散歩が音楽になるとき ── 街の解像度を上げる、さんぽチーム「すみだのかたち」をTOMCが振り返る
2022年からはじまった「すみだのかたち」。2年目となる今年は、さんぽチームの活動を私たち以外の視点や言葉でも残したいと思い、ビート&アンビエント・プロデューサーで文筆家としても活動されているTOMCさんに寄稿をお願いしました。 TOMCさんは、2022年12月に開催した「すみだのかたち」にゲストアーティストとして出演いただいたり、既にさんぽチームと親交のあるアーティストです。
今年の9月に開催した「すみだのかたち さんぽとライブ」を参加者のひとりとして体験いただき、TOMCさんの視点で、言葉で、さんぽチームのプロジェクトの様子や、それを通じて感じたことを残していただきました。
なんだかちょっと褒めすぎ?べた褒め?で照れくさいところもありますが、うれしい言葉のプレゼントをいただきました!!TOMCさんありがとうございます!!
●はじめに
散歩が好きです。はっきりとした目的が無ければ無いほど好きかもしれません。
歩き続けるうちに馴染みのないエリアに辿り着き、何でもない看板のフォントや建物のタイルに目を惹かれ、たまたま見かけたカフェなどで一息つきつつ、Googleマップで近隣のスポットを探す──そんな時の小さな高揚感、ちょっとした旅にも似た感覚。こうした時間を日常の延長線上に持てるのは、何にも変え難い豊かさがあると思います。
本企画「すみだのかたち」は、こうしたタイプの散歩を楽しめる方はもちろん、多種多様な人々がともに暮らす ”街” に興味・関心のあるすべての方にうってつけのものです。
ざっくり言うなれば「集団でのまったりした散歩の体験が音楽になり (!)、それが参加者の街への印象をアップデートする」という、ユルさの中にかつてない先鋭性を併せ持つ本イベント。この文章を通じ、本企画に少しでも興味を持っていただけると幸いです。
2022年開催時のダイジェスト映像
●「すみだのかたち」の成り立ちとプロセス
「すみだのかたち」は、墨田区の地域資源を活用するアートプロジェクト「隅田川 森羅万象 墨に夢」 (通称:すみゆめ) の一環として2022年に始動し、今年が2回目の開催となります。
企画を担当する「さんぽチーム」は、コーディネーターの〈宮﨑有里〉、マリンバ奏者の〈野木青依〉、音楽家の〈MC.sirafu〉の3名のコアメンバーを軸に構成されています。
企画の内容は、大まかには「ある駅で参加者が集合し、一帯を散歩しながら写真を撮り、その写真を基に音楽家が即興演奏する」というものです。
具体的には、以下のような流れで進行します。
2023年は、第一回は八広 (9/2:京成押上線 八広駅集合) で、第二回は菊川〜森下 (9/9:都営新宿線 菊川駅集合) で開催されました。
11月26日(日)には、この二箇所で寄せられた写真などを展示し、ゲスト数名を加えての即興演奏も行うイベントが別途開催される予定です。
●散歩 ── 誰かといっしょに ”街を知る”
「すみだのかたち」では、参加者全員が同じルートを散歩します。さんぽチームが会話の中心となり、皆で街並みに関する取り止めもない会話をしつつ、各人が思い思いに街の写真を撮りながら、和やかな遠足のようなスローペースで目的地へと向かいます。
これにより、参加者は街の思いがけない面白いスポットや、見慣れた景色の中に秘められた魅力を、自分以外のさまざまな視点から気づくことができます。
例えば、古い看板で使われている珍しいフォントや、風変わりな名前のマンション。町工場の鉄パイプの束を側面から見たら泡粒のような形をしていたり、ふと見上げた街路樹に見知らぬ花が咲いていたり──と、細かく挙げれば本当にキリがないですが、「すみだのかたち」ではこうした ”視点の共有” を、ほとんど初対面の人々と一緒に行います。参加者は学生、子ども連れのファミリー、ご高齢の方まで年齢・性別はさまざまです。
こうした環境では、ともすれば緊張でうまく輪に入っていけない参加者が現れる可能性があります。さんぽチームではこうした際、参加者に「何の写真を撮ったんですか?」「いいですね、これ!」といったコミュニケーションをごく自然に行う流れが (事前に何か取り決めたわけでないにもかかわらず) 確立されています。この点は間違いなく、さんぽチームの各メンバーの人柄があってのものでしょう。
次章では、実際の演奏行為について触れていきたいと思います。
●音楽 ── 誰かといっしょに ”街への理解を深める”
カフェなど目的地に着いたら、参加者はさんぽチームの宮﨑有里に各自一枚、お気に入りの写真を提出します。
その写真を基に、野木青依とMC.sirafuの二人が即興演奏を披露していくのですが、写真一枚ごとに、まず参加者は「なぜこの一枚を選んだのか」を全体に向けて話します。内容は参加者ごとにさまざまですが、その方にとって何か街を象徴すると感じた、あるいは何か個人的な体験と結びついて心に残った──といったものが多いです。
参加者による説明、および写真そのものからの情報や印象──建物や雲の形を図形楽譜的に捉えたり、風景から何らかのストーリーを見出したりした上で、野木・MC.sirafuの二人は演奏を行います。基本的に事前に二人で相談は行わず、「どうしようかなぁ」といった各々の独り言に始まり、往々にしてそのままシームレスに演奏へと移っていきます。
即興演奏は、マリンバ (野木) とスティールパン (MC.sirafu) という2台の楽器を軸に繰り広げられます。これらの楽器そのものがやわらかな音色を持つ楽器であることと、音楽家両名が基本的にメロディおよびパーカッシブなリズムのある演奏を行い、極端にノイジーな表現に振り切ることもまず無いため、表面的には室内楽/アンビエント/イージーリスニング的なテイストを感じさせる音楽となることが多いです。
おおよそ2-5分間の演奏後、二人は会場に向けて「写真からどのようなインスピレーションを得たか」「どのようなことを考えて演奏を行ったか」を、往々にして演奏以上の時間をかけて説明します。即興演奏の意図を具体的に説明するのは困難を伴うことも多いですが、二人の説明は音楽的な基礎知識がなくても伝わりうる、非常に平易な言葉を用いて説明されます。
ちなみに、私が撮影した写真(先に登場した「奥さまニュース速報」と書かれた青い掲示板の写真)も、第一回(八広)にて演奏いただきました。
この日は荒川の河川敷や空など自然・風景の写真が多く提供されていたこともあり、少し変化球的な内容が聴けることを狙って選んだ写真でした。実際に演奏された楽曲は、架空のニュースジングルのような柔和かつ快活なテイストを持ち、白黒テレビの時代さながらのほのかなレトロさも感じさせるもの。演奏後、野木は「掲示板の下に写り込んだ自転車」、MC.sirafuは「すでに掲示板として役割を果たしていないがそこに在り続けていること」に着目し、さまざまなドラマ/ストーリーを想起した旨を語っており、二人の感性の豊かさ・鋭さを改めて感じた貴重な体験になりました。
●なぜ「散歩と音楽」なのか
ここまで、さんぽチームによる「すみだのかたち」という企画の流れについてご説明してきました。
いくつかのスキームは、一見すると、ある程度模倣可能なものに見えるかもしれません。しかし、実際にはこのさんぽチームのメンバーだからこそ奇跡的なバランスで成り立っている、非常に高度かつ不思議な企画だと私は感じています。
というのも、初めの散歩で参加者/音楽家の間で行われたコミュニケーションは、そのまま後の演奏でのベースとなるだけでなく、その演奏自体も参加者とのコミュニケーションの一環となっています。
街を理解するためのプロセスの一部を、参加者が音楽家に委任しているということ。それにより、言葉で語り合うよりも時にわかりやすく (かつ深く) 街の魅力を理解できること。このある種の魔法のような体験は、音楽家たちがイベントの終始にわたり参加者と行動をともにし、街そのものに向けて壁を作ることなく、オープンな心持ちで接しているからこそ成立しています。
例えば、音楽家が散歩のフェーズに参加せず、参加者を演奏会場で出迎える形式だったら──あるいは、もし散歩中に音楽家が尊大な態度を取っていたなら──演奏によるマジックはずっと少なくなることでしょう。
ただ音楽的に卓越しているだけでは、この企画はもちろん成り立ちません。二人はその名を知られた音楽家である以前に、あくまで参加者と同じ、何気ない散歩を楽しむことができる一市民でもあります。その二人が参加者と対等な立場で散歩を楽しみ、彼らの生業である音楽 (演奏) を媒介に綿密なコミュニケーションができるからこそ、この企画は「鑑賞」でも「ワークショップ」でもない、新しい体験型アート施策としての強度を持ち得ているのです。
●おわりに
MC.sirafuはこの「すみだのかたち」について、ある種の ”パーティ感” があると語っていました。最後に私なりに、彼のこの言葉を掘り下げてみたいと思います。
ほぼ初対面のひと同士で、街への ”視点” を共有すること。それにより、街に生きる市井の人々の歴史を共有すること。場所・時間をともに過ごす中で、皆が街に向き合う解像度が徐々に上がっていき、演奏という別角度からの表現を繰り返すことでついにピークを迎えること。こう書くと、確かにこの企画は祝祭 (Festival) 的なものにも思えてきます。
写真について考えると、さらに確信が深まります。参加者が思い思いに風景を切り取って提示すること。その人ならではの視点や気持ちを交えることで、同じ景色でも、その人にしか出せない説得力・文脈が込められること。それを皆の前で共有することで、空間全体に共通の感情を生み出せうること。こうしたあり方は、どこかDJやクラブカルチャーにも近いものを感じます。
それでいて、このイベントで奏でられる音楽自体は、能動的に誰かを踊らせることに特化したものでは全くありません。写真に宿る街の空気・気配 (Ambience) を読み取り、マリンバとスティールパンそのものが元来持つ素朴な音色を軸に生み出される本企画の音楽たちは、興味深く注視・傾聴することもできれば、家具やフレグランスのように生活の一部として溶け込み、時に聴き流すこともできる (Ambient) 、そんなある種の気軽さ・ユルさ・優しさを備えています。
この企画は、決して何か派手だったり、劇的な展開が用意されているものではありません。しかし、心に何かがゆっくり滲むような、静かな感慨・感動に包まれるあたたかさがあります。その感覚はなかなか消えることがなく、生活の端々で蘇ってくるものでもあります。
前述した静かな高揚感がピークを迎え、イベント終了後、各自が何か新しい感覚を抱えてそれぞれの場所に帰っていくこと。その一人一人が、帰りの道中や自分の住む街を、それまでとは桁違いの解像度で捉えるようになること。そして、その後続いていく生活の一瞬一瞬に、かつてない面白さ・新鮮さを感じられるようになること──このようなステップは、ゆくゆくは社会全体がより良い方向へと進んでいくための、ささやかながら重要な積み重ねに思えてなりません。
そうした体験の源泉が「散歩と音楽」というのは実に新しく、爽快ではないでしょうか。
(おわり)
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