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『恋とか愛とかやさしさなら』一穂ミチ/著を読みました。
こんにちは。
今週、一穂ミチさんの『恋とか愛とかやさしさなら』を読みました。
一気に1時間ですべて読み終えて、スマートフォンの通知のピコンという音も耳に入らないほど物語の中に自分が入り込んでいたことに気づく読書体験でした。今回のnoteは、その理由(わけ)を紐解きたいと思います。
“信じる”のグラデーション
この作品は、婚約者がある罪を犯したことに対して主人公がどうしたら良いのか困惑しそれでも生きていく姿が解像度高く細やかに描かれていました。
相手を信じていたのに。信じていたこの気持ちに自分でどう向き合っていくのが正解なんだろうと悩む主人公は、ある意味とても人間らしくて読者も一緒になって自分なら許すだろうかと思案します。たとえばもし婚約者と相手の方の間で示談となっても起きた事実がこの世から消えるわけではなくて。また同じことがあるか誰にもわからない未来をどう生きるべきなのか。
相手を信じていた気持ちを100とするならば、今はどう変化している最中なのか。30や70はグラデーションとして存在しているのか。いっそ簡単に0か100かで簡単に割り切れたらどんなに楽でしょう。そんなココロの機微が(個人的な感想ですが)作者史上最大出力で描かれたように感じました。
その理由は
そうかわたしが『恋とか愛とかやさしさなら』を一気に読んで引き込まれた理由は、多くの作品を世に出してきた今の一穂ミチさんだからこその文章+背景にある熱いエネルギーが融合したパワーを受け取ったからなんだと今書きながら気づくことができました。
たとえるならば、恋愛を描くというテーマのビニール袋に詰め放題のようになにか商品が上まで一杯入ったものをゲットだぜ!とばかりにわたしは手にしました。流石こんなに詰まっているのかとよく見ると、その袋はたくさん入るように、ちょっとずつビニール袋を広げてから入れるという技ありの完全体だったのです。
ここまでよくぞというくらいに込められていたそれがこの作品のようでした。一見普通の量のようで、よく見てみたらそれ以上に匠の技とパワーで構成されていたのです。脱帽どころじゃなくって、もう帽子がはるか彼方に飛んでいっています。
信じるということはどういうことなのか、ひと目見ただけではわからない一面が人にはあるのかもしれないこと、過ちはだれにでもあるのだということなどが小説という形で袋詰めしてアウトプットされています。さらに背景にある一穂ミチさんの考えの持つ熱いエネルギーが物語に力を与えているから、こんなにも読み手に登場人物たちの想いがダイレクトに伝わってくるのだと感じました。
タイトルからは想像もしない読後感が味わえた『恋とか愛とかやさしさなら』は表紙カバー裏の短編も必見です。わたしは、最後に読んでこの話のころはあのグラデーションでいうとどのくらいなのかを考えました。
機会がありましたら是非体感してください。きっと、あなたにとって忘れられない物語になるでしょう。
お読みいただきありがとうございました。
桜
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