない)にも使えるし、0・100ではなく確率分布(例えばあの人は3回のうち1回は約束を守る・守らない)を持つ。 ◆信用には感情レバレッジが働く 信用も信頼度であり、信頼は主観性なので、データは曖昧で適当な印象であることも多いし、感情によって比重が極端

          信用についての考察

          わたしの超越論と自由意志論

          僕は人間には自由意志は存在しない可能性が高いと感じている。決定論か偶然論かでいったら偶然論の方を支持するけれど、偶然と意志は別物だと思う。自分が物事のどちらを選択するかも実は偶然なんだ。すべては偶然性が孕むから運命は決まっていないけれど、そこに自由意志は介在できない。自由意志があるとするならば、それは宇宙外の力(物理法則の相互作用を受けない力)でなければならないから。もし自由意志があるならそれは神しかいない。ということは法則と偶然の正体は神の意志かもしれないので、人間には神に

          わたしの超越論と自由意志論

          メラニー・クラインの対象関係論

          メラニー・クライン(Melanie Klein) 生年月日:1882年3月30日 - 1960年9月22日 出身:オーストリア、イギリス 人種:両親ともにユダヤ人 両親:父親モリッツ・ライツェス(医師)、母親リブッサ・ドイチュ 兄弟:四人兄弟の末子(1876年姉エミリー、1877年兄エマニュエル、1878年姉シドニー) 理論:対象関係論(Object Relations Theory) 英国精神分析の流れ アーネスト・ジョーンズ(1879-1958) ↓ アンナ・フロイト

          メラニー・クラインの対象関係論

          著名なアニメ・漫画の年表

          自分なりにまとめてみた。

          著名なアニメ・漫画の年表

          進歩史観よりも構造主義ーないものねだりではなく、すでにあるものを見つける視座ー

          世界全体を総合的に見ると、世界の徳は進歩しているわけではなく、メリットとデメリットが形を変えているだけで、構造そのものは何も変わっていない。 だから、僕は社会変革に関心がない。社会は自ずと変化する。それをただ冷徹に眺める。むしろ、僕自身は、愚痴や不平不満よりも、今この日常から幸福を抽出する方に意識を向ける。どんな環境であっても。それは普遍だから。 デタッチメント、ノンポリ、これは社会人として良くないという風潮もある。しかし、大半の人は実質そうだ。ただニュースを眺めて分析し

          進歩史観よりも構造主義ーないものねだりではなく、すでにあるものを見つける視座ー

          村上春樹『納屋を焼く』考察

           この作品は、村上春樹の短編集『螢・納屋を焼く・その他の短編』(1984)の中に収録されている。  この短編には、「僕」と「妻」と「彼女」と「彼氏」が登場する。  「僕」は既婚者だが、ガールフレンドの「彼女」と交際している。「彼女」はパントマイムを習っている。パントマイムは”ない”ものを”ある”かのように演じるものだ。彼女は「蜜柑むき」のパントマイムをよくするが、そのコツについて、「そこに蜜柑があると思いこむんじゃなくて、そこに蜜柑がないことを忘れればいいのよ」と答えてい

          村上春樹『納屋を焼く』考察

          ちんちくりんりん

          僕の熊さんはうさぎに食べられた。 古い友人を訪ねた。バス停は必ずどこかのバス停に繋がっているのかな。トンネルはひんやりしている。 赤い橋は自然には強すぎる色だと思う。なのに写真に撮ってしまった。僕もただの人間なんだ。 君は他の人間とは違うと思うかい?それとも人間が好きかい? せっかくはるばるやってきたのに、かくれんぼする。もぐらたたきみたいに血眼になる。ごめん、そんなつもりはなかったんだ。 また来るよ。何かを受け取って帰れる気がするし、この想いは必ず詩にするから。

          ちんちくりんりん

          『レキシントンの幽霊』

          幽霊とは何なのか。 そこに幽霊が存在するのであって、幽霊という記号に特に意味はない。だが、記号の集合体からホーリズム的に醸し出される記号は、もはや記号の体をなしていない亡霊のようなものだ。 幽霊は薔薇を携えているのかもしれない。あの洋館で。 感情は直接表現するに値しない。そうしたざわめきは亡霊を呼び寄せる。霧の中で執り行われる儀式には似合わない。 それよりも天文学者を招き入れよう。彼は神秘を語ってくれる。豊かな記号の海に自由に線を引くのがいい。 なぜだか独りな気がし

          『レキシントンの幽霊』

          ラッキーマンの哲学

          ラッキーマンの哲学的本質は、陰陽である。すなわち、ツイてないとツイているは表裏一体だということ。彼は、変身前はツイてなく、変身後はツイている。つまり、彼の本質は、ツイてるとかツイてないとかではなく、"超低確率を引き寄せてしまう特殊能力"にあるのだ。 量子力学的に確率0%のことはあり得ない。ラッキーマンは超低確率を引き寄せてしまうので、負けることはない。そんな彼に勝てる存在はいないのか?作品の中では勝利マンが彼に負けなかった(?)ことがある。勝利マンは事実上どんなに負けている

          ラッキーマンの哲学

          現実(Actuality)とは何か

          現実(Actuality)とは何か。 実在(Reality)は、認識する主体=「私」に属する。現実(Actuality)は、認識される対象=〈私〉に属する。 身体は、「私」と〈私〉の媒介である。身体は世界に属する。 〈この現実〉は感覚に属するが、〈あの現実〉は推論に属する。 世界は感覚と論理を「私」に付与する。 「私」(実在)は、身体(世界)を媒介として感覚と論理によって現実〈私〉を認識する。 すなわち、感覚を通して〈この現実〉を認識し、推論を通して〈あの現実〉を

          現実(Actuality)とは何か

          アメリカ&ラテン音楽史のメモ

          ※この記事は、丹精込めて書いていますが、独学のメモ程度のものです。まだまだ未完成であり、今後も加筆・修正してブラッシュアップしていく所存です。情報は共有したいので無料で公開していますが、記事を作るのに労力がかかっているので、サポートしてくださると大変嬉しいです。 【アメリカ音楽】 ◎白人音楽◆クラシック有名曲: ・ジョン・フィリップ・スーザ(1854-1932)   「Stars and Stripes Forever(星条旗よ永遠なれ)」1896   「ワシント

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