act:2-グーテンバーガー 大多喜にもあったハンバーガー自販機
『大多喜町』は、三方を海で囲まれた千葉県南部の房総丘陵にある町で、その小さなマチナカを抜けると、実は恐ろしいほどに山深く、そして不気味なほどに自然が豊かである。山にはシカやイノシシをはじめ、タヌキやムジナ、猿の軍団、そしてオレは未確認ながらも昔からこの辺りで人を化かすというキツネ、さらにはたくさんのヘビや数えきれないほど種類豊富な昆虫もワンサカ生息している。もちろんこんな町なので田畑も異様に多く、オレたちが日頃から厳重警戒対象としている地獄のトラップ『肥溜』もコレまた多い。よく言えば昔ながらの日本の原風景的な情緒があるともいえるだろうが、住んでる側からすれば山に囲まれて交通の便もひときわ悪い、まさしく陸の孤島のようなところなのだ。
しかしそれでも大多喜町は一応首都圏『千葉県』の町なので、幾ら山野の中だとは言えども、東京のテレビやラジオの放送は全て受信でき、様々な都会の情報だけはリアルタイムで入ってくる。東京には寿司屋だのケーキ屋だの、挙句はオモチャ屋だのと、無節操に毎年商売を変えるケンちゃんの家があり、出来損ないのロボット『ロボコン』が街を闊歩している。そして暗躍するシネシネ団とレインボーマンが、今日も人知れず熾烈な戦いを繰り広げているのである・・。
まぁこれらはもちろん作り話、そんなことは流石にオレたち小学生でも分かっちゃいるけど、これら作り話の舞台として度々ブラウン管に写る『東京』は、いつも眩しいほどに輝いていた。天に届くような大きなビル、その足元に敷かれたアスファルトの広い道は、常にたくさんの車で溢れ、そして一歩裏路地に入ると家がぎっしりどこまでも詰まっている・・。そんなテレビの中の東京という街の、そのスケールの大きさにはいつもビックリさせられ、そして圧倒されるばかりだったのだ。
・・とはいえオレが日々暮らす大多喜町とは、何から何まで全く別の国ともいえるほどの落差があり、どうしても今ひとつ実感が感じられないんだコレが・・。オレにとって都会とは、東京とはまさに夢の中の国のような、永遠に手に掴むことのできない蜃気楼のような存在なのである。
そんな羨望の眼差しで年中テレビで東京を眺めていると、どうしても大多喜にはない食べ物が幾つも出てきて非常に気になった。立ち食いそば屋などがその一つの例だけど、謎の都会の食べ物の中で、オレが最も気になっているのがCMでよく見るハンバーガー、そう!アメリカからやってきたというあの『マクドナルドのハンバーガー』だ。
立ち食いそば屋は、まぁ何だかんだいっても、ようは蕎麦、大多喜でも『そば新』や『くらや』で蕎麦は食べれるので大体想像はつくが、ハンバーガーだけは本当に分からなかった。ハンバーガーとは一体全体何なんだろう?中でも薄いチーズが挟まったチーズバーガーが一番旨いらしい。アレを食べながら銀座の歩行者天国を楽しそうに歩くアベックが、なによりカッコイイんだ・・。
そんなハンバーガーは放課後の近所の有志達による秘密組織、大多喜町の愛と平和を人知れず影ながら守る我らが『大多喜無敵探検隊』での会議上でも何度か議題に出たことがあるが、結局はいつも結論に至ることが出来なかった。以下は記憶に残るみんなの解答例だ。
Q『ハンバーガーって知ってる?』
ユーイチは答えた
『なにハンバーガー?・・あぁTVで見た。ありゃーアメリカのマンジュウだな!隊長そんなことも知らないのか、田舎モンだなダメだなウハハハハ!』
良家のヒロツンは答えた
『不気味なピエロのやつでしょ?‥あれはきっとソ連の罠だよ』
弟のクニオは答えた
『・・アレはまずそうだ、オレはいらない』
オレ自身、何度CMを見ても今ひとつその実体が掴めない、あれはパンなのかハンバーグなのか、それとも何かとんでもなく斬新なお菓子なのだろうか?しかしとっても美味しそうなんだ。
かつての敵国、そして今では一番の同盟国アメリカの食べ物『ハンバーガー』、戦後30年も経つというのにこの大多喜の小学生の間では、少なくともオレたち『大多喜無敵探検隊』の間では、それが一体何なのかがよく分からなかったのだ。
そんなモヤモヤした日々がしばらく続いたある日、突然朗報が届いた。
弟のクニオ『アニキ、ウェーズミがハンバーガー知ってるってよ』
ウエーズミ?・・あぁ!いつもお面つけてるあの上泉の『お面のケンちゃん』か!彼はクニオと同級生、国鉄の木原線が見える三口橋の近くに住む木原線ウォッチャーで、我らが大多喜無敵探検隊の影のメンバーだ。木原線にいつもと違う動向が少しでもあると、頼んでもいないのにいきなり我らが駐屯地である青龍神社に颯爽と現れ、やはり頼んでもいないのに逐一報告してくれるという誠に頼もしい男でもある。そういえば最近も《木原線は通常の大多喜と大原区間だけじゃなく、実は勝浦でも走っている》という極秘情報を、彼のお陰で、誰よりもいち早く知ることができたのだ。実は勝浦には木原線の車両基地があり、お客は乗せずに大原から勝浦の間をよく行き来しているのだそうだ!なんとビックリ!
・・でもまぁ木原線の話はひとまず置いておこう、今は何より『ハンバーガー』の事実確認が先決だな!
早速オレはウェーズミのケンちゃんの家に自慢のデコチャリで向かった。
今日はウルトラマンのお面と、タオルか何かのマントを羽織って出迎えてくれたケンちゃん、その彼の口から伝えられた情報は《この大多喜町でもハンバーガーが食べられる》という驚愕の事実だった。しかもそれは自動販売機だということである!
別れ際に彼は徐に右手を高く上げ、そしてオレがこれから向かうべきハンバーガー自販機の方角を遠く指さした。
オレはその指先を目で追い、思わず声をあげた『おぉぉ・・!』
・・しかしどうでもいいけどケンちゃんさぁ~、突然どうしちゃったんだ?まるで謎の宗教団体の教祖のような身のこなし方だぞ、何のテレビ番組に影響されたんだろうな?なによりこの演技がかった手の振り方は素人目にも手慣れている、さぞや隠れてずいぶん練習してたに違いないな。
まーケンちゃんの演技がかった身振り手振りはともかく、肝心のこの大多喜町のハンバーガーとは、なんと20世紀の高度なテクノロジーを惜しげなく結集したであろう『自動販売機』により生み出されるものであり、まさに最新技術の粋を集めて作られるという物凄い代物だったのだ!
もちろん自動販売機なので店員はいない、ハンバーガーの注文から料理されて出てくるまで全てがオートメーションだ、まるで21世紀の未来のようじゃないか!これはTVコマーシャルでよく見る店頭販売のマクドナルドなんて軽く凌駕してるな!ちょっとすごいぞ!
ケンちゃんから極秘情報を得たオレは、早速その足でワクワクしながらデコチャリをこいで現場に向かった。その向かった先は、三口橋を抜けてすぐ右手の豆腐屋の店前に並ぶ自販機コーナー、オートパーラーと書かれたテントの下には7つの自販機が並んでいた。
向かって左からジュースの自販機、ビールの自販機、カップ酒の自販機、カップヌードルの自販機、天ぷらそばと天ぷらうどんの自販機、ラーメン自販機と続き、その隣、つまり道から一番奥に目的のハンバーガー自販機があった!何度かこの辺りも通っているのに、一番奥まったところにあったためか全く気付かなかった!
なによりケンちゃんの情報は今日も正確だった。その恐ろしいほどの情報精度には、最近女子がよく見るマンガ『ガラスの仮面』の月影先生もきっと『恐ろしい子!』と驚き、苦し紛れの高笑いをすることだろう。
そしてオレはそのお目当ての自販機の前に立ち、パネル部分をしげしげと見上げた。白く輝くパネルに描かれた大きな木、開いたハマグリのようなパンに挟まれたハンバーグの写真、ひと際目立つ赤い文字で誇らしげに書かれた『グーテンバーガー』(※1)の文字。
『・・これが、ハンバーガーなのか!?』
まさに俺にとっては運命の出会いだ、さっきから胸の鼓動が治まらない。それでもオレは震える手で自販機にコインを入れ、そして念願だったハンバーガーを、それも一番うまいといわれるチーズバーガーのスイッチを間違えないよう慎重に押した。一拍おいて自販機が曇った鈍い音をあげハンバーガーを温め始めたようだ、ご丁寧に温め終わるまでの残り時間がニキシー管に表示されている。その数字は見る見る変わり、やがて3・・2・・1・・
『ゴトン!』と音がして、一辺が10cmに満たない黄色い箱が『取出口』と書かれた透明プラスチック板の向こうに無造作に転がり出てきた。
その黄色い箱には大木のマーク、そしてチーズバーガーの絵!パッケージには少しシワが入り異様にアツアツだ!
その熱い箱を開けると、何ともいえないほんわりとした旨そうな香りとともに、白い紙に包まれたハンバーガーが顔を出した(※2)。
この瞬間、オレは目じりがジンワリと熱くなった。
そしてオレは恐る恐るひと口かじってみたのだ。その瞬間、口の中に甘い香りのパンとハンバーグ、そしてちょっぴり酸っぱいケチャップと、少し鼻にツーンとくるマスタードの味がパァーッと広がった。この酸味とマスタードの刺激は、妙にコクのあるチーズによく合うぞ、・・うん?コレは何だろう、サクサクする小さなものがある、そうか刻んだ玉ねぎか!これはスゴイな、次から次に繰り出される味の応酬だ、まるで美味しさの玉手箱じゃないか!ハンバーガーつくづくおそるべし!!
アメリカ人はこんな旨いものを毎日喰ってたんだな、だから強かったのか!なるほど日本がアメリカに勝てないわけだ!
オレは、夕日が沈む西の空、東京の方角を眺めながら『これが東京の味かぁ~ウメぇなぁ、すげぇなぁ~』と、誰も聞いてないのに何度も口に出しながら、勿体ないんで最後までチビチビと食べた。
そして食べ終わった黄色い箱には、ハンバーガーを包んでたケチャップまみれの白い紙を丁寧に折って突っ込み、記念にと持ち帰った。傍目には単なる燃えるゴミかもしれないが、今のオレにとってはこの上ない宝物なのだ!
ちなみにこの時は、東京の方向をみて食べてたつもりだったけど、後で確認したら、どうやらオレは台湾の方角を向いてたようだ。
我ながらちょっとヤレヤレ、キマらなかったオレにドンマイ。
1976年(昭和51年)、小学4年生の頃の想い出である(※3)。
※Version2.52
【注意】登場人物名及び組織・団体名称などは全てフィクションであり画像は全てイメージです…というご理解でお願いします。
大多喜町MAP 昭和50年代(1970年代)