名残りの水蜜
日中に照り付けられ続けた夕暮れの駅は、すっかり蒸されていた。幾分空いていた電車から降りたとたんに吹き出た汗を、ミツコはハンカチで拭う。
この町に越してきて何度目の夏だろうか。駅前の雑踏は都市開発が始まり、高層マンションが建とうとしていた。それでも昔からの商店街は脇でひっそりと抵抗を試みている。
人が立ち止まったりのぞいたりしている一角に目が引き寄せられる。露店だ。この季節になると、こうやってスイカだのキュウリだのトマトだのと並べて売っている露店が現れる。
昭和のはじめの頃は、ここは下総の地から東京市への中継地点だったと聞く。貨物だけでなく、行商の人たちもここで荷物を持って乗り換えたのだろう。
「あら、もう桃が出てるのねぇ」
「初物だよ。買わにゃあ」
本当だ、白桃が出ている。まだ固そうでもあるが、ふんわりとした赤みは恥じらいを含んだ火照りにも見えて、ミツコの胸が跳ねた。
「おじさん、これ、柔らかい?」
「ああ、食べごろだよぉ。冷蔵庫に入れると甘くなくなるから、冷えたら食べちゃって」
私だって食べごろの頃はあったのだわ。
袋に入れてもらいながら、首筋の汗を拭く。今日は、めずらしくあの人がうちに途中下車できる日だ。暑い中を歩いてきた身体に、冷たい桃は格別だろう。いや、先にビールで、事が終わってから桃だろうか。ふたりでベッドで食べるのも良いかもしれない。
電車に乗ってから連絡すると言っていたから、まだ会社なのだろう。鍵を開ける前にスマホを見てみたが、来ていたのはYahoo!ニュースだけで、芸能人の不倫がトップニュースになっている。
ミツコに言わせてみれば、不倫だ不倫だと言っている間はまだまだ女遊びにすぎない。遊びを超えて、食べごろを過ぎて、共に季節を超えて時をめぐってからが本物だ。結婚だの離婚だの、そんな小さなことで騒がないでほしい。
袋から桃をひとつ手に乗せてみると、産毛が妙にリアルである。確かに、食べごろであるらしく、指に力を入れたら汁が滲んでこぼれそうだ。熱気がこもる中で、桃は香りを放っている。
あの頃、まだ私は固い果実で、なのに香りだけは一人前で、おいしそうにみえたに違いない。あの人はもう既に大人で、他の誰かのものだったけど。もっと深く、もっと奥へと好きになり、恋の喜びを知るたびに、熟れる悦びも知ってしまった。
よく、妻とはうまくいってないとか別れる予定でいるとかいう男もいるというけれど、あの人は一度も言わなかった。結婚を望んで一緒にいるわけではない。私たちの関係は、世間一般的にいう不倫とは全くの別物だ。そんなことで語れるほど簡単なものではない。
すっかり熟れた身体にさせられて、それでも結局、他の人のものにはならずに生きてきた。
それでよかった。あの人の情愛だけがあればよかった。私が選んだ、愛のカタチなのだ。
窓の外には街灯が灯り始めた。スマホはあれから光らない。きっと、家の人から連絡が来たかどうかしたんだろう。
この時間になれば、もう途中下車は無理だ。私が住む駅を乗り越して、古の名のつく川を超えた、待つ人のいる家路へとついたのかもしれない。
さっき冷蔵庫に入れたばかりの桃を出して、皮をむいてみる。するすると脱ぐように剥ける皮をシンクに捨て、匂い立つ果肉を噛ってみれば、甘い汁がのどを落ちる。
急に渇きを覚え、ミツコはしたたる汁が床に落ちないように、シンクに乗り出しかぶりついた。
自分のものになるなんてことは、考えてこなかった。いつかなんて永遠にこないと思っていた。
声も、体温も、匂いも、胸をくつろげる息遣いも、肌に触れる指の熱さも、知れただけで私は幸せだもの。
そしていつか、永遠の別れとなったとき、その時こそあの人の愛は私だけのものになるのだわ。
桃の種についた果肉をしゃぶり歯を立てる。
ミツコはふと、小さなころ祖母が夏の桃を「すいみつ」と呼んでいたことを思い出していた。
(了)