小説┊︎カクテルを飲んで、カクテルに飲まれて
きっかけは?という質問の答えとしては、
「魔が差した」の一言が過不足のない説明だと思う。
彼氏と別れて趣味に明け暮れる生活を送っていた私に魔が差した。
バイト先の友達に彼氏が出来たからかもしれない。
大学の友達の匂わせストーリーをよく見るようになったからかもしれない。
推しているアイドルとの年齢差に現実味がないと実感してしまったからかもしれない。
とにかく、魔が差した。
手軽に出会いを見つけたかったら、身近な人との再開を狙ってLINEに「元気?」と送るのが良い、と聞いたことがあった。
幸か不幸か、マッチングアプリや合コンに身を乗り出すほどの精神的な余裕も元気もなかったから、どこかで聞いたことがあったこの策に乗っかってみようと思った。
無粋なアイデアだが魔が差してしまったのだ、仕方がない。
相手は誰でも良かった。
深夜であってもLINEに既読がつきそうで、無視せずに私との再会を受け入れ、話し相手をしてくれそうな人なら、誰でも。
形ばかりの「友だちリスト」から私が選んだのは、1年半ほど前に別れた1つ年上の元彼だった。
LINEで、しかも自分から別れを切り出した相手に唐突に連絡をするのは我ながらなかなかサイコパスだと思ったが、「魔が差した」の一言に免じて見逃して欲しい。
「お久しぶりです、今起きてます?」
深夜の2時半に急に連絡が来て驚かない元カレなどいないだろうが、そんなことはおかまいなしにLINEの送信ボタンを押し、薄桃色の吹き出しを巣立たせた。
『死ぬほどびっくりした』
当たり前のリアクション。予想通りのリアクション。
最近元気に過ごしてるのか、大学には通えてるのか、バイトは変わらず続けてるのか、当たり障りのない会話を続ける。
そんな会話の途中で
『そっちは?最近元気にしてるの?』
急に質問をされた。
聞かれたら聞き返す、社交辞令ってやつだろう。
無難な返信は"うん、元気"とかそんなところだろうが、無駄に素直な私は
「フィジカルは、元気です」
と返した。
間違ったことは言っていないが、相手の要らぬ興味を引くこともわかっていた。
「は、ってことはメンタルはなにかあった訳だ?」
さすがに鈍い彼にもこの含みの持たせ方はバレたようだ。
やりとりの3か月前。彼と別れてから1年強の時期。
私は大切な親類をなくした。不治の病だった。
その2ヶ月後。つまり今から1か月前。
また別の親類をなくした。急性の病だった。
身近な、顔も覚えているしお世話にもなっていた人を、立て続けに亡くしたことで、文字通り私のメンタルは死んでしまっていた。
心に空いた穴だけが大きくなって寂しさばかりが増していって。でも私よりも傷ついている身内の前では弱さを見せることなんて出来なくて。
気づいたら、サイズ違いの鎧を被って、ただただトンネルの中の薄暗い道を彷徨っているような、そんな、身動きが上手く取れなくて、先の見えない日々を送っていた。
食事もあまり味がしなくて、何をしても楽しくなくて。でも、好きなドラマや好きなタレントを見ると元気が出て笑顔になれる自分もいて、そんな自分が薄情なやつに思えて嫌だと感じる自分もいて。
何もかも許せなかった。生きていることにもやる気が湧かなかった。
そんな時に、魔が、差した。
『飲みにでも行こっか。久しぶりに』
拍子抜けな提案に思わず画面を2度見した。
LINEでの会話で少しでも気が紛れれば良かった。
振った元彼になんて合わせる顔がない。願わくばもう関わりたくもない。はずなのに。
とにかく寂しさを埋めたかった、少しでも非日常に逃げ込みたかった。
そんな気持ちが、勝った。
「行きましょっか。久しぶりに」
こうして私たちは1年半ぶりに顔を合わせることとなった。
待ち合わせは夕方18時。
使い慣れた駅の使い慣れた改札口。
彼とよく待ち合わせたその場所で、前とは違う関係性で待ち合わせる。
もちろん、未練などはない。
変な勘違いを生まないように、服装だって、ジーパンにスウェットを羽織ってベストを重ねたラフスタイル。
今日は何も起こらないし起こさない。
ただ、久しぶりに会った知人の一般男性と酌み交わすだけ。それだけ。
自分に言い聞かせるように脳内で繰り返していると、知人の一般男性が姿を現した。
『久しぶり。じゃあ、行こっか』
前に会ったときと何ら変わらない容姿。
変わったところと言えば、情勢の影響で付けるようになったマスクと、少しセンスが良くなった私服のチョイスくらい。
少し重ための整っていない前髪も、高校生の時から変えていないメガネも、太陽を知らないのかと疑いたくなるほど白い肌も、何ら変わっていない。
「さすがに12月はもう冷え込みますね」
当たり障りのない天気の話をしながら繁華街を抜け、大衆居酒屋へと向かう。ビールとシャンディガフをそれぞれ頼むとコートを脱いで席に着いた。
『元気にしてた?ってまぁ、この間もLINEで聞いたか笑』
「元気ですよ、ぼちぼち」
大学は、サークルは、バイトは、当たり障りのない話題から順に、外堀を埋めるように話をしていく。
腫れ物に触らないように、祟のある神様に触らないように、私が何故"フィジカルは元気"なのかは問わないまま。
梅酒に日本酒、サワー。色んなお酒と共に時間だけが過ぎていった。
私だって荒んだ心の核心に迫って欲しくて飲みに来たわけではないし、そこに迫られたからと言って全てを話すつもりもない。
適当に誤魔化して、愛想笑いを重ねて、気持ちよくなるまで飲んだら帰る。精神衛生を維持出来ればそれで、良い。
そう考えていた。まさにそのタイミングで。
『で?どうしたの』
急に話を振られた。必要最小限の言葉数で。
私が不自然に会話を引き伸ばしている素振りから、私が自分から腹を割って話をする気がないのを察したようだった。
変なところで鋭い勘を働かせてくるところも変わってないようだ。
「んー。その。んー。」
ろくな返事もせずに、この場をやり過ごす方法だけをほろ酔いの頭で考える。
用事を思い出したから帰る?別の話を振ってまた誤魔化す?
どのアイデアも残念ながら使えない陳腐なものばかりだった。
『もうちょっとお酒入らないと腹割った話は出来ないかぁ、お店移そっかね』
気を利かせてくれた提案も今は恨めしい。
私が年長者に提案されたことを否定するのが苦手なことを上手く利用されてしまった。このままじゃ、彼のペースに飲まれる。
酒に飲まれて弱音や悩みをぶつけるなんて、そんな。
いいんだろうか。
いや、ダメやろ。
そんな私の葛藤も露知らず、黒いカードで勘定を済ませた彼は、サッと上着を羽織りこちらを振り返って、少し気まずそうに笑った。
『色んなカクテルがあって楽しいんだよねぇ、ここ』
そんな言葉と共に彼に連れてこられたのはスポーツバーだった。
と言っても観戦の日ではないらしく、少しカジュアルな普通のバー、といった装いの店に老若男女のアベックが肩を寄せあっていた。
慣れた様子でカウンターチェアに腰掛けた彼の元に運ばれてきたのは、エバ・グリーン。
『せっかくだし飲んだことないお酒とか挑戦してみれば?』
そんな言葉に唆されて私が頼んだのはテキーラ・サンライズ。
『へぇ、テキーラか。攻めるねぇ。笑』
確かに少し度数の高いものを頼んでしまったな…と反省はしたが、かく言う彼が頼んだのもテキーラのカクテルではないか。
まぁきっと酒慣れした彼にはどうってことないのだろう。
サンライズ、という名前の通り朝焼けを思わせる鮮やかなオレンジジュースとテキーラの色。グレナデンの褐色とグラスに挿したオレンジの果実も相まって、このグラスの中だけ異国情緒が漂っている。
しかし、1口飲んで口の中を支配したアルコールの芳香に、あぁ、私は今日本のバーにいたんだ、と我に返った。
とはいえ、1杯目の最初から核心に踏み込まれることはなかった。
警戒させないというか、落ち着かせたいというか。彼なりの配慮なのだろう。
配慮してくれているうちに帰っちゃいたいな、なんて都合のいいことを考えながら南国の太陽を飲み進めた。
テキーラが強いお酒であることは分かっていたけど、こうしてジュースで割ると癖も感じにくく、甘い香りが口の中に広がる。オシャレに、でも気づかないうちに酔いつぶれてしまいそうな1杯だな、とその怖さに感銘を受けた。
『カクテルって面白いよね、何通りもあって飽きないし』
はにかみながらそういう彼の吐息からはパイナップルの匂いが漂っていた。
1口いる?なんていって飲ませてもらったそれは見た目よりもスッキリしていて、ミントの爽やかさも相まって、これまた悪酔いしそうなお酒だった。
「なんでそんなにお酒に詳しいんですか?」
『んー、なんでだろ。暇な時にバ先の先輩と飲んだりするからかな』
付き合っていた頃から今に至るまで、高級ホテルでバイトをしている彼のことだ。バーなんかに行く機会も多いのかもしれない。
近くにいながらその背中がすごく大人に見えて、隣にいるのに手が届かないような遠さを感じた。
『なんか2杯目頼もうか。』
1杯目の液面がグラスの底を這うようになった頃、そう言って彼はメニューをパラパラとめくった。
首を傾げながら、時折うーんと唸りながら彼が頼んだのは、ハンターというもの。ウイスキーで作るカクテルだそうだ。
慣れないカクテルメニューに相変わらず戸惑っていると、彼がひとつの写真を指差して私に勧めた。
ラスティネイル、というスコッチ・ウイスキーで作るカクテルらしい。
"結構度数高いけど"と注意喚起をしてまで私に勧めてくるのにはなにか理由があるのかと訊ねても、"頼んだら教えてあげる"の一点張りでなかなか牙城が崩せない。
潰れたら色々と面倒だしなぁ…と思いつつ、彼がそこまでそのお酒を勧めるのは何故なのか、興味が勝り、カウンターでラスティネイルを頼んだ。
『なんか楽しいねぇ。楽しいお酒って久しぶりかもぉ』
『無理して同じペースで飲まなくてもいいんだよぉ?ふふ』
ハンターを半分ほど飲み進めた彼が覚束無い呂律でそう呟いた。酔いで頬と耳を赤らめながらふにゃふにゃと笑っている。
その楽しそうな表情を見ながら、私なんでこの人と別れたんだっけな…なんて過去に思いを馳せてみたり。
アルコールってやつは、都合の悪い記憶を思い出させなくするみたいで、蘇る思い出は、楽しかった、彼も私も笑っていた頃のものばかりだった。
泥酔しないように水を挟みつつ、たわいもない話とともにグラスを傾ける。
目がとろんとして来た彼を横目に、ロングのカクテルグラスの中の氷をゆっくりかき混ぜると、心地よい氷の音が不思議な安心感をもたらしてくれた。
『でもさぁ、お姉さん?さすがに元彼と一緒に来たバーで1杯目がサンライズは良くなかったよ笑』
丸いカクテルグラスに注がれた褐色の液体を口に運びながら、ぼちぼち仕上がってきた彼は口を開いた。
「良くなかった、と言いますと…?」
『花には花言葉、色には色言葉、ってあるじゃん?同じようにね、カクテルにもあるの、カクテル言葉ってのが。』
なるほど。大方展開は読めた。
「…サンライズのカクテル言葉って、どんなのなんですか」
聞きたくない気持ちを少し抱えながらも、恐る恐る聞いてみる。
『"熱烈な恋"』
…しまった。
『しかも、カクテル言葉の中じゃ結構有名な方。俺、ちょっと焦ったからね?笑』
都内の高級ホテルで働いている彼だから、アルコールが好きで詳しいから、そういう話を聞く機会が多いから、だから知っているんだろうと思考を誤魔化そうとしたが、検索エンジンがそれを許さなかった。
本当にカクテル言葉は多岐にわたって存在するし、本当にサンライズのカクテル言葉は有名らしい。
大きな反省だ。
お酒にまでそんな言葉や意味があるなんて聞いてない。
"知らないとどっかで誰かに気を持たせかねないから気をつけなね?" なんておどけて言う彼に感謝しなきゃな、とぼんやり思った。肝に銘じておこう。
帰る時間、気にしておかなきゃな、でもまぁしばらくこのまま時間を浪費してもよいかもな、なんて怠惰な思考になっているのも全部アルコールのせいだろう。
どうせもう彼には当面会わないだろうし、今の時間を楽しめるならまぁそれもアリか、なんて私らしくない考えが思考回路を巡り始めていた。
それもこれも、ただ楽しいお酒の席だったからかもしれない。
『で、何があったのさぁ』
淡い沈黙を切り裂くようにふやけた声で彼が言った。
「え、何も無いですよ?笑』
『何も無くて、1年半前に別れた元彼の誘いに乗ってホイホイ飲みに来るような子だっけ?あなた』
「それはたまたま暇だったからで、ってか本当に大丈夫なんで」
なるべく心の内が分からないように、明るく言った。
『君が大丈夫って言う時は大丈夫じゃないとき。ほんと、そういうところ変わってないね』
見せかけの明るさなど通用しなかったようだ。
なにもかも見透かされているような言動に少し怖くなった。
もしかしたら私が口に出していないだけで、既に彼は色々なことを察しているのかもしれない。
それでも沈黙を決め込んでいると、見かねた彼がまた口を開いた。
『そんなに言いたくないことなの?』
「…」
『それとも』
『"言ったら俺に負担を背負わせるなぁ、それは申し訳ないなぁ"ってこと?』
言い当てられたのが悔しかった。 ただただ悔しかった。
ただ、その悔しさの中に「自分のことをこんなにも見ている人がいたのか」と、かすかな嬉しさも覚えていた。
そこまで含めて悔しかった。
『言いたくないことなら、聞かない。酒の席で嫌な思いさせたくないし。…でも』
『俺への負担が〜とかなら、気にしなくていいから、話してみ。なんか楽になるかもしんないし。』
『1人で抱えるの、辛いでしょ。』
今のこの人にだったら委ねてもいいのかもしれない、そう思えてしまった。
お酒が回ってきたからかもしれない。
でも、彼の一言で私の薄暗いトンネルにぼんやりと光が差したのは事実だった。
「実はちょっと身内に不幸があって…」
重い口を開き、言葉を紡いだ。
立て続いた訃報に、行き場のない自分の気持ちに。
なんで私が真っ暗なトンネルの中にいるのか。
なんで私に魔が差して、彼に連絡をするに至ったのか。
ぽつりぽつり、とこぼすように話をする私の言葉を取りこぼさないように、時折顔を近づけて、時には口元を読むように、彼は話を聞いてくれた。
『よく頑張ったね。頑張って、偉い。』
『ちゃーんと生きてて、ちゃんと偉いよ。』
一通り話を終えると、彼は言葉を漏らした。
生きていることが偉い、なんて規模の大きな褒め言葉も、荒み枯れきった私の心にはオアシスの水の様に沁みていった。
気がついたら沁みた言葉が本当の滴になり目尻から零れ落ちていた。
「あれ、ごめんなさい」
滴は次から次へと溢れ出た。
『大丈夫、気が済むまで泣きなね』
そう言って彼は私の頭を優しく撫で、ようとしたのだと思う。
一瞬優しく頭に乗った手に、わかりやすく表情を曇らせた私を見て、そっと手を下ろした。
ホコリついてたわ、なんてベタな言い訳をして。
助けて欲しかった、話を聞いてくれて救われた。
けど、同時に重荷にもなりたくなかった。
彼女でもない年下の女の世話なんて、ただの面倒事にすぎない。
そこに好意がなければ尚更だ。
ただ、困っている人には優しさで手を差し伸べてくれる人だから。
きっと私が泣きついたら私の温もりになってくれる人だから。
だから、頼りたくなかった。
虚しくなるだけだから。
本物の人の温もりだけど、気持ちのない偽物の温もり。
大切な人に大切にされるのとはまた別の、寂しい、温もり。
「あれ、おかしいな、、」
だから、零れ落ちる雫を手のひらで掬いながら、強がった。
「ほんと、大丈夫な、はず、なんですけど、ね」
こんなことが言いたいわけじゃないけど、こんなことを言う。
彼が私を突き放してくれるように。見放してくれるように。
そんな私の様子を見ると、彼は分かりやすく眉を下げた。
『何に怯えてるの』
『君の世界には誰が映ってるの』
さっきまで私を励ましてくれていた彼が弱々しい、消えそうな声で呟いた。
『正直ね、久しぶりに君から連絡が来たとき、どうしようって思ったんだよ。』
私が泣き止むか泣き止まないかのボーダーぐらいまで来ると、グラスに残ったカクテルを煽ってから彼は饒舌に続けた。
『友達にもすぐ相談したし、そしたら"クリスマス近いからワンチャン狙い?"とか"なんかの罰ゲームかもよ"とか言われて。そりゃそうだよなあって俺も思った。でも、そういうことする人でもないし、そういうテンションでもなかったでしょ、君。だから純粋に、本当に安否確認されただけなのかもなぁって、思った。』
『顔見せた方が安心するかなって思って飲みに誘ったら、二つ返事でいいよって言われたから、やっぱりちょっと狙われてる?って思ったけどさ笑 振られた側の分際でどんな顔して会えばいいんだよとも思ったけどさ、でも』
『やっぱなんか心配だったんだよね。放っておけなくて。気がついたら後先考えずここに来てた。』
『それなのに、さ』
「それなのに、?」
『それなのに、君は、全然心を開いてくれないじゃない? 付き合ってた頃からだけど、なんとなく、ずっと壁1枚挟んで会話してる感じっていうかさ。本当の気持ちとか本音とか見えなくて。俺、どうしてあげたらいいのかもわかんないし。』
『頼ってくれたら相談には乗るし、愚痴だっていくらでも聞くし、こうやって飲みにも付き合うよ。好きに使ってくれていい。あと、』
「あと、?」
『あと、精神的な支柱が欲しいなら、支えるし。支柱として彼氏が欲しい、って言うなら…なるし。』
『どんな使い方でもいいよ、力になれるなら。だからさ、少しは俺に心開いてよ。仮にも元は彼氏だった人よ?笑』
少し首を傾げて私に微笑みかける彼の笑顔はどこか儚くて、苦しそうだった。
綺麗に笑うはずの彼の表情を歪めているのは他でもない自分だと思うといたたまれなくなった。
彼を傷つけない選択、だけど自分が自分を許せる選択。
そう思ってなんとか振り絞れたのは一言だけだった。
「ありがとうございます。」
『……うん。いつでも俺は寄り添うつもりだからさ?』
こんなに優しくしてくれる人に頼らないというのも大概失礼だよなぁ。
低すぎる自己肯定感や高すぎるプライドに嫌気がさした。
が。
頼ってしまったら、偽物の温もりで温まった頃に彼は急にふらっと姿を消してしまう気がして。
優しさに漬け込んで、依存して、その対象がどこかへ行ってしまうのが怖かった。また大切な存在を失うくらいだったら、大切な人や頼れる人を作らない生き方の方が生きやすいのかもしれない。
少なくとも、今はそんなことを思っていた。
彼の優しい慰めを無下にして、申し訳なさから黙り込んでいると、相変わらず目の前に鎮座しているロンググラスが目に映った。
カクテル言葉、今日初めて得た知識だったなぁ。
気まずさを紛らわすように、思考をカクテルに移す。
次からは多少意味合いを気にして飲むべきか、いやそもそもバーに異性と来る機会なんてあるのか、などとつまらないことをぐるぐる考えながら。
どうかした?という彼の声掛けもテキトーに誤魔化しながら。
ところで、彼が頼んだエバ・グリーンと、ハンターにはどのような意味があるのだろうか。
彼が私に勧めたラスティネイルにはどんな意味があるのだろうか。 ふと気になった。
『聞きたいなら話そっか』
どうやら私の心の声は外に漏れていたらしい。
『エバグリーンは俺がここに来る上での意思表示。未練で来たわけじゃなくて、1人の可愛い後輩のお悩み相談に乗るんだっていう』
『ハンターは今の俺の気持ち、かも。まさか泣き崩れるとは思わなかったし、上手く慰めることもできないし、ってね笑』
『ラスティネイルは、そうだなぁ。俺と酒飲んでる時くらいは色々忘れて楽しめればいいのにね、って感じ?』
『度数高い酒だから、酒でも飲んで全て忘れちまえ〜!って思いもあった、かな』
『あ、そうだ、1軒目で君が頼んでたシャンディガフにも意味、あるよ』
「…どんな意味が」
『教えてあげなーい。』
『…ただ、アレを頼まれた時に、俺に心開く気はないんだろうなぁって感じちゃった。笑』
『カクテル言葉が深層心理を示してる、みたいなこと、結構あるしねぇ。夢占い的な?』
『…言葉の意味を知らない君が頼んだとなると尚更。堪えたよね。笑』
『どうせだったらイエロー・パロットくらい、勢いのあるやつ、頼んでよ。』
なんて、彼が弱々しく残した文句には気づけずじまいだった。
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