東陽坊(京都建仁寺)
「東陽坊(とうようぼう)」
京都最古の禅寺・建仁寺にある二畳台目の茶室。
建仁寺は禅と茶を中国から持ち帰り、日本に広めた栄西禅師が開祖。栄西禅師が著した「喫茶養生記」は、我が国最古の茶書だそうです。
この中で、「茶は養生の仙薬、延齢の妙術」と説かれています。建仁寺にはそんな栄西禅師の茶碑もあります。
この茶席は、秀吉が催した有名な北野大茶会で、利休の高弟・東陽坊長盛(ちょうせい)が担当した副席と伝わります。
利休は長盛を可愛がり、「東陽坊」の文字を入れた釜と長次郎作の黒茶碗を与えました。この茶碗が利休七種(※楽焼の初代・長次郎作の茶碗で利休が名作と見立てたとされる茶碗)の一つ「黒楽茶碗東陽坊(重要文化財)」です。
そんな東陽坊の同名のこの茶室は、はじめ北野(京都市上京区)にあった高林寺の境内にあり、明治27~28(1894~5)年頃、廃仏毀釈の際に鳴滝の医師・太田某氏がその材を買い求めて建仁寺の塔頭護国院に建て、大正7~8(1918~1919)年に現在地に移築したものと伝わります。
内部は草庵式の二畳台目で下座床。北側に構えられた床の間には、床柱に赤松皮付、床框が真塗りで丸く面をとっています。
点前座にはわずかに曲がりを持つ赤松皮付の中柱を立て、炉を台目切りに切った台目構えで、勝手付には上下の軸をずらして下地窓と連子窓を重ねた色紙窓があきます。
この茶室の大きな特色として、床の隣に茶道口と給仕口が一つの口として太鼓襖の引違いとしていることにあります。それに合わせて、襖の外には台目一畳の合いの間を設けています。(※下のスケッチは襖を外し、二畳台目+合いの間としてところです)
さらに外には、勝手の間(二畳台目向板入)と水屋が連っています。
茶室の窓が比較的小さく少ないこと、墨跡窓がないことは利休風のつくりで、点前座の色紙窓や二重の雲雀棚、天井の構成などは織部・遠州風の構成となっています。
これらのことから、利休風を基調とした長盛の茶室を後年、遠州(織部)系統の茶人が改修を加えて、現在の形に至ったものと考えられています。
建仁寺境内に今も現存しますので、一見の価値ありです。
建仁寺は俵屋宗達筆の国宝・風神雷神図屏風や海北友松筆の襖絵(※展示されてるのはCanon社による高精細複製画)などでも有名で、同じく必見です。
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