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ビジネスに効く!落語入門講座

はじめに

 落語は「高尚な伝統芸能」といわれる一方で、「親父ギャグの集大成」とか「じいさんの趣味」などと長きに渡り迫害を受けてきた日本の話芸です。しかし、何を思ったか、ここにきて流行という夢のような事態となり、関係者一同浮足立っている昨今であります。

 実は、落語という芸能は最近だしぬけに流行しているわけではありません。ある一定のラインを保ったまま細々と歩み、社会に何か起こるたびに落語が注目されることになっております。世間が不安になったり、自身の在り方を考える事件や災害が起きたり、民衆が怒りや哀しみの感情を抱いたとき、落語は流行します。なぜなのか。その謎は、落語の演目と大衆芸能として息づいてきた歴史に潜んでいます。
 落語をよく聴くという人の多くは、経営者だったりリーダーだったり、売れる営業マンだったり、よくモテる人だったりします。それは、落語に隠された謎を知っており、日常やビジネスにうまく役立てているのではないかと感じています。彼らは落語のどこから何を学んでいるのでしょうか。
 本日は、その謎を一緒に解いていきましょう。

自己紹介

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本日お話させていただく私、櫻庭由紀子は、五代目圓楽一門会に所属している真打・三遊亭楽松の女房です。俗にいう肩書は、おかみさんです。
売れてない噺家の女房なので、おかみさん業の他に落語や伝統話芸、幕末あたりの歴史や文化について書いたり、このようにおしゃべりをしたりして小銭を稼いでいます。更に、これだけでは食えないので、編集者や記者に擬態して社畜の真似事をしています。

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 よく落語では「あたしだって出し抜けに年を取ったんじゃないや」と言いますが、わたしは出し抜けにおかみさんになったクチでして、楽松に居酒屋で出会って3回目でプロポーズされて4回目で親御さんに「末永くよろしく」といわれて、こちらこそよろしくおねがいしますとうっかり三つ指ついてしまって現在に至ります。とはいえ、落語を小さい時分から聴いており、女子高生という貴重な時代に改めて落語にハマっておりまして、たまたま楽松と飲み屋で盛り上がった結果がこの体たらくでございます。

 ではわたしが人生を共にしている落語とはどんなものでしょうか。まずは入門編からまいりましょう。

落語ってなんだ?

落語は、江戸時代より続く日本の伝統話芸です。日本には伝統話芸は落語の他に「講談」「浪曲」の2つがあり、もうひとつを付け加えるのなら昨年映画「カツベン」のテーマにもなった「活動弁士」があります。

語り口調にも特徴があり、
落語は「話す
「講談」は読む、浪曲は語る、活動弁士は説明する
です。

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また、落語には江戸落語上方落語があり、本日は主に江戸落語でのご説明です。この江戸落語には、前座・二ツ目・真打という階級があります。(講談にもあります)
真打となると弟子を持つことができるわけですが、落語は「師匠」、講談は「先生」となります。ちなみに、浪曲も先生です。多分、扱う噺が講談と浪曲は立身出世の立派なお話であるということも関係しているのではないかと思われます。
落語家は、師匠になれても先生にはなれないというわけです。

以上をふまえたところで、落語の定義です。

1 会話形式の落とし噺である。
2 着物で座布団、扇子と手拭い。話芸だけで聴かせる伝統芸能
3 新作と古典がある

 1について、落とし噺、つまりオチがある噺。オチがあることが落語にとって重要です。落語の界隈では、オチとは、サゲといいます。「花色木綿」という泥棒が出てくる落語がありますが、「”裏はあったか花色木綿”でサゲた」という言い方をします。
 したがって、舞台が江戸時代であることは関係ありません。江戸時代だろうが、明治だろうが、令和であろうが、「ご隠居、いるかい?」「やあ、熊さんお入り」という会話形式で進み、「三方一両損」の落ちだと「おおかあ食わねえ」「たった1膳」でサゲるのが落語となります。
「さあ、ここで入ってきたのは熊さん。周りを伺い、勢いよく戸を開けるとおもむろに、ご隠居、いるかい」と地の文が入るのは講談です。
 会話形式でサゲがあれば、笑点の司会でおなじみ昇太師匠の現代を舞台にした新作落語「ストレスの海」なども落語というわけです。

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 2について、落語は着物で座布団の上に座り、小道具は扇子と手拭いだけでおしゃべりをします。上方落語では、ここに鳴り物と釈台が入り賑やかに進みます。
 ふたつの小道具と所作だけの話芸です。蕎麦をすすったりするのが有名ですね。

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 3について、先ほどサゲの部分で少し説明しましたが、落語には古典と新作があります。ざっくり分けると、江戸から明治にかけて活躍した三遊亭圓朝という、怪談で有名な「牡丹灯籠」を創作した落語の神様みたいな師匠がいるのですが、圓朝以前が「古典」、それより先が「新作」と言われています。
 ですから、今ではほぼ古典化している、大正から昭和初期に創られた「猫と金魚」や、明治39年に創られた「新聞記事」も新作落語です。「猫と金魚」は、「のらくろ」という戦時中の有名な漫画があるのですが、その作者である漫画家・田河水泡が書いたものです。また、寅さんの監督で有名な山田洋次監督は、柳家小さん師匠にいくつかの落語を書いています。江戸時代設定となっていますが、現在に創作されているため新作に分けられます。

舞台と登場人物とその役割

舞台

歌川広重_日本橋

歌川広重_神田紺屋町

さて、そんな江戸落語の舞台は、もちろん江戸・東京。やはり噺の中心は今の東京都中央区です。日本橋、神田。この辺りは商家も多く、神田には職人が住んでいました。物流と交通に重要な役割を果たしていたのが隅田川。その隅田川を船でいくと浅草。浅草は「文七元結」の舞台であるほかにたくさんの落語が生まれています。浅草までくると忘れてはいけないのが浅草寺の裏手にある吉原。艶笑噺の舞台です。

歌川広重_両国花火

広重_新吉原

歌川広重_芝浦(高輪ゲートウェイ)

このほか、両国、深川、品川。三遊亭圓朝の落語には、圓朝が住んでいた谷中、根津、千駄木の谷根千が舞台となっています。先ほどの「牡丹灯籠」でお露にとり殺されてしまう新三郎の住まいが根津です。

登場人物
 落語の中には、こういったまちの長屋や持ち家に住む、職人だったり大家だったり、大店の旦那、若旦那、番頭、お嬢さん、花魁、女郎といった人物が登場します。
 落語に必ず出てくると言って良い、おなじみの熊さん八っつぁん、熊五郎と八五郎ですが、彼らは人物の記号みたいなものです。
星新一のショートショートでいうところの、エヌ氏、エス氏のようなものでしょうか。

熊五郎
職業は大工。そこそこよい腕をしているのか棟梁だったりします。気風がよくて面倒見がよくて、兄ぃなどと慕われています。けんかっ早いのが玉にキズです。

八五郎
おっちょこちょいのお調子者。酒で失敗することもしばしばで、職業もさまざま。酒と遊びが好きでトラブルに巻き込まれることもしばしばなのですが、一方で妹の幸せを願い涙するという情に厚い人物として描かれています。

熊さんや八っつぁんが住んでいる長屋の大家さんと、横町のご隠居
彼らは、大家といえば親も同然、店子といえば子も同義とのごとく、町内の若い衆の面倒をみます。ご隠居は知識を与え、大家はもめごとの仲裁を行い仲人だって引き受けます。

与太郎
同じ長屋に住む能天気な人物。みんなに馬鹿だ馬鹿だと言われながらも明るく、嘘がつけないので、横丁の豆腐屋に女房が浮気をしていることをバラシてしまったりします。
憎めない性格のため、職さがしや嫁さん探しなどみんなが世話を焼いています。与太郎は余計な忖度はしないので、与太郎が言ったことが本質であることもあります。町内の潤滑油的な存在です。

 商家には、旦那・主人が居て遊び人の若旦那、しっかりものの番頭に恋に恋するお嬢さん、旦那の妾が気になるお内儀さんがいます。武家屋敷に住むお侍さんは、えらそうにふんぞり返り町内の人たちがささやかな反逆にでます。

 ここまでのお話で、聡明なみなさんはお気づきかと思うのですが、落語の登場人物のキャラ付けは、会社や組織、仕事を進めるうえでみなさんがお会いしている人たちと同じではないでしょうか。
落語は、社会のリアルな縮図なのです。

ビジネスパーソンが落語を聴いた方が良い理由5つ 

では、熊さんや八っつぁんが登場してトラブっている落語の中に、ビジネスに応用できるものは果たしてあるのでしょうか。
確かに、「毎度ばかばかしいお話を」なんていっているくらいですから、落語の登場人物をそのまま演じるだけでは「ああ、面白い話だった」でおわってしまいます。しかし、落語というものは、そんな単純なものではありません。
ビジネスに役立つ秘密は、落語が話芸であること、そして落語が持つ文化に隠されています。

寄席江戸末期

1 理不尽にユーモアで返す余裕が生まれる
 落語はいってみれば理不尽を笑い話にしているようなものです。世間にあふれている理不尽に悲観的になるよりは、笑い飛ばしてしまえという気持ちが表れています。また、理不尽に対して、風刺や批判という形できちんと怒り報復しているんですね。「おかしい」と思っていることをおかしいと言葉にしています。

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 それを、歌舞伎なら心中してしまうし、講談なら刀が抜かれているところですが、相手の恥にならないようにユーモアで返している。そこに面白み、おかしみが生まれます。

落語に出てくる夫婦喧嘩でも、「もっと俺をうやまえ!仮にもな、俺は夫だぞ!」という上から目線に、女房は「パワハラ!モラハラ!」「これだから封建社会の男尊女卑は」と返さずに

「なにを夫、夫と偉そうに言ってんだい。その下にどっこい付けてみな」「おっとどっこい」

でやりこめてお終いにしてしまいます。日本というややこしい世間の中で、ユーモアをもって生きる知恵が落語の中に見ることができます。

2 軽快で粋な会話と言葉が散りばめられている 
ユーモアをもって対応できる人は、頭が良いという印象をいだかせます。これは得ですね。そんな会話や言葉が落語の中にはたくさんみることができます。

「子ほめ」という前座噺があります。おっちょこちょいの八五郎がご隠居に「人の褒めかた」を教わるのですが、そのほめ方なんか、すぐに使えそうです。
「年齢より若くみえる」「働き者」「相手の家族をほめる」などの方法を教える。ほめ方がいやらしくないんです。
昔の人々は多彩な語彙をもっていたのでしょう。

また、落語の中にはたくさんの川柳都都逸が例に挙げられます。こちらも、会話にさらっと忍び込ませるのが粋です。(さらっとがポイント)
花火の季節なんかだと

「橋の上、たまやたまやの声ばかり、なぜか鍵屋と云わぬ情なし」

とか、男女の仲だと

「焼餅は遠火に焼けよ、焼く人の胸も焦がさず味わいもよし」

なんかも、思わず膝を打つかっこよさです。

3  枕とオチを付けた笑いを散りばめた話し方でプレゼン能力が向上
 落語は、口上→枕→本題→サゲと進むのがお約束です。
例えば、この季節の噺に「夏泥」がありますが、

口上「え、本日はお足元の悪い中両国寄席へお越しいただきありがとうございます」から始まって、

枕「さて、世の中には泥棒なんて職業がございまして、有名なところでいうと鼠小僧なんてものがありますな。しかし、落語の方に出てくるのは間抜けな泥棒と相場が決まっておりまして」と振られて、

本題「はあー、こう最近戸締りがしっかりしてちゃあ、商売あがったりで仕方ねえや。どうれ、今日はここら辺に…」と噺に入り、

「今度は晦日(みそか=月末)に来てくんねえ」でサゲます。

起承転結だけでなくて、本題に入る前に挨拶と枕というクッションがあるので、懐に入りやすいうえに、こちらの話に興味を持たせることができるのですね。本題に入る前に場をあっためることができるのです。

そして本題に入り、一気にサゲでまとめる。営業でいうとクロージングですね。
「うまい!座布団一枚!」と思われたらしめたものです。 

4  多様性の肯定 
登場人物のところでもお話したように、落語には様々な人が登場します。その中には良い人だけではなく、いけ好かない人、意地悪な人、けちな人、貧乏人、身分の低いひと、花街で働く女性たち、物乞いをする人、障害を持った人など、現在ではタブーとされる人たちが普通に出てきます。与太郎も、きっと現在では発達障害と呼ばれているのではないかと思われます。

そんな人たちを差別するのではなく、むしろ主人公にしてしまうのが落語です。
与太郎が偉そうにしている大家をやりこめたり、遊女が男たちを手玉に取ります。男尊女卑の時代ではありましたが、落語の中の女性はたくましく、旦那を尻にしき、もやもや悩む旦那に喝をいれます。

小話に、

ある商家に来たメクラの按摩さんが帰ろうとするとすっかり日が暮れて真っ暗。

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「番頭さん、提灯を貸してください」
「按摩さん、あなた目が見えないんですから提灯をもったってしょうがないでしょう」
「いいや、向こうから目明きというカタワがぶつかって来る」

このように、自分より劣っていると考えていることが、その人々の立場から考えてみたら愚かしいこともあります。この小咄は、番頭さんの想像力の欠如が笑いになっているというわけです。実にするどい視点です。
落語はダイレクトに多様性の世界を描き出しています。

こうした落語を聴いていると、自分と違うから、女性だから、男性だから、権力があるから、格差があるから、障害があるからなどと考えることは、生きていくうえで本当に小さなことだと思えてきます。

 5 想像力の向上
落語には、これらがふんだんに盛り込まれています。単にサゲで笑うのではなく、その噺には様々なテーマが隠されているのです。このテーマに気づくことで、実生活でも様々な視点で物事をみることができるようになってきます。

さらに、落語は話芸ですから映像がついているわけではありません。耳と所作でその場面を想像します。現在はなんでも映像で、取説も動画であることも多くなりましたが、映像に慣れてしまうと目で見たことしか理解できません。
落語を耳で聴き、どんな噺なのかを理解することで、想像力を養うことができるようになる、そして、ビジネスの現場で機転を利かせることができるようになるのではと思います。

ビジネスに効く落語の聴き方 

小難しいことを申し上げてきましたが、まずは、ややこしいことを考えないで楽しむことが一番。

落語から何か得ようとして聴くこと自体が野暮なことですし、噺家自体もなにか偉いことを説こうと思ってかけているわけではありません。そういうのは、講談とか浪曲とかにお任せしております。

落語を聴いて笑って泣いて、サゲに膝を打ったり登場人物に共感したりしているうちに、人間と世の中というものがわかってくるものです。
人の気持ちや弱さ、行動がわかればマネジメント能力に役立つかもしれないし、人の欲や善がわかればマーケティングや接客、営業に活かすこともできます。

まずは何にも考えずに楽しんで聴いてみてください。何がどんなように役立つのかは、人それぞれです。

ビジネスに、教養に効く落語 

初めての方におススメなのは、YouTubeなどで聴けるものでわかりやすいものがよいですね。いきなり圓朝噺などの長講は敷居が高いのとストーリーが複雑です。私などは、登場人物の名前すら覚えられません。場面が急に変わるのでついていけません。
なので、簡単で名人たちの名演が聴ける演目が、やはりおススメ。
実際に、動画や寄席、独演会でよく聴く演目をみてみましょう。

千両みかん

ある呉服屋の若だんなが急に寝込んでしまい、明日をも知れぬ重病になった。
医者に「これは気の病で、何か心に思っていることがかないさえすれば、きっと全快する」といわれたと、番頭の佐兵衛は主人に呼び出され、「何が何でも若旦那の悩みを聞きだせ!」といわれる。そこで若旦那に白状させてみると、なんと
「実は、……ミカンが食べたい」
あっけに取られた番頭。「座敷中ミカンで埋めてあげます」と請け合って、大旦那にご報告。すると旦那は、「こんな真夏にみかんなんてどこにあるんだ。みかんを見つけられなかったら息子は死んでしまう。そうなったら、末代までお前を呪うよ」という。番頭は死に物狂いでみかんを探しに行くが、当然のことながらみかんなど見つからない。
すると、神田多町の問屋街の、万屋惣兵衛の所に行けばあるのではないかと教わり、かけつけた。さすが、江戸一番の果物問屋。たったひとつ、腐っていないミカンがみつかった。

「ね、値段は?」
「千両」
「高いじゃありませんか」
「いいえ、私共は欲しいというお客様が居たときのことを考えこうして保管しています。そのために、蔵を管理し職人を雇っています。たったひとつの腐っていないみかん。決して高いとは思いません」

旦那に報告すると、千両で倅の命が助かるのなら安いものという。番頭は千両でミカンを買ってきた。
「あー、もったいない。皮だって五両ぐらい。スジも二両、一ふさ百両…」
喜んで食べた若だんなは、三ふさ残して、これを両親と番頭にと手渡した。
「一ふさ百両。三つ合わせて三百両…。このままずっと奉公していたって、そんなお金は手に入らない…」
この番頭、みかん三ふさを持って逐電した。

解説
価値とは何かを考えさせられる噺。問屋さんの「なぜ千両の価値があるのか」を説明するあたりは、今でもブランディングの基本でしょう。
そのあと番頭がミカンを三房もって失踪するところは、自分にとって価値がないブランドに騙されるという愚かさを描いたところでサゲています。
みかんに千両の値打ちがあると思い込んでしまう。この度の、トイレットペーパーやマスク騒ぎを彷彿とさせるのではないでしょうか。

百年目

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けちで仕事に厳しい一番番頭。常に奉公人に厳しいのだが、旦那に一目置かれており暖簾分けの予定。そんな固い番頭であったが、実は大の花街通いの遊び人。自分のお金がたまると、屋形船に芸者幇間持ちを呼んでどんちゃん騒ぎをするのを楽しみにしていた。

ある日、いつものように遊んでいると、花街のど真ん中で主人にばったり。思わず「長らくご無沙汰してます」と言ったので、主人も空気を読んで「大事な番頭だからケガなどさせないように遊ばしてやって下さい」とだけ言って行ってしまった。

次の日、番頭は遊び歩いていることがばれて、しかもご無沙汰なんて言ってしまったものだからクビになるんではないかと気が気ではない。そこに主人が番頭を呼んだ。

うなだれている番頭に、旦那は穏やかな口調で普段の働き振りを誉め、法話を引き合いに出し自分一人が楽しむのではなく奉公人にもゆとりを持たせよ、さらに金は使うときは惜しまず使えという。さらに、「昨晩帳簿を調べたが番頭は自分の金で散財している。それくらいの器量がないと大きな商いはできない。わしも付き合うからこれからもどしどし遊べ」。旦那の大きな度量に番頭も涙。

「それにしても、なんだってあのときご無沙汰なんていったんだい」
「へえ、旦那に顔をみられてこれが百年目と思いました」

解説
この旦那は、社長にしたい旦那ナンバーワンですね。仕事はきっちり、稼いだお金でしっかり遊んでこいという、休みの日にLINEをよこす上司にぜひ聴かせてやりたい噺です。また、旦那は部下の良いところをみてほめながら余裕をもたせて仕事をさせよとも説いています。マネジメント方法も説いているのですね。
この噺はもともと大阪、上方落語から移籍されたもので、なるほど大阪が商人の国となったわけだと納得する噺であります。

片棒 

小咄のような落語です。

あるケチな旦那が三人の子供に自分の葬式をどうあげてくれるかを尋ねると、長男は立派な葬式を上げようと豪華絢爛な案を出す。次男はお祭りでどんちゃん騒ぎをやろうと言い出す。あきれた旦那が三男に聞くと、旦那と同じくらいケチな性質らしく、できるだけお金を使わない葬式を上げるという。

「早桶は物置にある菜漬けの樽を使いましょう。樽には荒縄を掛けて天秤棒で差し担い(さしにない=前後ふたりで担げるよう)にします。運ぶ人手を雇うとお金がかかりますから、片棒はあたくしが担ぎます。でも、ひとりでは担げませんから、やっぱりもう片棒は人を雇ったほうが」

感心して聞いていた旦那がここで、
「心配するな。片棒は俺が出て担いでやる」

解説
ケチも行き過ぎると滑稽になるというお話。こういった話は落語にちょこちょこあります。
一生懸命になりすぎて視野がせまくなるということは、方法が目的になってしまうという危うさをはらんでいます。

ねずみ穴

こちらは長い噺なのでストーリーは割愛します。しかも夢落ちなので噺としては中途半端なのですが、途中主人公が苦労して積み上げてきたものを火事で一瞬でなくすというシーンがあります。ここがかなり壮絶で、聴きどころです。

コツコツと積み重ねることは大切です。しかし、積み重ねたものは一瞬で無くなるというリスクも含んでいます。
これが「信用」だったりするとどうでしょう。積み上げることは長い時間がかかっていても、なくなるときはあっという間。
身につまされる噺です。

味噌蔵

ブラック企業で働く従業員たちが、旦那の居ぬ間にどんちゃん騒ぎをする噺です。
この旦那は、百年目の旦那によく説かれていただきたいものです。

三方一両損

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大岡越前の名裁きの噺。こちらも有名な噺です。ストーリーは長いので割愛しますが、近江商人の三方よしを題材にしています。

三方よしが考える商売の基本は、売り手と買い手、そして社会にとって良いものではなくてはならないとしておりますが、これは現在でもビジネスの基本でしょう。

この落語では、喧嘩の仲裁に大岡越前が一両を出してそれぞれに一両ずつ損をしたけど丸く収まったとしています。
実際に自腹を切ったのは大岡越前だけなのですが、粋な機転の利かせ方といえるでしょう。損を取って得を取るともいいますが、なるほどと膝を打つ一席です。

おせつ徳三郎・下(刀屋)

自分のことを好きだといったのに、別の家へ嫁に行くというおせつを殺して自分も死のうと思った徳三郎。刀屋にいって「よく切れる刀をください」という。おかしいと思った刀屋の主人、根気よく説いてみるとようやく「友達の話なのだが」と理由を話しだした。友達の話はたいてい自分の話。話を聞いた店の主人は
「相手を殺して自分も死のうだなんてそんな料簡を起こしちゃいけません。本当に仇を打ちたいと思うのなら、これから一生懸命に働いて立派になって、その方よりもうんと良いお嬢さんと所帯を持ちなさい。そうして二人で幸せになって、いつか裏切ったその方に”どうだ、俺はこんなに幸せになったんだぞ”と見せておやんなさい」。

私も、腹に据えかねてぶん殴りたい人が現れたときには、いつもこの噺を聴いて「てめえより幸せになってやる」と思っています。
人を呪わば穴二つ。本当の倍返しとは、このことなんでしょう。

厩火事

江戸で花形の女性の職業であった髪結いが主人公。髪結いの女房を持つと旦那は仕事をしないという典型的な噺。

夫婦喧嘩の仲裁を頼みに兄貴分のところに相談にいくと、中国の故事を例に出し、「あの男の大切にしている骨董の茶碗を割って、お前のけがを心配したら大丈夫。でも、茶碗の方を心配したのならお別れ」とアドバイスする。
家に帰った髪結いの女房が、夫の大切にしている茶碗を割ってみると、出た言葉はなんと「けがはないか?」

「あんた、私の体を心配してくれるの?」良かったと一安心する女房にヒモの夫
「当たり前じゃねえか。おめえが怪我でもしてみろ。明日から遊んで酒が飲めねえ」

共働きでも、お金のことになるともめごとが多くなるもの。まだまだ女房の方が稼いでいると面倒なことが多いとも聞きますがどうでしょう。
うちは明らかに私の方が稼いでいますので、家事はうちの人がやっています。落語のお仕事があるときは私がやります。うちの人がいないときは、私は料理ができないので外食です。良いか悪いかはわかりませんが、我が家はこれが丁度よいんじゃないかと。うちの人がどう思っているのかは知りません。
こんな私が言うことではないのですが、パートナーを見る目はしっかり養いましょう。

最後に、この季節の怪談ふたつを…

一眼国

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両国で見世物小屋を持っている香具師(やし)が、諸国をまわっている六部さんに「見世物なる化け物を知らないか」ときく。すると「実は、ひとつ目の国に行ったことがある」という。どのあたりなのかを聴いて、香具師もそのひとつ目を生け捕りにするために旅に出た。
聞いたとおりに行くと、なるほど六部の言ったとおりに生暖かい風が吹き、「おじさん、おじさん」と声がする。一つ目の子供だ。かどわかし逃げようとすると一つ目の衆が追ってきた。ついに捕まってしまい、一眼国のお白州へ。
役人が「これこれ、そのほうの生まれはどこだ、なに江戸だ、子どもをかどわかしの罪は重いぞ、面を上げい!」
「この野郎、つらあげろ!」と村の一つ目たちに顔をあげさせられた香具師の顔を見て
「あっ!こいつ、目が二つある!」
「この詮議、あとまわしじゃ。早速、見世物へ出せ」

普通や常識、正義がいつ正反対になるのか。背筋が寒くなるような噺です。先ほど、多様性の話をいたしましたが、いつ自分が普通じゃなくなるかもしれない。
正義の定義とはいったい何なのか。コロナ渦の今、身につまされる噺ではないでしょうか。
こういう噺がさらっと寄席でかけられるあたりが、落語の恐ろしいところでございます。

死神

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やることなすこと失敗続きで金もなく、妻にも「甲斐性なし」と貶され、ついに自殺しようとしている男が痩せこけた老人に声を掛けられる。死神だと名乗る老人は、男はまだ死ぬ運命にないことと自分との縁を明かし、助けてやるという。「死神が足元に座っていればまだ寿命ではない。逆に枕元に死神が座っている場合は程なく死ぬ。足元にいる場合はアジャラカモクレン、テケレッツノパーという呪文を唱えれば死神は消えるので、それで医者を始めろ」と助言し、死神は消える。

男が医者の看板を掲げてみると、さっそく日本橋の大店の番頭がやってきて「主人を診てほしい」と相談してきた。男が店に行き、主人を見ると足元に死神がいたので、これ幸いと呪文を唱え死神を消して病気を治す。男は名医とたたえられ、多額の報酬を受け取る。

この話が瞬く間にひろがり、男は医者として大繁盛。お金が回るようになると妾を囲い、女房子供とは離縁し贅沢三昧。しかしほどなく、行くところ行くところ死神が枕元にいるために病気を治すことができず、あの男は死神などと言われるようになり、再び一文無しに。

そんな折、大きな商家から声がかかる。行ってみると、やはり苦しんでいる主人の枕元をみると死神が座っている。多額の報酬を示された男は一計を案じ、死神がうたた寝している隙に主人の布団の向きを変え、死神が足元になった瞬間に呪文を唱えた。死神は消え、主人は全快。まんまと大金を手に入れる。

着物を新調し、どんちゃん騒ぎをしたその帰り道、男はあの死神に再び声をかけらる。「とんでもないことをしてくれた」と、男をたくさんの火のついた蝋燭がある洞窟へと連れてくる。蝋燭は人の寿命だと説明する死神。そこに小さな今にも消えそうな蝋燭を指さし、それが男の蝋燭だという。

「お前は金に目がくらんで、主人の寿命と入れ替えてしまった」。

驚いた男が「助けてほしい」と必死に懇願すると、死神は新しい蝋燭を差し出し、

「燃え尽きる前にこれに火を移すことができれば助かる、早くしないと消えるよ」

男は今にも消えそうな自分の蝋燭を持って火を移そうとするが焦りから手が震えてうまくかない。

「消えるよ…消える…ほら、消えた」。


三遊亭圓朝原作の怪談です。大変に有名な噺で知っている方も多いでしょう。
サゲは落語の演目唯一の仕草落ちで、「消えるよ…消える…」でばったりと前に突っ伏して男の死を表現し、その後緞帳が下りて追い出し太鼓が鳴り、寄席がハネるという寸法です。寄席の最後にかけるトリネタとなっております。

仕草落ちが圓朝の頃より継承されてきていますが、仕草落ちではわかりにくいということで、それぞれに別のサゲをつけている型もあります。うちの楽松がやるサゲもなかなかに救いがなくて、聴いた後はどんよりします。
たまに男が生き返る型もありますが、それはまた別の噺であり、基本は男は己の欲で死にます。

この噺は、落語の持つ笑いの対極にある「残酷さ」をよく表しているといえるでしょう。人のもつ欲という愚かさを、ここまで残酷に描き出しているストーリーは、落語じゃなければできないのではないかと思います。

欲はだれでも持っているもので、欲自体は悪いものではありません。欲があるからこそ、人々は切磋琢磨して生きています。
しかし、その欲望は、時として道を外れてしまう。何かに目がくらんで道をいっぺん外してしまうと、自分の行動を正当化し、ついには破滅の道を歩み始める危険性があります。

そこに権力というものがつくと、さらにややこしくなります。誰一人幸せにならない結果になってしまう。
政治や経済界だけの話ではありません。我々の日常でもありえることです。欲に目がくらんでいないか、そして何より自分が欲に付け込んだ死神になってはいないのか
「死神」を聴くたびに、己を振り返ってしまうのです。

落語がきける定席とお家で聴ける動画チャンネル

YouTube
コロナ禍で寄席や独演会がなくなり、苦肉の策で無観客落語チャンネルが誕生。若手から「こんなすごい人の落語をほぼ無料で聴けるなんて…!」というものまで。林家正雀師匠、立川談幸師匠などの大御所の他、寄席であまり聴けない噺家の高座も聴けます。楽松もチャンネルを作ったので聴いてください。


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寄席チャンネル
ケーブルテレビで配信している落語チャンネル。Amazonでも配信中です。有料ですが、現在の若手からベテランまでたくさんの噺家の高座が配信されていますので、ぜひ。 

寄席チャンネル公式サイト
http://yosechannel.com/

Amazonプライム 寄席チャンネル
https://www.amazon.co.jp/gp/video/storefront/?benefitId=yosech&ref=dvm_pds_goo_jp_ac_c_a_kw_VrKv7DrEc_c279477038281_g55760048374

面白いところでは、ヤマハさんがエレクトーンと落語をコラボさせたえE~落語があります。エンタメとして純粋に楽しめます。E~落語はYouTubeでも配信中です。

E~落語

E~落語・レビュー
https://mag.mysound.jp/post/556

東京には4つの定席寄席があります。

1200px-新宿寄席末廣亭_2017_(35208015025)

・末廣亭(新宿)
・浅草演芸ホール(浅草)
・池袋演芸場(池袋)
・鈴本演芸場(上野)

どちらも年中無休で、昼席・夜席とあります。いつ入っていつ出てもよく、入れ替えなしの場合は一日中居座ることもできます。

末廣亭は、漫画の「昭和元禄落語心中」のモデルになりました。浅草演芸ホールは、ビートたけしがエレベーターボーイをやりながら修行していた場所です。
池袋演芸場はわかりにくい場所にありますが、なかなか良い番組が組まれていて魅力的。
鈴本演芸場は落語協会しか出演することができません。

ちなみに、うちの五代目圓楽一門会と立川流は、諸事情により定席にでることができません。詳しくお話しすることはわたしの立場からはできないので、GOOGLE先生に聞いていただければと思います。

その代わり、

・お江戸広小路亭の「しのばず寄席」
・お江戸両国亭の「両国寄席」

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に出演しております。
大概空いておりますので並ばなくても入れます。笑点でおなじみの六代目円楽師匠や好楽師匠もいます。夢のような穴場です
インディーズなので、定席ではご法度となっている放送自粛用語もどしどし飛び交います。話のタネにぜひお越しくださいませ。

五代目円楽一門会公式サイト(両国寄席と亀戸梅屋敷寄席の番組表があります)
http://ryougokuyose.html.xdomain.jp/index.html

・国立演芸場

こちらは予約制で、唯一の国立の寄席です。赤じゅうたんが敷き詰めてあります。立派です。トイレが少ないので注意が必要です。

この他、地域寄席などもあります。居酒屋や寿司屋でやっていることもあります。結構身近にやっているものなので、気軽に足をお運びいただければと思います。

落語の中にある世の理とは

最後になりましたので、落語とは何か、もう一度お話して終わりにします。

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落語は「人間の業の肯定」だと立川談志が言っています。まさにこのとおりで、講談では正義が勝ち努力が報われますが、落語ではうまくいかないやつはうまくいかないし、必ずしも正義が勝つわけでもありません。
死んでも金を自分のものにしようとした老人が金を飲み込んで死に、その腹を掻っ捌いて金をとりだした男がその金を元手にして黄金餅を売り出して大繁盛した「黄金餅」という、倫理的にどうなのか突っ込みたくなる噺もあるくらいです。

しかし、成功した人間の中にはそういう人間もいる。それが世の中のリアルというものなのでしょう。
人間には欲も愚かさも、悪事に手を出す弱さも、正義のもとに弱いものを貶める本能もあります。哀しいかな、それが現実です。

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落語はこの現実を真正面から受け止め肯定し、それでもまっとうに生きようともがく姿を笑いにしています。さらに、役人やお侍が町人にやり込められる姿を笑いにすることで体制を風刺し批判します。落語の笑いは残酷でもあり、その中に笑いを見出すことは希望でもあります。

この世の中を「人間」として生きるために何が必要なのか。普通の基準はどこにあるのか。何を達成したら幸せと呼ぶのか。井の中の蛙大海を知らずで生きてはいないか。
落語で笑ったり泣いたりしながら、ビジネスはもちろん、恋愛、家族、人生についてふと考えていただければと思います。

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お時間いっぱいとなりました。
本日は、ありがとうございました。

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