はじめに 落語は「高尚な伝統芸能」といわれる一方で、「親父ギャグの集大成」とか「じいさんの趣味」などと長きに渡り迫害を受けてきた日本の話芸です。しかし、何を思ったか、ここにきて流行という夢のような事態となり、関係者一同浮足立っている昨今であります。 実は、落語という芸能は最近だしぬけに流行しているわけではありません。ある一定のラインを保ったまま細々と歩み、社会に何か起こるたびに落語が注目されることになっております。世間が不安になったり、自身の在り方を考える事件や災害が起き
日中に照り付けられ続けた夕暮れの駅は、すっかり蒸されていた。幾分空いていた電車から降りたとたんに吹き出た汗を、ミツコはハンカチで拭う。 この町に越してきて何度目の夏だろうか。駅前の雑踏は都市開発が始まり、高層マンションが建とうとしていた。それでも昔からの商店街は脇でひっそりと抵抗を試みている。 人が立ち止まったりのぞいたりしている一角に目が引き寄せられる。露店だ。この季節になると、こうやってスイカだのキュウリだのトマトだのと並べて売っている露店が現れる。 昭和のはじめ
私鉄を降りると息は一層白く、寒さでマフラーを口元まで上げ、肩を縮こませた。星は一段と高く、秋はすっかり冬へと変わったらしい。 バス停には向かわず、駅前の大きな通りの横断歩道を渡り、一本奥の道を歩く。ファミマの横を過ぎる頃、スマホが震える。立ち止まり、相手を確認することなくスマホを振って応答する。 「降りましたか?」 耳が甘い。いつだって優しい。多分、わたししか知らない声だ。 「寒いですね」 「そうですね」 「家まで、どのくらいですか」 「15分か、そこらです」 「同じ
物事が終わる時には、気持ちはすでに過去形だということを知っている。 逢瀬と秘め事を済ませたあと、もう少し一緒に居たいという浅ましさで、遠回りの線にふたりで乗った。 ローカルな私鉄はいつでも空いている。 連休前の夜だというのに、今日も数えるほどでもない乗客数だ。 並んで座り、気怠さが残る声でぽつぽつ話をして、あと一駅で乗り換えというときに、「ああ、そうだ」と、まるで今思い出したようにあの人は続けた。 「明日から火曜日まで電話できないから」 ぴん。と耳の奥で勘が働く音が鳴
世界史の先生が大好きだった。 一年生の時に一目惚れして、おかげさまで世界史の成績は3年間ほぼ満点に近かった。 英語が学年人数に限りなく近い順位に対し、世界史たるや毎回の順位を並べると二進数だ。 用を作っては歴史準備室に行き、放課後は歴史準備室の小さなテレビで「ハンニバル」「スパルタカス」「クレオパトラ」を観ていた。 映画に感動して号泣しているわたしに、先生は「鼻かんでから帰れよ」とポケットティッシュをくれた。 大好きなことを隠すことをしなかったので、学校中がみんな知って
契約者が「こっからそこの道行ったら支所まで近道だから」と教えてくれた通りに車を走らせているが、今猛烈に後悔している。 契約を今日の日付にするためには、15:00までに入金処理と入力処理を済ませなければならない。本所まで戻っている暇がないので、最短距離にある支所で作業を行おうとしているのだが、山道だし暗いし狭いし、何より怖い。 そして、この先には灯りもついていない、名もないトンネルがあったはずだ。 地元の人たちが生活に使っている現役のトンネルなのだが、なにしろ不気味で、ホラ
6年間だけ住んでいた丘がある。 そこは、町から坂を登りきったところにあり、町の由来となった樹が街路樹として、随分と間を空けて並んでいた。 小さな小学校には、わたしたちの学年は7人しかおらず、その丘にはわたしと同い歳の男の子と、ふたりしかいなかった。 わたしたちは毎日一緒に学校に行き、毎日一緒に帰ってきた。 浄水場の横にある川への寄り道も、小さな動物の足跡を見つけにいくことも、わたしたちはいつも一緒だった。 雨が降り親たちが迎えに来る中、わたしたちは傘を持たずにふたりで走
物書き活動と落語に関してはこっちで発信していきます。サイトをとある事情で閉鎖しているので、小説・シナリオの覚書・プロット・コラムもこっちで。となると、facebookに投稿するものが、ごはんと生存報告くらいしかなくなるのか。Twitterは非公開中。