act:20-オレの夏やすみ 養老渓谷の弘文洞、粟又の滝にカッパ淵の少年【川遊び編】
オレの夏やすみは忙しい。毎朝5時に起床しカブトムシやクワガタの確保を行い、そして大人から毎朝半強制的に参加を強いられるラジオ体操への出席を済まし、家に帰って仏壇にお線香をあげ、朝ごはんを十分平らげエネルギー補給をして、その上で本日ノルマ分の夏やすみの宿題を片付けるのだ。
そのあとは青龍神社に集結した我らが大多喜無敵探検隊メンバーたちと、この大多喜の愛と平和のため町の定例パトロールだ。今日は駅前のディスカウントストア『ポピンズ』もスーパーストア『デンベー』も、そして大多喜キッズの聖地、駄菓子屋のバクダン屋も加賀屋も、特に大きな問題は見当たらなかった、今日も大多喜は平和であったぞヨシヨシ!
あぁそうだった、唯一ユーイチがバクダン屋の爺さん婆さんの前で禁断の『バクダン屋のテーマソング』を歌い上げたのは想定外だったがな!
‥どうだフフフ、ここまで郷ひろみのような大スターでさえ怯んで寝込んでしまいそうな過密スケジュールだろう、しかし誰より優秀なオレだからこなせているのだよ(ニヤリ)。
さらに今日はまだまだこれでは終わらない、これからオレと弟のクニオは新聞記者の父さんにくっついて、養老渓谷の弘文洞というトンネル川に観光促進のための取材に同行なのだ。
オレたち兄弟は、また写真モデルとして好きなように川遊びでもしてればいいのだろう、その後はきっとご褒美でカキ氷かアイスクリームだぞ!
運転手付きで川遊び、最後はカキ氷かアイスクリーム、まるで貴族のようじゃないか、オレたちゃウハウハぼろ儲けだ!やったなクニオ!
さぁー早く昼ごはんのそうめんを食べてしまおう!
‥と、まぁここまではプロローグでしかない、詳しくは前章 act:13【早朝編】そしてact:14【定例パトロール編】を参照してほしい。
ちょうどオレがお昼のそうめんを食べ終わった時だった。
『サナダたいちょーあそびましょ!』
突然オレを呼ぶ声がしたのだ、それも玄関ではなく縁側からだ。誰だ軽々しくオレを呼ぶやつは!
そもそも縁側から声をかけるということは、つまりは許可なくうちの敷地に勝手にズカズカ入ってきているということだ、なんて図々しいんだ!そんな無礼なやつの顔なんて、ちっとも見たくないぞ!第一オレはこれから父さんの取材同行で忙しいんだ!
メンドクサイので無視してたら再度、今度はもっとデカい声で
『たぁぁあーーいちょぉぉぉぉおおー!!』
『あっそびましょぉーーぉぉぉおおおおーーおおおー!!』
うわ本気でウゼぇ!
この暑い最中、アブラゼミもビックリのひときわ暑苦しい声で叫びやがって、どこのバカ野郎だとイライラしながら縁側に出てみると、そこには浮き輪を肩にかけ、タオルを首に巻いた海パン姿のユーイチが立っていた。
『‥お、おぅ、これは一体!?』
水遊びする気満々じゃないかユーイチよ。そんな恰好でキサマは一体どこに行こうというのだ?
そういやさっき加賀屋(※1)からの帰り際に、オレが午後から養老渓谷に行く話をしたら、ユーイチも非常に行きたそうな顔をしてたもんなぁ、なるほどなぁ‥。
でも待てオレはひと言も誘ってないぞ?まさかクニオが誘ったのか?
聞くとユーイチは、オレたちと一緒に養老渓谷に行くことを親に話してOKもらってきたという
『ふーんそっかぁー、よかったよかった。』
‥いやいやちっともよくないぞユーイチよ、まず第一に誰もオマエを誘った覚えはない。さらにこれは遊びじゃないぞ、オレたちには高尚な使命があるんだ!
いいかよく聞くんだ、これは我が父の仕事のお手伝いで新聞の取材だ!この過疎と高齢化に苦しむ我らが大多喜町に、一人でも多くの観光客を誘致するための大切な大切な極秘ミッションなのだ!
この際だからはっきり言おう、つまりオレたちの肩には、この大多喜の未来がかかっているということだ、ユーイチよ何か誤解しているんじゃないか!
オレとユーイチがそんなこんなで縁側で押し問答をしていると、父さんがヒョイと奥から顔を出した。
『あぁユーイチ、うちの子らといつも遊んでくれてありがとうな。』
そして続けて
『ユーイチの親がいいっていうなら、夏休みなんだし一緒に行くか?』とまさかの展開に!?‥そう来たかぁ。人生は予想外の連続だ。
ユーイチといつも気が合わない我が弟クニオは、突然ユーイチが一緒に行くことになってしまったのでムスッとしちゃったが、うちの父さんがOKというんだ仕方ないなと諦め顔だ。
まぁ今日はユーイチも珍しく金属バット(※2)を持ってきてない、クニオもさすがに木刀(※2)を持って養老渓谷には行かないだろう。今いち気の合わないこの二人が養老渓谷で例え喧嘩になったとしても、武器を携行しない今日のコイツらならば年少さんだしヘナチョコだ、十分オレだけで止められるな。
ランニングシャツとステテコ姿だった父さんが、ポロシャツとスラックスに着替え、その左腕に新聞社の腕章を付けた。愛用のオリンパスのカメラを肩にぶら下げたぞ、どうやら取材準備が整ったようだ。
そして車に乗り込むと駐車場から家の前に車を出した。
その開けた窓から『おーいおまえたち、乗ってくれ』と‥
助手席にはオレが乗り込み、後ろの席にはユーイチとクニオが乗った。
いよいよ養老渓谷の弘文洞に向うのだ。
『お父様、それではよろしくお願いいたします!』
ユーイチのやつ、オレの父さんの前ではエラいイイ子じゃないか?なんだこの身の変わりようは?さっきバクダン屋で禁断の『バクダン屋のテーマソング』(※3)を歌い、スッとんで逃げたヤツとは思えないぞ!
しかし借りてきた猫のように後席に座るユーイチを、フンと鼻であしらい窓の外を眺める我が弟クニオ、中々興味深い光景だな。
ちなみに父さんの車はトヨタの最新型、白いスプリンターセダン1600GSエクストラという。なんだかよく分からないが、スポーツカーじゃないのに意外と早い車らしい。
早いかどうかは一先ずとして、オレがこの車の好きなところは、クーラーが付いてることとバンパーに付けられたコーナーポールの旗だな。コーナーポールには、父さんが働く県紙『千葉日報』(※4)の赤い旗が紐で結わえられている。旗を付けて走ってる車なんて、うちの車以外では警察や政府機関ぐらいじゃないか。なんだか物々しくてカッコいいだろう。
車の中ではオレが父さんに、ユーイチとクニオがどれほど仲が悪いかを面白おかしく話すが、そのたびクニオは面倒くさそうに反論し、ユーイチはユーイチで借りてきた猫のようになりながらも『実はボクはクニオくんを尊敬してました、本当は誰より仲良しなんです』などと平然と言い放つ、まったく恐ろしいやつだ。一体どの口が言うのかと思ったが、父は終始ニヤリとしながら聞いており、最後には『まぁ昔から喧嘩するほど仲がいいって言うしな、男ってのは競いあって仲良くなったりするからな』と。
競い合って仲良くなる?いやぁ父さんオレは無理だな、学校で喧嘩ばかりするナガサやトキ、ヤリタとは一生涯仲良くなれなさそうだし、そもそも仲良くなりたくもないんだ。
そんな間にも、オレたちを乗せた白いスプリンターは、千葉日報の赤い旗をバタバタなびかせてグングン進む。父曰くクーラーを利かせると加速が悪いから止めようかというが、なんのなんのこれだけ暑いんだ、よもやクーラーを付けないなんて頭おかしい選択はあり得ないだろう。第一オレが運転してるわけではないので車の加速なんて全く気にならない、父さんどうか心配しないでほしいオレは大丈夫!だからクーラーはこのままでOKだ!
大多喜町の街ナカからは、海水浴客で渋滞する国道を避けて、まず最初に大多喜城の城山方面に向かい、お城の手前から化石のとれる崖の横を通って一旦は西部田集落に出る。西部田はオレの永遠のライバル『北郡』が住む地だ。アイツはテレビアンテナのパイプを利用した火薬式の銀玉鉄砲でオレを攻撃してくるので注意だ(※5)。さすがに父の車までは狙わないとは思うが、念のためオレは北郡に見つからないように、車の中で身をかがめた。
そんなことなどお構いなしとばかりに車はどんどんと進み、オレの禁忌の地である西部田をあっけなく通り過ぎると、続いて上原、紙敷、湯倉、中野の山中をスイスイ走り抜けて国道465号線に出た、車だと流石に早いなぁ。そこからは国道に沿って道なりにしばらく進み、やがて老川十字路で右に曲がった。
ここからは少しのあいだ急な坂になるが何といっても最新のトヨタだ、クーラーつけたままでも坂道をぐんぐん登るぞ!
そして老川小学校の前を通り過ぎて小田代集落を抜けると、いよいよ目的地の養老渓谷温泉郷に到着だ。
ここまで、役場のそばのウチから大体20分ほどだろうか。
父さんは温泉宿と土産物屋が並ぶ街道沿いの駐車場に車を停めた。この駐車場は岩屋食堂がやってるドライブインのもので、丸一日停めても100円とリーズナブルだ。もっと弘文洞の近くにも駐車場があるけど、帰りに何か旨いものを食べることを考えればこの選択でOKだろう。
よくよく見たらこのドライブインの駐車場の一角には、夏休みシーズンだからか幾つか屋台が出てるじゃないか素晴らしい!‥どれどれ何の屋台かな?焼きトウモロコシにキンツバ、りんご飴、、真夏だというのに何ともクソ暑そうなセレクトじゃないか、一体どんな客層を狙っているというのだろう。まぁカキ氷を食べるなら岩屋食堂のドライブインの中だな。
そうそう、この大多喜のキンツバについては少々解説が必要だ。大多喜やお隣の勝浦で、お祭りや朝市でよく見かける『きんつば』屋台だがな、実はあれは嘘だ。この辺りのキンツバという食べ物は、余所でいう大判焼きや今川焼き、回転焼きのことなのだ。
なんでこんなことになっているのか?
聞いたところによると、横着者の大多喜のテキヤのオッチャンが『きんつば』と書かれた暖簾のテント屋台で、凡そ10年もの間、大多喜や勝浦のお祭りや朝市で大判焼きを販売していたがため、地元民に間違った名称で覚えられてしまったということだ。
そこで当然疑問が湧くだろう、何故よりによって『きんつば』の暖簾なのかと‥。
なぁーに話は簡単だ、新たに大判焼きを売り出すにあたり、大判焼きの名が入った暖簾を買うお金が惜しく、身近にあった『きんつば』の暖簾を使い続けたかららしい。余計な出費はしたくないが、それでも屋台らしく目立たせたいという、よくある大人の事情のようだ。『きんつばも大判焼きも何となく似ているからいいか、どうせ分からないだろう』といった南国気質な房総南部の住民らしい勝手解釈&適当さが不意に発動した結果かもしれない。
しかしそのおかげで、今では爺さん婆さん大人に子供まで、この大判焼きをキンツバだという始末。たとえこの先、諸君が純粋な良心から『これはキンツバじゃなく大判焼きなのだ!』と大多喜と勝浦の人々に伝えて回ったとしても、残念ながら信じてはもらえないだろう、それどころか逆に諸君がモノを知らないヤツだと笑われかねない。
こんなオレからアドバイスできることがあるとすれば唯一つ『郷に入れば郷に従え』だ。大多喜では大判焼きは未来永劫『きんつば』だ、キンツバに見えなくてもキンツバなのだ!キンツバと言わねばならないのだ!(キリッ)
そうそう、もう一つだけ注意点を付け加えたい。この特殊事情ゆえに大阪名物である本物の『きんつば』は、大多喜や勝浦ではニセモノ扱いされる可能性が非常に高いので注意が必要である!
‥と、まぁここまで思わずキンツバの解説に熱が入ってしまったが、今日は真夏で暑い、頼まれたって誰がキンツバなんか喰ってやるものか!
当然ドライブインでカキ氷一択である!
さぁーて、ここからは徒歩だ。駐車場を出て少し歩くと山側に道があり、そこを曲がって山の斜面のトンネルをくぐる。
このトンネル『向山トンネル』は何だか妙なトンネルで、素掘りトンネルの真ん中あたりの真上に、もう一つ縦にトンネルの穴が開いている。父さんがいうには、ちょっと前までこの上の穴のトンネルが使われていたけど、昭和45年3月に道路改良工事が行なわれて、新らしく掘り下げて下の出口が作られたそうだ。
この工事のときに、何故かそれまでのトンネルを埋め戻さなかったので、トンネルが上下ダブルに重なる意味不明な『二階建てトンネル』が出来ちゃったというわけだ。まぁトンネルには満足に照明がないのでかなり暗い。だから明かり窓として元のトンネルを残してるんじゃないかな?
またややこしいのがトンネルの名称で、オレたちが歩いてきた温泉宿が並ぶ街道側の東側92mが向山トンネルといい、残りの23m、つまり新たに掘られた西側部分が共栄トンネルというんだそうだ。
オレたちは、この暗くてヘンテコな向山トンネル&共栄トンネルを、足元に注意しながら抜けると、そのすぐ先の橋を越えたところの遊歩道から弘文洞を目指して進んだ。
この道を真っすぐ行くと弘文洞のすぐ脇に出られるそうだが、父さんはその道の途中で取材の写真を撮るために、飛び石を渡って向こう岸に行くという。どうやら対岸の先には弘文洞を一望できるポイントがあるらしい。面白そうなのでオレたちもついて行くことにした。
セミの大合唱に埋もれそうになりながら軽い勾配の道を登ると、程なくして視界が広がった。道の先がちょっとした広場になってて、弘文洞を真正面に望めるのだ!
養老川にそびえる崖には、ちょうどマジンガーZがくぐれるほどの高さの大きな縦穴が開いていて、そこから川の水が穏やかに流れ込んでいた。
ほほぉ、中々荘厳な眺めじゃないか!前もって父さんから『トンネル川』だと聞いていたが、現物はちょっと魔境っぽくてカッコいいぞ!
父さん曰く、弘文洞のこの穴は年々削られて大きくなってて、近いうちに穴の上の橋になってる部分が崩壊するだろうということだった。なるほど、新聞記事にするなら今のうちということか。
弘文洞のあの上の部分、橋みたいになっているところには遊歩道があるんだけど、ここ数年は崩壊の危険があり、渡ることは禁止されているそうだ。
そもそもなんでここに、こんなに大きな穴が開いているのかというと、明治時代に川の一部を埋めて農地を作る『川廻し』という土木工事が行われ、そのときに川の流れを変えるために開けた穴だということだった。聞いただけでもエラい大変そうだよなぁ、昔の人はよくやるなぁスゲェよなぁ‥。
そしてこの穴は、最初は人の背丈ぐらいの大きさだったけど、年々川の流れや雨風に侵食されて、今ではこんな大きな穴になっちゃったというわけだヘェー!
オレたち3人が無性に感心しつつ、この大きなトンネル川の弘文洞を眺めていると、徐に父さんから指令が下った。
『おまえたち、弘文洞のところで水遊びしてきなさい』
OK!父よ、その言葉を待ってました!
オレたち3人は海パン一丁になり、今いた広場を一目散に駆けおりて弘文洞の真ん前の川に飛び込んだ。川の水が冷やっこくて気持ちいい!実はこの真夏の太陽の下を駐車場からずっとテクテク歩いてきたんで汗だくだったんだ、この川の冷たさはまさに神の祝福だな!
そんなオレたちをモデルに、父さんがパシャパシャとカメラで写真を撮り始めた。新聞記事の取材モデルとはいえ、ようは弘文洞の川で遊ぶ子供たちが撮れりゃよいようなのだ。だからオレたちはカメラを気にすることもなく散々好き放題、勝手気ままに川遊びを満喫した。
弘文洞から流れ込む小川の夕木川(蕪来川ともいう)と、本流の養老川が接するこの辺りの流れはとても穏やかで川底も浅い、おかげで不安なく水遊びが出来る。まさに川遊びビギナー御用達ポイントなのだが、それでもユーイチは浮き輪に体を通している。ユーイチは息継ぎができないので浮き輪で泳ぐのだ。
コイツは浮き輪をしてまで本当に川遊びに来たかったのだろうか?
少々疑問にも思ったが、まぁ夏だし暑いし水遊びはしたかったのだろうな。しかしいつも威勢のよい特攻野郎のユーイチが実はカナヅチで、そして浮き輪やらなきゃ溺れちゃうなんてな!傑作すぎて正直笑っちゃうけどオレは流石に可哀そうなんで笑うのを我慢したぞ!でも弟のクニオは残酷にも笑ったんだ、それもププッってな!この正直者め!
それを見て怒ったユーイチが浮き輪をクニオに向って放り投げ、意地になって泳ごうとしだしたが、やはり全く息継ぎできず、やがて苦しくなって手足をバタバタとさせ、終いにそのまま沈みそうになる。
オレとクニオは『やれやれ』とばかりにユーイチの両腕をそれぞれ掴み、せーの!で担ぎ上げたが、そもそもここは水深が浅くてユーイチの背丈でも十分立つことが出来るんだよなぁ‥。
オレたち兄弟に担ぎ上げられ川底にしっかりと足をついたユーイチは、急に気恥ずかしくなったのか、唐突に言い訳じみたことを言い出した。
『‥な、なにかが川の中でオレの足を引っ張ったんだホントだぞ!』
そんなバカな!オレとクニオは思わず大笑いしたが、それを聞いてた父さんだけは違った
『そういやここいらには昔からカッパ伝説があってなぁ、嫁にしようと女の子をさらったり、子供たちを溺れさせる悪い河童がいたようなんだ。おまえら気をつけろよ』と・・
オレたち3人は少しゾッとした。
父さんの取材は無事終わり、弘文洞の前で遊ぶオレたちの写真を元に、明日の午前中いっぱいで原稿記事を書きあげるということだ。
そして白黒フィルムはいつものように、明日の朝一番でオレかクニオがお駄賃10円もらって塩田写真館に持っていくので、昼すぎには現像されたネガフィルムと父さんが書いた原稿を、封筒にまとめて大多喜駅に持っていけそうだ。そこから国鉄の木原線で運ばれ、大原駅で外房線に載せ替えられて、千葉市の本社に運ばれる。早ければ明後日の千葉日報に掲載されるかもしれないぞ(※6)。
そんなことを話しながら、オレたちは来た道をテクテクと引き換えし、やがて岩屋食堂のドライブインに戻ってきた。
さぁーお待ちかねご褒美のカキ氷タイムだイヤッホーイ!
オレたち3人は、もちろんカキ氷を注文だ。クニオとユーイチは真っ赤なイチゴ味、オレは大人の男らしくシブい緑のメロン味だ。この蕩けるような真夏の暑さの中で、体の芯までキンキンに冷してくれるカキ氷は最高のご馳走だな!
しかし父さんだけは違った。オレたち3人分のカキ氷代を店員に支払った後、ひとりだけ駐車場のキンツバ屋台に向ったのだ。
そうか、こんな暑くてもキンツバを買う人っているんだなぁ‥。
キンツバを旨そうに頬張る父さんを眺めてて、オレはまたひとつ大人の世界を知れた気がした。
父さんが、キンツバを食べながら外の屋台から戻ってきた
『そうだおまえたち、まだ3時前だし、このまま粟又の滝に行かないか?』
せっかくここまで来たので、ついでに別の記事ネタも取材してしまおうということだった。中々効率的な判断だ父さん、さすが大人だな!
もちろんオレたち3人に異存などない、いやむしろ大歓迎だ!夏休みはこうでなくちゃな!
そうと決まれば時間が惜しいぞ。オレたち3人はカキ氷を急いで掻きこむと、そそくさと車に乗り込んだ。
オレたちの乗った白いスプリンターは、今度は来た道を逆戻りだ。老川小学校前のグルグルカーブをさっそうと駆けおりて国道465号線の交差点に一旦出たら、今度は大多喜の町ナカ方面には曲がらずに、そのまま真正面の県道178号線で山の中にズンズン突き進む。
県道に入るとすぐにアスファルトが途切れ、代りに砂利道になった。
ガボゴボ、ドコドコ!
タイヤがひっきりなしに砂利を蹴散らす音がする。揺れや振動もなかなか凄い、こりゃーちょっとしたアドベンチャーじゃないか、わくわくだぞ!
そんな塩梅で走ること20分、山間に切り開かれた段々畑や田んぼ、崖の脇を通り抜けて最後に大きな峠道を越えると、道の向こうにポツンと大きな旅館が見えてきた。父さんは、その旅館『滝見苑』の前に車を停めた。
停まった瞬間、たった今うちの車が巻き上げた砂埃が、背後からオレたちを追い抜いていった。‥同じ大多喜町内なのに、なんだかオレたちは、もの凄く遠くに来たような気がした。
『おー日報さん、いらっしゃい!(※7)』
旅館の前で水を撒いてたオジサンが、父さんに声をかけた。
その声に父さんはニヤッと笑い『今日は子連れオオカミですよ』と‥。
どんな挨拶だいそりゃ!
父さんは粟又の滝の取材で来たことを告げると、旅館のオジサンに車を停めさせてもらってた。
さぁーいよいよ粟又の滝だぞ!父さんはカメラをぶら下げ、そしてオレたち3人は海パン姿で、旅館まん前の地獄の入り口みたいな赤い柱の謎めいた門をくぐり、崖の斜面伝いに凡そ一人分の幅しかない通りをソロソロと並んで降りていく。
次第にザーザー流れ落ちる水の音が大きくなってきた、程なくしてなだらかな岩の斜面を、景気よく流れ落ちる大きな滝が視界いっぱいに広がった。
うん、久しぶりの粟又の滝だ!
この滝は、入り口のヘンテコな謎門の看板の通り『養老(川の)大滝』とも呼ばれており、大きな滝=大多喜町の名の由来とも云われている。
『おまえたち、粟又の滝で水遊びしてきなさい、滝つぼは深いので注意な』
OK!父よ、またまたその言葉を待ってました!
オレたち3人は海パンのままで、ユーイチはもちろん浮き輪を持って、この養老川の川岸から飛び込み、滝に向って泳いでいった。そしてオレたちはまたここでも川遊び全開だ!
しかしここは弘文洞より山が深いからなのか、アブラゼミとミンミンゼミの鳴き声がものすごい、これがよくいう『蝉しぐれ』というやつか?なんにせよこりゃー明らかに騒音レベルだわ‥、あまりにやかましいのでキンチョールもってくればよかったぞ(ヲイ!)。
軽くセミPowerに圧倒されるオレたちだが、そんなオレたちをモデルに、父さんがまたもやパシャパシャとカメラで写真を撮り始めた。ここでもオレたちは新聞記事の取材モデルをしているわけだが、ようはさっきの弘文洞の時と同様に、粟又の滝を背景に水遊びする子供たちが撮れりゃよいのだ。なのでオレたちは相変わらずカメラを気にすることなく散々好き勝手に川遊びをした。
しかしここはさっきの弘文洞の川よりずっと水が冷たい。源流に近いせいか、山から染み出たそのまんまの冷たい水なんだろうか。それに川底が弘文洞より深くて水の量も多く、さらに日陰がちだから中々水が温まらないんで、こんなに冷やっこいんだろうな。
そういや去年、やはり父さんの取材でこの滝の上の河童渕と呼ばれるところでも泳いだっけ。あそこは物凄く深いところがあってちょっと怖かったけど、でもそこの水は真夏なのにエラく冷たかったな、まぁーあの水が滝を下って降りてきてるんだ、そりゃー冷やっこいわけだわ!
粟又の滝の滝つぼは最大で6mほどの深さがあるらしいが、滝つぼから離れたところはそれほど深くはないので、息継ぎできないユーイチでも浮き輪があれば特に問題ない。そう、問題なく浮いてられる。
オレとクニオは、そんな浮き輪のユーイチを尻目に、粟又の滝の乾いた斜面脇を登り、滝の水とコケでツルツルすべる中腹あたりから、その滝の流れにまかせて滑り落ちて遊んだ。そのうちオレたち兄弟は軽くエスカレート、滝つぼでぷかぷかやってるユーイチめがけて特攻ごっこだギャハハハハ!
そうそう、こういう遊びは『ウォータースライダー』というそうだ、最近テレビで知った。7つの流れるプールがあるという都会の遊園地『としまえん』(※8)に、今年はウォータースライダーが登場して凄いぞ楽しいぞー!と散々テレビ番組やCMでやってるんだけど‥、よくよく見たらアレは今まさにオレたちが遊んでる粟又の滝の滝滑り以外の何物でもなかった。しかもこの粟又の滝滑りに比べたら全くスケールが小っちゃく全く子供だましで幼稚だ。有名な7つの流れるプールでさえも、この壮大な大自然100%の養老川や夷隅川に比べたら所詮オモチャにしか見えないぞ。
都会の子たちよ君らはそれで満足か?都合よく大人に騙されていないか?今こそ内なる野生を目覚めさせる時だ、己の魂の叫びに向き合うんだ!
そんなわけで、この夏は親を説得してぜひ大多喜に来て、そしてぜひ本物を知ってほしい、ここには君たちが夢にまでみた欲してやまないサムシングがきっとある!うん間違いない、オレにはわかるんだ!
大多喜は君を待っている!(キリッ)
オレたちがユーイチめがけてウォータースライダー特攻隊をしていると、ふと滝の頂上に、様子を窺うように立つ海パンの子供がいるのに気づいた。スラッと細く、泳ぎがとっても得意そうな感じの子だ、外遊びが好きなのか日に焼けて浅黒い。背の高さから学年はオレと同じぐらいかな、雰囲気から観光客じゃなさそうだぞ、この粟又集落の子か?
せっかくだからとオレは声をかけた
『おーい君!一緒に遊ばないか!』
ちなみにオレは、知らない子には『君』と声をかける礼儀正しいジェントルメーンだ。
その紳士なオレの声にこたえて、男の子は流れに足を取られることもなく、滑る滝の斜面をひょこひょこ器用に歩いてこっちにやってきた。
『ニシらオーダキん町ナカん子け?ほぉーけほぉーけ(房州弁翻訳:君たちは大多喜のマチナカの子かい?そうかそうか)』
彼は三郎太といった。どうやらこの滝の上の河童渕の近所に住んでるようだ。
『こんキュウリやるけんよぉ食べんなよぉ、バーチャンさが糠で漬けてくれてるもんだでサァー、夏場にゃいぃんだぉー(房州弁翻訳:このキュウリあげるよ食べなよ、おばあちゃんがヌカで漬けたもので、夏には最高なんだ)』
三郎太は中々イイやつで、どこからか取り出したキュウリの一本漬けをオレたち兄弟にそれぞれ分けてくれた。ぬか漬けの酸味と塩気も心地よく、またこれがよく冷えてて旨い!本気で旨い!プカプカ浮き輪で川面に漂うユーイチにも、ひょいと背中あたりからキュウリを出して手渡ししてた。
夏にはこういうのイイもんだなぁー、今度母さんに作ってもらおう。
オレたち兄弟と三郎太は、そこから粟又の滝のウォータースライダーで散々盛り上がった。さらに三郎太は地元の子だけあって粟又の滝に詳しく、この滝で安全に長く滑れるコースみたいなのも教えてくれた。
なんでも滝の頂上から最初は中央やや左側から滑り出してその後は真ん中あたりに滑りながら移動するようにし、上から数えて2段目の段差のところで、今度は滝の右側に滑りながらコース変更するんだ。そうすることで滝のはじまりから滝つぼまでの落差30m、そして100mもの滝面を一度も中断することなく、ずっと滑っていられるんだ。
三郎太に教えてもらったこの滝滑りコースを滑ることで、しばらくしたらオレら兄弟ともに滝の天辺から滝の下まで一気に滑り降りられるようになってたんだ。あぁーこりゃ確かに楽しいわ!!
さすが粟又集落の地元の子はよく知っている!オレたちだけでは精々滝の中腹からの滝滑りで終わっていたな。
しかし浮き輪のユーイチは、滑ることはまだしも、滝つぼに落ちたあと泳げないから全てお預け、オレたちが滝滑りを満喫しているのを恨めしい顔でさっきから見ている、物凄く悔しそうだ。
そんな指をくわえて眺めてたユーイチだが、流石に我慢できなくなったようで、突然『うぉぉぉぉぉ!オレもやるんだオレにもできるんだ!!』と吠えたかと思うと、滝の脇道を一気に頂上まで駆け上がり『どけどけみんなぁー!オレが行く!イヤッホォッホォォォーーーイ!』と派手に奇声を上げて、滝の天辺から滑り落ちた。もちろん浮き輪をしたままではある。
案の定ユーイチは滝を滑り落ちるまでは良かった、良かったんだが‥、
派手に水しぶきを上げて誰より激しく滝つぼに飛び込んだユーイチは、浮き輪を川面に残したまま、自身は浮き輪からスポンと抜けて滝つぼの底へ沈んでしまい、なかなか浮いてこなかった。
‥オイオイ!
オイオイオイ!!
だから言わんこっちゃない!
ユーイチが浮いてこないのを知るやいなや、三郎太は『かぁー、こりゃおいねぇわ!(房州弁翻訳:うわーこりゃまずいわ!)』とドングリ眼をきょろきょろさせたが、すぐさまこの滑る滝の斜面を物ともせず、シュババババッと一気に駆け降りてきた!
そして滝つぼの手前で軽くジャンプをしたかと思うと、そのまま背筋をピンと伸ばして川面に飛び込んだ。
ここまで、まるでオリンピック選手のような華麗すぎる飛び込みだ!
『なんだなんだ!凄すぎるじゃないか三郎太よ!』
三郎太の、この疾風の滝面ダッシュに、並の小学生を超越したあまりに見事な飛び込みと、色々あっけに取られるオレたち兄弟だったが‥、少ししてその三郎太がユーイチの腕を肩に担いで滝つぼから浮かびあがってきたときは心底ホッとした。
浅瀬に引き上げたユーイチを心配して取り囲むオレたちだったが、幸いユーイチの意識はしっかりしており、変に水も呑んでいないようだった。
しかし絵に描いたようなカナヅチだなユーイチよ、もう泳がないほうがいいんじゃないか?なにより貴様のためだ。
そんななか、三郎太がユーイチに話しかけた
『ニシは息継ぎ出来ねんだっぺ?アンにしてもよぉ無理はオイネェっぺよぉ、だけんが漢気あるんはわかった!(房州弁翻訳:君は息継ぎできないんでしょ?何にせよ無理しちゃいけないよ、だけどオトコギあるのはわかった!)』
続けて三郎太がいう
『ちっとコエっつらしいかもしんねぇけんど、ハァー息継ぎ練習やんべか、あじする?(房州弁訳:ちょっと面倒かもしれないけど、まぁ息継ぎ練習やろうか、どうする?)』
ユーイチはちょっと照れながら『‥お、おぅ!』と答えた。
そこからユーイチの泳ぎの特訓が始まった。川の水が腰辺りまで浸かるところで、三郎太はユーイチの両手をしっかり掴んで沈まないようにし、まずは息継ぎの練習だ。それがある程度できるようになったら、次は息継ぎをしながら泳ぐ練習。元来世話好きなのか、三郎太はユーイチに丁寧に細かく、ときには実際にゆっくりやってみせてコーチしてくれた。それをアレやコレやと甲斐甲斐しくサポートするオレとクニオという構図だ。
父は、川岸からそんなオレたちを遠目に眺めていた。
ほどなくしてユーイチはコツが掴めたようで、あれほど難儀した息継ぎが苦もなくできるようになっていた。今では河童みたいにスイスイ泳いでいる、ハチマキ河童ってとこが少しシュールだがな!でもさっきまで浮き輪を使ってたのが嘘みたいだ。
何にせよ、水泳番長な三郎太の教え方がとても上手だったことと、オレたちの決死のサポートが功を奏したようだ、一同は妖怪ハチマキ河童と化したユーイチを囲み、万歳三唱をした。
まぁ泳ぎなんてのはちょっとしたコツなんだ、分かった瞬間から普通にできるようになる。基本的にユーイチは元々運動神経もよく、泳ぐこと自体には大きな問題はないんだろうけど、息継ぎだけがどうしてもうまくできずに、ずっとまともに泳げなかったんだ。
そんなユーイチはというと、もちろんめちゃくちゃ大喜び!喜びすぎて終いには三郎太に浮き輪をプレゼントすると言い出した。
おいおいオマエの親に怒られないか?オレは知らないぞ?
ユーイチが言うには、なんでも泳ぎを教えてくれたお礼と、永遠に変わらぬ厚い友情の証だそうだ。
『いいか三郎太、この浮き輪と夜空を見上げるたびに思い出すんだ、オレは漢だユーイチだ!』
何かカッコいいことを言ってキメたかったのはわかるが、どうにも意味不明な決め台詞を吐いてしまったユーイチだった。
オレたち兄弟は、こみ上げる笑いを必死に我慢した。
川岸にしゃがんで煙草を吸ってた父さんが、不意に立ち上がって声をかけてきた、そろそろ5時になるので帰るぞ、と。どうやら新聞記事用の写真も既に撮り終えたようだ。
それにしても、もう5時か早いな!そういやセミの声が、あのキンチョール撒きたくなるほどやかましいミンミンゼミやアブラゼミから、どこか物悲しいヒグラシゼミの『カナカナカナ~』に切り替わっていた。
『三郎太また会おうな!町に来たら一緒に遊ぼう!』
オレたちはそう約束をし、父が待つ川岸に上がった。振り返ると三郎太がこっちを見て手を振ってた。ユーイチからのプレゼントの浮き輪を肩にかけている。オレたち3人も手を振り返した。
そして来た時と同じ崖の斜面の細道を、今度は並んで登り、旅館に停めてあった車に乗り込んだ。
車が走り出すと、何気に安堵したのか今までの疲れが一気に押し寄せてきたようだ、体中が猛烈にダルい。水遊びってのは楽しいけど、水の抵抗が大きいせいなのか、調子にのって遊んでると必ずあとでドッと疲れがくるんだよなぁ‥。ふとクニオやユーイチはどうかと様子を見ると、やっぱりコイツらもヘタバッてた。よかったオレだけじゃなかった。
元気なのは川岸でのんびりタバコを吸ってた父さんだけだった。
車の中は、来た時と違ってみんな静かだ、オレたち3人はヘタバッて声も出ないんだ。そんな中、父さんが静かに聞いた
『ユーイチはあんな短い時間で泳げるようになったんだな、見てたぞすごいな。ところで浮き輪はどうしたんだ?』
それまで父さんの後ろの席でグテッとヘタバッてたユーイチは途端にピシッとなり答えた。河童渕の近所の三郎太に息継ぎを教えてもらい泳げるようになったと。浮き輪はそのお礼で三郎太に上げたことを父さんに話した。
父さんは不思議そうな顔をして、今度はオレに話かけた
『河童渕の子?そんな子いたか?ずっとオマエとクニオがユーイチに泳ぎの練習してやってたじゃないか?』
え?え?父さんには三郎太は見えなかったのか?
それを聞いてたクニオやユーイチも怪訝な顔をしだした。
『‥ほぉ、この科学万能の20世紀に興味深いな。』
父はひと言そういうと続けた
『その子は、河童渕の河童だったのかもな。その昔、子供を川に引きづり込んでは溺れさせてたが、ある時お坊さんのお経を聞いて心を入れ替え、今度は溺れる子供たちを助けるようになったんだそうだ(※9)。』
んー、我が父が言ってることがよく分からないが、つまりこういうことか?
つまりユーイチは河童渕の河童に泳ぎを教わったということか?
‥確かにこの町は自然がいっぱいだ、自然がいっぱいすぎて猿に鹿にイノシシ、タヌキにアナグマ野うさぎが、今日も元気に山野を駆けまわっている。減ったとはいえどうやらキツネもまだいるらしい。
その上ここには本物の妖怪までいるっていうんかい?
やれやれ大多喜はホントにスゲェとこだな‥。
でも父さん、オレたちをからかっているのは全部お見通しだ!
怖いからただちにやめるんだ!
1977年(昭和52年)の小学5年生の夏やすみ、
この日ユーイチは泳ぎを覚えた、カッパ淵の辺りに住むという少年『三郎太』の手解きによってだ。
でもこの日以来、オレたち3人は彼に出会えていないんだ。離れているとはいえ同じ町内なのに、不思議とそれっきり出会うことがなかった。
三郎太よ、君はもしかして本当に‥
いやいや、やめておこう。
大多喜町、道を行くもの人のみに非ず‥
【注意】登場人物名及び組織・団体名称などは全てフィクションであり画像は全てイメージです…というご理解でお願いします。
大多喜町MAP 昭和50年代(1970年代)
【大多喜無敵探検隊-since197X オレの夏やすみ 夏の一日編 Link 】
今回ダラダラと話が長くなり、年を越して結局3部作になってしまいました。大変見づらくて申し訳ありません ↓