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【雑記】今はなき大多喜小学校の百年山(ももとせやま)と空中戦艦ヤマデス

(木造校舎の頃の大多喜町立大多喜小学校 撮影は1977年頃です)

 私が昭和の頃に通っていた大多喜小学校は、当時の校長はじめ教育現場の意志もあってか、小学校敷地内には、毎年の卒業生たちが力をあわせて作った大きな卒業記念のストラクチャ(構造体)がそこかしこにありました。信号機を供えた交通公園を筆頭に、川が流れる大きな箱庭のような小山や、千葉県の形をした大きな池など‥。
そんな中でも一際ひときわビッグスケールで、その誕生以来、私たち在校生の格好の遊び場になった『百年山ももとせやま』が、もっとも印象深いものでした。

(大多喜小学校の校庭にあった、在りし日のモモトセ山 1991年前後に撮影)

このモモトセ山の製作は、昭和50年(1975年)2月に学校創立百周年を迎えた、その記念事業の一環として行われたものと記憶しています。
主にトラックやバスなどの古タイヤをかき集めて作られた2房の小山の大きさは、全長は凡そ20m、幅5~6m、高さはタイヤの山の最上部まで3mほどで、その登頂にそそり立つ杉の柱で組まれたやぐら天辺てっぺんまで入れると、実に6mにはなろうかという巨大なものでした。
クジラを模倣して組まれたこの2房の小山の最上部にはそれぞれやぐらがあり、その間を吊り橋で渡れるようになっております。このやぐらに登るためには縄ばしごしかありません。こんな仕様ですので小さい子がやぐらに登ろうとしては、よく落ちて怪我をしていましたね。今の時代なら『危険遊具だ!』と親からしょっちゅうクレームがきそうなものでしたが、、でもこういうのこそ子供には面白いのですよね。
戦艦ごっこ、海賊ごっこは勿論、この古タイヤのデコボコで足場が悪いモモトセ山の斜面限定の鬼ごっこや、吊り橋での落としあいなど、、子供たちは想像力を膨らまして、モモトセ山で様々な遊びを産み出していました。

(モモトセ山を横からみたところ 前後の古タイヤの小山の間には、土管のワープ路があります)

 そんなモモトセ山を何故私が急に思い出したのかといいますと、、話はまず最近、私が流感りゅうかん(ようは567)にやられたことから始まります。その病状というのが、私が小学生の頃によく罹った気管支炎や肺炎にとても似ており(567のほうがずっと軽いけど)、ついつい昭和の小学生だった私がうけた、印象深かったひとつの言葉が甦ってきたのが始まりでした。
その印象深かった言葉とは、お医者さんに『今夜が山です』とハッキリ耳元で宣言されたこと!
小学生の私は肺炎を拗らせた結果、嘘偽りなく死のきわまで行っちゃったのですね。
全くヤレヤレでございました ┐(´∀`)┌ヤレヤレ
『今夜が山‥』、これはお医者さんが、つまり小高病院おだかびょういんの院長先生が、私を挟んで枕元の反対側にいた両親に口頭で伝えた言葉なのですが、私自身もそれをボーっとした頭でその言葉を聞いており『‥今夜がヤマデス?やまです、山‥』『モモトセ山だなぁ~』と…、きっとモモトセ山で遊びたいなぁとボンヤリ考えてたんでしょうね。モモトセ山が40度を越える連日の発熱で、本当に死ぬ寸前だった私のボヤけた脳内に妙にこびりつき、瞬時にこのモモトセ山をモチーフにした異形の飛行物体が頭に浮かんだのでした。
・・長くなりましたが、ここまでが私がこのたび何十年ぶりかで突然モモトセ山の記憶を鮮明に思い出すに至った経緯となります。

(空中戦艦ヤマデス)

※以下は、当時の私の空想から
モモトセ山の地面の下にはこのような機械の構造物が隠れており、実は反重力クラフトで空を飛べるのです!その名は空中戦艦ヤマデス。
『今夜が山です』から、そのまんまこの謎の戦艦の名前になりました。
何故か備わるデカい歯が特徴の、深海魚みたいな空中戦艦。あのアクマイザー3のザイダベック号にも勝るとも劣らない、そんなケレン味あふれる不気味なフォルムです。
ヤマデスには、もちろん強烈な武装が装備されております、左右の目玉の部分が開いて、昔の海賊船さながらの大砲が顔を出します。弾は花粉アレルギーだった当時の私を散々苦しめた原因物質スギの花粉弾とブタクサの花粉弾の二種類、今度はこれで敵を苦しめてやるのです!

(空中戦艦ヤマデスの脅威の攻撃力 海賊船の大砲と、荷電粒子ビームの歯動砲)

さらに最終兵器の『歯動砲はどうほう』は、質量兵器でもある重金属の巨大な歯を、その歯茎はぐきごと入れ歯を外すようにして荷電粒子ビームと一緒に亜光速で撃ちだし、敵を完膚なきまでに殲滅するという大変恐ろしい兵器なのです!

こんな無慈悲で激しい戦闘能力を持った空中戦艦ヤマデスですが、通常は以下の形態でカモフラージュ。

山です。スギ山です。大多喜町は伐採されなくなった杉山が当時からやたら多いのです。それに化けることで、常日頃は敵の目をあざむきます!
しかしこれも単なるスギ山ではありません、一本一本のスギの木は実はミサイルで、多数の敵を一気に殲滅できるのでした。

(スギの木ミサイル乱れ撃ちの図)

 あの世一歩手前だった当時の私ですが、当人はそんな緊迫感の欠片かけらもあろう筈もなく、自身は高熱で緩んだ思考でこんなことを終始考えてボヤ~ンとしていたのでした。
挙句、お花畑の川のほとりに立ってたという‥
ァ '`,、'`,、('∀`) '`,、'`,、
そんな懐かしい記憶をせっかく思い出せましたので、この先の大多喜無敵探検隊-since197X(本編)では、この時の私の臨死体験に、モモトセ山(空中戦艦ヤマデス)を加えて書き残しておきたいなと思っています。

さて最後に、こんな万人に愛されたモモトセ山ですが、その後の運命をお伝えしたいと思います。
モモトセ山は、年を経るごとに古タイヤの中に詰められた土砂が風雨で徐々に流れ落ち、そのせいでやぐらも傾いて、誕生より凡そ25年程、四半世紀が経つ頃には随分とヘタってしまっており、、古くなった木造校舎を建て直した平成8年(1996年)前後には、気付いたら跡形もなく完全に撤去されてしまいました。
大多喜町の伝説の超構造体(メガストラクチャ)、昭和の大多喜キッズを虜にしたモモトセ山は、もはや私たちの心の中にしか存在しません。

【追記】大多喜無敵探検隊-since197Xでお話に書きあげました!
今夜がヤマです編(上/中/下)Linkを以下に張ります。
お迎えがきた編 悪夢の空中戦艦ヤマデス編 三途の川編‥と、面白がりながら書いてたら三部構成になっちゃいました。
話が長くなり見づらくて大変申し訳ありません。

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