人見知りを否定され続けた私が行き着いた場所 想像していなかった未来
つぶやきコラム
私は子供の頃、かなりの人見知りだった。
それはもう細胞レベルのもので、母親から一時も離れない子。
私の写真を撮ろうとベビーカーから数メートル先にいる母が見えると泣き叫ぶ子だった。
だからそんな私を社交的な子供にしなくてはと親は必死だった。
10歳くらいの夏休み、親が勝手に申し込んだ謎のサマーキャンプに強制参加。
行きたくないと泣きじゃくる私をむりやり連れて行く母。
そこには同じ学校の子がいない。つまり知ってる人が一人もいない。
付き添いの先生? みたいな大人もみんな知らない人。
一泊二日。
地獄でしかない。
なぜこんな島流しされなければいけないんだと親を恨んだ。
もちろん人見知りな私は誰にも話しかけず、新幹線を無言で過ごしどこかの山奥に着いた。
ずっと誰とも関わらない私をだんだん先生たちは心配し出す。
一番嫌だったのは、夜のキャンプ中のあるゲーム。
多分参加者は100人くらいいた。
子供だから大袈裟に思っていて実は半分くらいかもしれない。
みんなでキャンプファイヤーをした後、大きい広場に集合した。
「これからみんなでゲームをします。頭の中で60秒数えてください。数え終わった瞬間、座ってください。60秒ピッタリで座った人にはすごいプレゼントがありますよ!!」
そんなのでピッタリ当てるなんてごめんだ。だって注目を浴びるなんて罰ゲームじゃないか。
そう思った私は、絶対に60秒じゃないタイミングで座った。
なのに…
「さあ、みなさん、結果発表をしまーす!! なんとこの中にぴったり60秒だった子が一人います!!!!!」
ざわめく大衆。
盛り上がる子供たち。
そして読み上げられたのは私の名前。
「こちらにきてください!!」
最悪だ…。
絶対に仕組まれている。私は確信した。
だってありえないタイミングで座ったのを私が誰より知っているから。
もうもはやその後の記憶がない。
プレゼントはなんだったのか。
何か大勢の前で言わされたのか。
全く覚えていない。
トラウマすぎて幼い私は記憶から消したのだろう。
その日の夜、みんなそれぞれ仲良くなった友達と一緒に布団を敷き、寝ていた。
私はもちろん一人だったので、先生の隣が用意された。
そして一睡もしない夜を過ごした。
今のこの状況を心から呪った。
朝先生が布団を片付けながら言った一言。
「〇〇ちゃんは、本当に寝相がいいねえ、全く動かなかったよ」
そりゃそうだよ、寝てないからね。
とにかく、この頃から私は大人を信用しなくなった。
おそらく、馴染んでいない私が話しかけられるきっかけを作ってくれたんだろう。目立たせたら友達ができると思ったんだろう。
でも、本当にいらない…。
これ以外にも私は人前に立たされるという経験を子供時代、何度かした。
新入生代表の挨拶
運動会での代表
学級委員
etc..
それは私は死ぬほど嫌だった。
裸で大勢の前で踊るくらい嫌なことだった。
でも人見知りでおとなしい私では許されなかった。
周りの大人によって"代表"を強いられ、その度に私の控えめな性質を否定され続けた。
いつも成績表には、"もっと積極的になれば完璧だ" と書かれた。
私を矯正しようと大人は目論んだ。
もちろん全て裏目に出た。
そうゆう体験をさせられるたびに私はさらに人前で話すことや代表して発言することが嫌になっていった。
そんな私は今、日本にいない。
外国で、外国人を相手に一人で仕事をしている。
数人の前で話すことはたまにあるし、それはいまだに好きじゃない。
でも、子供の頃の嫌な経験を経て、この社会が合わないと強く感じた。
そもそも日本人の良さはおとなしくてひかえめなことじゃないのか。
なのに、積極的に人と話して目立って堂々としていることを強いられる。
だから私はそのゲームから降りた。
自分がいいと思える自分の部分を生かせる環境を考えた。
そしてそんな自分を生かせるフィールドを何年もかけて探して、今の環境に行き着いた。
もしかしたら今後も環境は変わるのかもしれない。
でも一つ言えることは、あの義務教育期間の強いられた積極性は大人になった今、必要ないと確信していること。
だからもし、周りの価値観によって自分らしくいられない人がいたら、それはあなたには必要のないスキルだということを知ってほしい。
短所にばかり目を掛けると長所を殺しかねない。
その人にはその人に合った価値観の国、職種、コミュニティがある。
それぞれの欠点を矯正して平均的な人間になってはもったいない。
欠点はほっといて、長所をひたすら伸ばす。
そしてあなただからできることを粛々と磨いて行ってほしい。