パパさまよった 春の巻 (全36篇)
柔らかい鉛筆で
半紙に書きつけた詩を
まずは活字に清書します。
どの巻も
生まれてきた順、
ほぼ時系列で清書します。
連作の始まり『春の巻』36篇
清書を終えたらすでに秋。
10月31日、ようやく全篇、載せられました。
連作詩『パパさまよった』
それぞれの巻へこれからも
少しずつ書き足していく予定。
目次のなかに
気になるタイトルがありましたら
クリックして読んでもらえると嬉しいです。
えがお
めのまえにいる
えがおになってもらいたいひと
そのひとのえがおをみると
なやみをわすれて うれしくなれるひとがいる
ときにはつらいことがある
おとなになると
いろんなわずらい なやみがふえる
うっかりすると くらくかなしい かおになる
つらいできごとに とりかこまれて
おしつぶされそうになっても なお
ちからをそえて あげられるあいて
かけがえのないひとが いてくれるかぎり
なんていうめぐみ
わたしたちはしあわせに
こころゆたかに くらしていられる
めぐまれている
いきていられる
ともにいきている このひとに
よろこんでもらおう
わらってもらおう
だからまず
みずから はれやか にこやかになろう
そんなあいてが めのまえにいて
にっこりしている
永遠みたいに
しあわせのかたわら
幸せな日々に恵まれている。
身ぐるみ ゆったり ゆるんでいる。
しいんとした感動に充ちて心は静まりかえってる。
なのにたちまち誰かに申し訳ないような
せかされるような気持ちが湧いてくる。
この世で子たちを護り育てていくチカラが
あと少しだけ高まってくれたら。
たとえばそんな乞い願う気持ち、
みひらいた目の切な気持ちが湧いてくる。
不整に脈打つこの胸のうちに。
こころかよわす相手のいない
ひとりさみしい人たちが
すぐそばで とおくの国で
人しれず嘆き悲しんでいる。
いつか散るこのからだもまたあてどない。
生命はきっと素直なんだろう。
ひろい世のなかのこの片隅で
幸せのそっときわまる時さえも
人類っていう種の仲間たちとつながりあって
こころはかすかに嘆き悲しんでしまうんだろう。
おかえりなさい
このよにひとりで
うまれてきたとき
どこかで かがやく かみさまたちが
かどでを いわって
そっとやさしく
みおくってくれたのかもしれない
いってらっしゃい
いってらっしゃい
たましいさん
ひとのよのなかで
そだってらっしゃい
いつかこのよから たちさって
わがやに さよならするときに
どこかで かがやく かみさまたちが
いたわり いわって
おむかえしてくれるのかもしれない
おかえりなさい
ながたびだったね
おかえりなさい
おかえりなさい
ひとのよのなかで
こんなに そだってきたんだね
日ごとのくらし
ちち はは ふたりと こたちは みたり
おうちのなかにも いえのなかにも
ととのえておくこと かたづけることは
かずかぎりなく ひろがっていて
どんなところにもつぶさにこころを
そえようとしてくらしていたら
こころはくたびれ ふやけかすんで
ちりのまがいに かすんできえてしまうだろ
子たちとはたけのくさとりをする
子たちとあらったふくをたたむ
たたんだふくをひきだしにならべてしまう
よそゆきのふくにアイロンをかける
きちんとすすめていくことよりも
もっとおもしろいことをみつけて
子たちはすぐに夢中になってあそびはじめる
おやたちもついついつられて
子たちとあそびはじめてしまう
ひとのこころをとりもどして
ゆるんだこころであそぼう
いきぬきをしてひさしぶりに
おさけをのんでふんわりんとしよう
みんなのいのちがおたがいに
すみわたってくれているのなら
いまこのときは永遠にかがやく
そんなふうにおもいつつやはり
いえのそとにはくさぼうぼう
いえのなかには たたみのうえに
たたまれないいまま しまわれないまま
あらったふくがおりかさなって
あふれかえっていたりする
おじいさんもおばあさんもいない
子だくさんのおおきないえ
はれやかなわらいごえのまわりで
てんじょうのかたすみに
かすかにはられたくものすを
しょうじのさんにたまったほこりを
いそぎあしのとおりすがりに
ふとみつめてしまう日ごとのくらし
ちいさなひとたち
いまこのほしの
このときを
このおやたちを
えらんできみは
このよにうまれて
きたんだね
みんなこんなに
あてどなく
さまようこころで
なきさけび
さみしくあこがれ
せつなくもとめ
まもられて
かてあたえられ
みたされやすらぎ
めからひかりを
うけいれて
ゆびをさしのべ
いのちひとつに
つながりあって
ちからあわせて
ともにひとつの
おおきないのちを
そだてているね
こんなおうちを
えらんでくれて
たましいは
きみたちになって
このよにうまれて
きたんだね
おめでたのあと
よのなかで じぶんのちからを いかそうと
がんばって がんばりつづけて まなんできたこと
すべてできなくなってしまって おかあさんは
しゃべれもしない みがままなひと ちいさなひとに
おちちをあたえているだけの ひきこもってる ちちぶくろみたい
いつもねぶそくの おふとんみたいになってしまって
そんなじぶんになれていなくて ちからがちっともわいてこない。
こいびとが あかちゃんのおかあさんになってしまって
おんなのひとに あまえられなくなってしまった おとうさんは
しごとさきで かんちがいされて どなられて
するべきことの いっぱいつまった あついあたまを
なんどもさげてあやまって やるせないおもいをしたあとで
いっぱいだけの つもりで おさけを のんでしまって
やくそくどおりに おうちへかえりつけなくなって。
おとうさん こころもとない。
おかあさん こころもとない。
ふにゃふにゃよわく すがってくる
ちいさないのちと そのおやの
いのちのもとめに こたえるちからが
しょしんしゃの こんなじぶんに
どれだけあるのか こころもとない。
おやどりさんにまもられて
かてをあたえられてきたひなどりさんの
はねがあちこちはえかわってきて
こだからさんにめぐまれて
まわりから おめでとうなんていわれたりして
いのちをみずからそだてるがわの おやどりになった
ばかりのふたりなんだから
どうにもつらくてやるせないときだってあるんだね。
おとうさん きっとだいじょうぶ。
おかあさん きっとだいじょうぶ。
すこしずつ いのちはそだっていくからね。
ほほえむ
にっこりえがおは
としをとってもかわりない
あかちゃんのころ
とおくのひとに恋していたころ
あのころと にっこりだけは
おなじまなざし
おとろえも老いもしらない
たましいのまどに
かつてとおなじ
あさひがさしこむ
はたらきざかりの
あれやこれやをすぎたあと
くびすじの かわがたるんで
めのしたのくまが あつくなり
しらがや しわが ますますふえても
あのころと かわっていない
ほほえんでいる
あなたのまなざし
うるみ すみきった
そのまなざしは
うたいて
うたいつがれてきたうたの
さいごのひとり また ひとり
うたいてが ちってしまった
このうたいてに いくつもうたを
のこしてくれた みおやさんたち
おかあさん おばあさんたちも
とおいむかしに ちっていた
うけとったうたを うたいつぐ
あいては だれも みつからないまま
ひとりでうたを くちずさんでると
うたのしらべが おおむかしから はこんできた
みおやさんたちの想いにむせかえるようで
うたいてはこころくるおしく
じっとしていられなかった
さいごのうたいて
はりさけそうな むねのおく
よごとにひとり うたいつづけた
もうこのよでは とどかない
だれのみみにも とどかないうたを
ささやきかけるようにして
くりかえし またくりかえし
緑の人里
ママの目からみた いまのパパ
パパの目からみた いまのママ
かつてのように輝かしく
ときめいていない かもしれない
かつてふたりの きらきらしてた
恋するこころも すこしずつ月日と共に
子たちへの しみじみとした想いへと
落ち着いてきたってことなのか
パパとママともに経てきた景色があった
さみしく荒れたひとの世の景色があった
ふたりならどうにか緑の人里にできる
そんな荒地がじわじわと広がっていた
ふたりとも見つけてしまったようなんだ
こころの奥に 未来の緑の人里を
だからもう それからはもう どうしても
はなればなれになれなかったんだ
おむつ
お風呂でしゃがんでいくたびも
湯舟のなかの残り湯を桶に汲みとって
つうんとするおしっこのにおいをすすいでおとす。
くさいうんちを布おむつからタワシでこすって洗いおとす。
洗濯機が来るまえにおばあちゃんおかあさんたちは
みんなやっぱりこんなふうにして
日ごとに子たちのおむつをあらっていたんだね。
あのころおとなの大きな手で
あおいあざのあるちいさなおしりに
おむつをあててもらっていた子
いつしか大人の男になって
女の人との出会いに恵まれ
次つぎと子宝さんに恵まれて
日ごとお風呂でおむつをいくつも
洗い続けていつしか七年たっていた。
庭でおむつ、干す、そういう踊り。
庭で乾いた、おむつ、取り込む、そういう踊り。
座って、おむつを、たたむ、踊り。
日ごとに、繰り返してきた、踊り。
おむつを、とりかえるっていう、
この動作だけ、なかなか踊りにならないみたい。
むちむちとした太ももをおさえ、
おむつをあてがう、その瞬間は踊るのなんて忘れてる。
かつてはバフチン、エリアーデ、ユングやレヴィ=ストロース
なんかの知見でいっぱいだったオツムの中身は
ただいま きれいなしろいおむつと つんとにおいのするおむつ、
おむつをあてるちいさなお尻と、そのお尻の持ち主さまと、
おむつカヴァーと 子たちの小さな服やズボンでいっぱいだ。
ちかごろようやく知見のかすみの彼方から
徐々にはっきり、想い出すようになってきた。
おむつをはたいて しわをのばして
干して たたんでくれた人、
日ごと おむつを洗ってくれた、おばあちゃん。
かつてはたしかにちいさくて
ちかごろたるみはじめたおしり
この自分のおしりにくりかえし
白いおむつをあてがってくれた、おかあさん。
おばあちゃんも おかあさんも
こちらを向いて頬咲んでいる。
こんなまなざしを自分にかつて
向けてくれた人がいたんだね
おむつといっしょに踊りながら
想いだすようになってきた
おばあちゃんの、ある日の笑顔。
なつかしい、おかあさんの、ある日の笑顔。
こちらへ向けてくれたまなざし
頬咲んで輝いていたまなざしを、
はっきりと想いだすようになってきた。
日ごとおむつを洗い続けて七年目に。
春の夢
1
妻とふたりでパリに到着してすぐになぜか妻と別れた。
行き場のある妻とは違ってこちらには行くあてがない。
誰かに電話を借りようとして身を危険に晒してしまう。
2
現地のダンサー十人ほどをパリで演出することになる。
過去の作品を基礎とした新作。創作期間は一週間ほど。
リハーサル初日、何から始めていいのか途方にくれる。
構成を記したメモをめくってみても、手がかりはない。
3
南の島の昔ながらの手作りの小さな丸い小屋のなかで
色黒なうえに日焼けした現地の娘と胡座をかいている。
年上のこちらが娘を指導するという立場にあるらしい。
ふいに甘えたくなって横たわり、娘の膝に頭をのせる。
村人たちはみんな、私たちふたりへ視線を注いでいる。
こういう手順を踏む儀式なんだから、仕方ないと思う。
あたらしいまつり
おとながまつりをやめてしまった
かわりのまつりがみつからないまま
まつりのしかたもわすれてしまった
このままでは子たちのいのちを
しいたげ いじめて
こわしてしまうかもしれない……
わがままな おとなのむれが
いのちからよそみしながら
たどってきたみち そのみちばたの
いたるところにすてられて
かさばっている へんてこなしくみ
とおからずいつか
子たちのくびをしめるしくみを
みてみぬふりして
とおりすぎてきたおとなたち
そのうちひとりがいまここで
よのなかを いきのびている
おみせでかった おさかなをたべ
とりさんたちの たまごをたべて
ほらまだここで
いきをしながら いきている
まよなかに ひとりめざめて
こんなわがみが なさけなくなる
みのおきばなく おそろしくなる
いいきかせてみる
だいじょうぶ
まえむきにいこう
きっとこういう
せつないおもいが
ほのかにであれ
すえひろがりなこれからの
出発点にもなってくれるんだ
せつないのなら せっかくだから
なみだをながそう
ゆめみるときの あたたかいめで
なみだをながそう
これからはもっと なみだをながして
おたがい なみだをぬぐいあおう
てをとりあって わになって
つらいしくみの まわりであそぼう
こわばったしくみを
ひろいこころで
つつみこんでみよう
いのちにとってはもうすでに
いらなくなったしくみをとろかし
とおくのほうへ ながしてあげよう
おもしろいえを おもいえがこう
はれやかなこえで わらってうたおう
まつろうおどろう
いのちにやさしく ちからをそえよう
みたことのないおうちをつくろう
おわりないたびをはじめよう
わずかだけでも
こころのうちで
かすかにねがうだけでもいい
いまからだ
永遠
晴れたおお空いっぱいに
ひろがってくるうろこ雲
おやまのなかの学びやに
かよいはじめたばかりのむすめと
ちいさな赤子のちーちゃんと
なの花の さきみだれてる
おおきなまあるい畑のなかで
ととのえた うねに
じゃがたらいもをうえている
ちーちゃんは ひとつまたひとつ
種いもを はこからとりだし
うなずきながら 手わたしてくれる
むこうのほうで 母おやは
もろこしの種をまくうねの
なずなをしずかにぬいている
うぐいすの声
すずめのさえずる声がきこえる
もうすぐゆうやけ空になる
そだちざかりの子たちといっしょに
いもをうえてるお父さん
こんな春の日のゆうがたの
こんな幸せなひとときは
かつて夢みたことさえない
たまものはこうしてふっと
すがたをあらわす
ありふれた 暮らしのなかに
このはてしなく晴れやかに
みちたりた春のひとときは
きっと永遠にのこりつづける
畑にうえたじゃがいもが
もしも芽ぶかなかったとしても
目覚める
かつておばあちゃんと体験した
昔ながらの暮らしの景色を
想い出したら寝つけなくなる。
子たちのこれからゆくすえを
末広がりにと願いつつ
とおい国ぐにの光景が
まぶたに去来して寝つけない。
眠りに落ちてはすぐにまた
目覚めてる人になってしまう。
目覚めてるって
晴れやかに澄み渡ってる時だけじゃない。
我知らず叫び出しそうな時もあるんだね。
目が冴えるとか
目覚めてるとか
そんな状態に憧れる人は
知ってるのかな ?
災害みたいな目覚めのときを。
暗がりのなか
いのちの奥から突き動かされて
ひとりガバッと立ち上がってしまう
この果てしない醒めた感覚。
目覚めたこころが
覚醒夢のなか
旅人みたいな精霊たちと
あわく不思議な交遊をする。
暗く荒んだ景色も見える。
家族みんなでさまよっている人びとの群れ。
時には恐ろしさのあまり
夜の静けさを破って叫んでしまったりする。
目覚めてるって
晴れやかに澄み渡ってる時だけじゃない。
我知らず叫び出しそうな時もあるんだね。
目の当たりにしてしまうのは
人びとの
生活
人生
生命まるごと。
日戸として生きるまるごとの
奥ゆき広がり
重なり合いが
台風の大風のなか
増水していく洪水の日々。
いのちが川からあふれて車道をじゃぶじゃぶ流れくだっていく。
ひと日のいのち
いのちはたしかにながれてる
いつかふと想いだすだけで
胸がはちきれそうになる
そんなひと日が永遠のなか
虹いろに積み重なってながれていく
育ちざかりの子たちがみんな
今日このひと日を少しでも
ときめくこころで過ごせたら
この日をどうか終わりまで
試練にあわずに過ごせたら
騒動たちがニュースに乗って
迫りくるような世のなかで
しみじみと子たちのひと日を願いつつ
時どき息が苦しくなって
たなこころを胸にそえあっている
大丈夫きっとだいじょうぶ
わしらみんなの生きてるいのち
子たちの継いだ大きないのちは
きっと いつでも いつまでも
あたたかくつながりあってながれてる
文化かつどう
かつて夢みていたよりこれは
もっとゆたかで
奥ゆきのある暮らしなんだろう
日ごとに胸がはりさけそうに
あまたの想いが去来する
このあてどなくたゆたふ想い
鎮まってくれ!
ささやき声で夜中に叫ぶ
それでも想いは鎮まらない
鎮めるわけにはいかないんだろう
ここで鎮めてしまっては
感動までもがうすれてしまう
みおやさんたち精霊たちとの
繋がりがうすくなってしまう
いのちの立場で実体感を欠いてしまう
生きたまましかばねみたいになってしまう
そんな氣がしてしまうのだ
ひとのこころが
いのちの立場で味わう世界は
広すぎて時に手に負えない
それでいい!
高ぶるままに
あふれるままに
こころを整えようとして
わしらはまつりを発明した
まつりのなかで
目には見えないチカラと戯れ
授かったいのちのチカラを
受け取ったあまたの想いを
あめつちへ みなで
お返しするようになってきた
さえわたる声
きらめくまなざしに囲まれて
まつりのたのしみ方は
やまたにちぢに
こまかい枝に分かれていった
うらさみしくて
はてしない
人の文化が始まった
八百万ほど種類のある
人のこしらえた照明器具
我らの恋する
やおよろずのかみ
文化活動が始まった
たんぽぽのシロップ
夕やけてきた空のもと
なの花のさきあふれるなか
ひろい畑のあちこちへ
むすめとふたり
たんぽぽの花をつみにでる
池のほとりや 小川のほとり
みっつのいちご畑のまわり
真夏にはかぼちゃ畑になるあたり
あちこち ちいさな旅をして
きいろく咲いた花をつむ
いつでも歌をちいさな声で
くちずさんでいるむすめ
ときおり歌がとだえたときは
ふたりで笑ってはなしをする
つみとった花でふたつの
ざるをいっぱいにしてからは
それぞれの自転車にのって
まっしろに雪をかぶった
とおくの山をながめにでかける
夕やけがすっかりきえて
日がくれるまで
まわりの山が
影絵みたいになるまでこうして
神話みたいな景色のなかで
むすめとふたりすごしてる
夕げをおえて
夜がふけてからも
寝にはいらずに
ならんで座って
たんぽぽの緑のガクをとりのぞく
畑であつめた 花を煮て
たんぽぽの甘いシロップをつくるのだ
むすめによれば
ばかになる
甘いもの たくさん飲んだり
食べたりすると
まわりのおとなに
いわれたとおり ばかになる
いいんじゃないか
ときにはこうしてお祭りみたいに
ちょっとばかりの夜ふかしをして
いっしょにほんのちょっとくらいは
ばかになってもいいんじゃないか
できたての 夜ふけの甘いシロップを
ちいさなお皿で味みする
んんん おいしい と
おもわずたかい声をもらして
きらきらの 目を
きみはおおきくみひらいた
わかれたあとで
おうちへかえって
ただいまといえば
おかえりなさいと
笑顔でむかえてくれたひと
ながらく ともに くらしたひとと
はなればなれに なるのは さみしい
もうあのひとが あの声で
ただいまといって おうちへ
かえってきてくれることもない
ともにくらした歳月
ならんですわった椅子
かぞえきれないおみそしるの朝
ともにとまった宿
ならんでみた映画
いってきます
いってらっしゃい
おはよう
おやすみなさい と
もう 声をかわすことができない
いただきますと
いっしょに声をそろえられない
あんなにもたのしくすごしたときを
もういまはふたりでともに
想いだし 語りあい
わかちあうことはできない
たいせつな だれかとくらしてむつみあい
月日をかさねたひとみんな
いつの日か こんなにも果てしなく
さみしいときをむかえるのか
ママパパになる
あたらしく生まれてきた子きみたちは
ふしぎなひかりをもたらした
ママパパはもうこれまでみたいに
おしいれにひそんでいられなくなった
ものごとのみえかた くらしかた
すべてふりだしにもどすほかなくて
ふたりとも赤ちゃんみたいにぐったりと
みちばたでうずくまったりしていたんだ
かっこつけるのをやめてしまった
いばっておとなぶるのもやめた
なにかをきみのせいにはできない
きみへあまえるわけにはいかない
きまぐれなきみのもとめによりそって
すなおにいのちへ したがうほどに
ちぐはぐなここちになって
みせさきで ひやあせをかいたこともあり
わがみとはもう きりはなせないきみたちを
よのなかでどう いとおしんだらいいものか
かりそめの このよのしくみ しきたりのなか
おそるおそる てさぐりしているママパパだ
なきじゃくるきみにしがみつかれて
よりどころなく たよりないまま
あたふたとまた きをとりなおして
おやのたちばになりすましたり
すわりつづけた ざぶとんをすて
よりどころだった くるまをてばなし
ききおぼえのない ことばをみにつけ
あきらめと ねばりづよさを さずけられ
どうしたらいいのか なにをできるのか
なりふりかまわず ためしては ほら
みっともないね すべったり またころんだり
ぎこちなく そだちざかりのママパパだ
つくりもの
ことあるごとにどうしても
あたらしい くらし
あたらしい しごと
あたらしい ひとつながりを
んむいえがいてせつなくもとめる
われらのこころ
ふるぼけたかわ
かたいよろいをぬぎすてて
みぐるみあらたに
うまれかわろうとするこころ
いのちまるごと
きよくはれやかに
くらせるところをゆめみては
すみなれたいつものまちから
おもいもかけず
とおくのくにへひっこしていく
みのまわりには
ひとのつくった やくわり しくみ
ひとのつくったものたちが
ごちゃごちゃかさなりすぎていた
いまはもう このよをさったひとたちが
かつてこしらえた ものたち しきたり
べんりにつかった こしらえもの
べんりにたよっていた しくみ
あたえてもらったカンガエカタ
そのばをしのいだチカラのかたち
いのちのくらすただなかに
こころない ものやしくみが
いらなくなったガラクタが
あふれかえってか さばっていた
つきごとひごと
みずからのふるいかわといっしょに
ぬぎすてあらいながすには
そうしたつくりものたちは
かさばっておもたすぎたんだ
ふとたちどまって たしかめてみたら
そうしたあれやこれやのものに
いのちはもう
ときめきようがなくなっていた
なみだのすきま
からだがおっきくなったって
あさっぱらから
あらいでっかい声をはなって
なきじゃくりたいときはある
どうしてなのか
なにがそんなにつらいのか
すぐにはっきり
ことばにできない
だれかにすがって
あまえたいのでもないらしい
ただただでっかい
声をはりあげ
声がかれるまでなきじゃくりたい
けれどもないてはいられない
おねしょでぬれたふとんをほす
おむつについたうんちをあらう
子たちのごはんをたきはじめる
近くの朝のゴミ捨て場へ
娘といっしょにあるいていって
ビンや缶を分別してからゴミに出す
お腹が痛いとあまえる娘を
そのまま背なかにおぶって帰る
弁当箱にごはんを入れて
おはし おちゃわんを支度する
食卓で一歳の子が米粒をふりまいている
なきわめこうにもスキマがないまま
通園の子と新入生の子をせきたて
持ち物をたしかめてから車にのせる
今朝もまたパパママ共に
泣きじゃくるチャンスは訪れず
帰りの車では父母ふたり
これからの暮らしについて語り合う
おうちにかえってきてからは
まあしかたないというふうに
うたなんか口ずさみながら
あらったものを吊るして干したり
畑でスギナを摘んできて
ざるに広げて干したりしている
このひと
ちいさくて かよわかったわたしを
やしない まもり いつくしみ
そだててくれたひとたちが
いなくなってしまうのはつらかった
わたしたちがいつくしんで
やしないそだててきたこの子たちが
さっていってしまうとしたら
どんなにか せつなく つらいだろう
たのしめるかぎり
でたらめに
うたっているよ
ねむれないまま
うたをうたって
おうちのなかを
よのなかを
どうにかすこし
ととのえようとしてるよ
こずえの花
むかしから語り継がれてきた
とても大切なこと
日戸になるすべを
しずかに春雨のふる朝
ちいさな娘に語って聞かせた
ちいさな息子の
おむつを洗って
おむつを干す日々がつづくなか
息子はことばを口にしはじめた
これまでのすべてのときの
つみかさなったそのうえに
あふれだすいま
おおきくそだった木立のこずえに
ふしぎな花が咲きあふれる
ちりのまがいに消えゆく言葉
この花もいつか散るのだ
この木もいつかは朽ちてたおれる
それをどこかで知っているから
いとおしみ祝福するんだね
いまここに さきわい
きわまった いのちを
まるごとひとつに
ヤミにおおわれ ヤミにしずんで
まどろんでいたモノたちを
いのちのひかりで 照らすとき
めのまえに たちあらわれてくる
これまでまったく
みえていなかった
モノたちのすがた
こころのけしき
おどろきながらも
なるほどしっくり
腑に落ちるすがたもあれば
不意をつかれて
にげだしたくなる
おぞましいけしきもあって
まぶしいからもう照らすのは
やめてにしてくれと手のひらで
目をおおいかくす隣人もいた
ヤミにおおわれ ヤミにしずんで
まどろんでいたモノたちを
いのちのひかりで 照らすとき
モノのうしろにかげがうまれた
つよいひかりでてらすほど
うしろにうまれるかげもまた
くろぐろ くらく きわだった
照らして暮らせば
このあめつちはゆたかにひろがる
そんなふうに説くひとたちもいて
色とりどりにすがたをあらわす
花ばな鳥たち
そのうしろでは化け物が
歯をむいてさけび声をあげ
ほねになったなきがらが
みわたすかぎりちらばっていた
このはてしないひろがりを
ときにはもてあましたとしても
めくるめく ゆらめく世界に
ときにはおびやかされたとしても
もうまどろんではいられないんだ
やみにおおわれてぼんやりと
ゆめをゆめみていられないんだ
照らそうとした
みとどけたくて
照らしはじめた
照らしつづけているうちに
照らすのが癖になっていた
照らさずにはもう暮らせなくなって
照らすっていう芸をたずさえ
ところかまわず照らしてまわる
旅芸人みたいな者になっていた
照らしてすすんでゆく道すがら
まぶしいけしきも
うしろでうごめくかげたちも
まるごとひとつに あじわいつくす
いつしかそんな ひごとのくらしを
えらんでしまっていたようだ
男の子のお母さん
わたしがちいさかったころ
おかあさんは若わかしくて
つやつやしていてうつくしかった
そのころのわたしとおかあさん
いまはもういないんだよなあ
あいかわらずあまえんぼうの
わたしがいくらなきさけび
はりさけそうなむねをかかえて
おかあさん おかあさんて 呼びつづけても
おかあさんはもう かえってこない
あのころのわたしたちはもう かえってこない
なんどもなんども
おっぱいをのませてくれた
おいしいごはんをつくってくれた
わたしがおおきくなっても日ごろから
五百円玉をためておいては
たべものでいっぱいの小包のなか
何かの足しにと封筒にまとめて送ってくれた
おかあさんがこの世を去るまえ
わたしの暮らしに もうひとり
おかあさんみたいなひとがあらわれた
ずっともとめて得られなかった
お姉さんとか妹のようでもあった
正夢みたいなふたりの月日がはじまった
そのひとはわたしとのあいだに
こだからさんがほしかった
ちいさいころから
おかあさんになってこだからさんを
そだてるのがいちばんの夢だった
おんなとしてのそのひとの
さいごのおとこがわたしだったという
ふたりはこだからにめぐまれなかった
もうこれで 二度とあえないかもしれない
そんなわかれぎわにそのひとは
貯めておいた五百円玉をまとめて
何かの足しにと手わたしてくれた
おたがいにどうにもならないことがあって
おたがいに ただ 涙がながれる
みんなのくらし
さきにおむつをあらってほすのか
にんじんに水をあげるのがさきか
みんなで遠くへおでかけするのか
家のすみずみをととのえるのか
乗りものにゆられていくか
手をつないで歩いていくか
ゴミとして捨ててしまうのか
まだしばらくは手もとにおくのか
はたらいてかせいだおかねを
はらってお店でかってくるのか
ゆとりをみつけてすこしいそいで
こころをそえて手づくりするのか
どちらがたのしくおもしろおかしく
すえひろがりに ここちよいのか
おかねをはらってもらいうけるか
こころをそえてみずからつくるか
日ごとにたしかめ はなしあい
えらびつづけて 家族でくらす
ときには 世のなかをつらぬいてゆく
おおきな流れに みなで 身をゆだね
ときに目をふせてまちつづけ
ときにチカラをつくしてあきらめ
たとえば みんなの お日さまみたいに
つぶさにすべてを 照らすまなざしを
うむぅねの おくのおくから
あこがれて ねがいもとめて
みなそれぞれのよろこびを
ゆたかにさかえるゆくすえを
ひそかにまつる ように夢みて
また この ひと日をくらしていく
パリ
そういえば
なつかしいアート仲間と
街角でばったり出会ったなあ
パリで
ナポリで
イスタンブールで
ばったり再会して抱き合った
あの人たちの面影を
ぼんやりと想い出しながら
いまわしが
信州の伊那高遠で
日ごとあらたに出会っているのは
一歳と六ヶ月になる
育ち盛りの息子なんだな
かなたには幾年月
おとずれ暮らして恋をした街
雨の日のパリの石畳
ポンヌフのたもとのお惣菜屋さん
ベルリンのあの小さな画廊
バンコクで水上バスに乗った日々
ニューヨークのブルックリン橋とお粥のお店
イスタンブールで夜ごとに集った港の料亭
階段にたむろす猫たち
ブリュッセルの広びろとした公園の道
魚屋 八百屋 自然食品とビールのお店
夏の夜明けの新宿の街
冬のソウルの夜明けのサウナ
テグシガルパの血まみれのボクサー
ナポリで喝采を受けた劇場
ピザ屋での国際パーティー
真夜中のプラハの街の女たち
マラケシュの少年院の子供たち
ワルザザートの円形劇場
投げ銭を稼いだマドリッドの広場
アンジェの蒸し鶏
夜の闇に沈んでいくダカールの街
甘く煮出したコーヒー
カッパドキアの自家製ワイン
テヘランで飲んだ自家製ワイン
ポカラの宿屋の二階の奥
チェンマイの市場
夜ごとに通った刀削麺の屋台
遠く山並みの向こうの街
遠くの海のさらにはるか遠くの街
抱き合って別れを惜しんだ人たち
すっかり忘れて暮らしていたよ
山のなかの
小学校へ保育園へ
子たちを送り届けて今日も
山のうえ雲のあいだの
蒼い空を眺めている
ころしてはいなかった
こっそりとひとをころした
だれにもうちあけられず
ひとりでずっとくるしんできた
ころしたのはひとりだけじゃない
あのひとも そしてあのひとも
ころしたのはこのわたしだった
そんな夢をみた
おそろしくてたまらなかった
どこにも逃げ場がなかった
いや本当は誰ひとり殺していない
夢のなかでそう知って
こころの底から安らいだ
もうかくしだてしないでいいのだ
もうひとりでくるしまないですむ
こどもたちとわらってあそべる
あなたは誰も殺していない!
まだ取り返しはつく!
そう言ってくれる神はいないのか
とりかえしのつかない人生だった
生まれてきただけ迷惑だった
生まれてこない方がよかった
夢のなかだけではなくて
どこかで私はそんなふうに
身ずからを責めてきたのだろうか
ひとに打ち明けられないような
あやまちをおかしてしまうのは
誰かを殺してしまったのと似ている
あやまちを胸に隠したまま
これまでどれだけ多くの人たちと
笑い交わしてきたことか
だいじょうぶだよ!
まだ間に合うよ!
誰も殺してはいないんだから!
とおくにそんな
救いの鐘の音をきいている
おののきながら
ただひとつ
ひとつぶの
ただひとつぶのちいさなたね
ひとりだけ
ただひとりだけ
ここからはじめて
とぐちをくぐる
いろんなひとは
いろんなひとに
いろんなことをいうだろう
それでいい
みんなそれぞれにひとつぶだ
まずはこの
ひとつぶをいま
めぶかせよう
このただひとつへ
こころをそえよう
ちからつくして
ひにひをついで
いのちをささげるようにして
かぞく
おもいをかけてもらって
ちからをそえてもらって
ながいあいだひごとに
ささえてもらって
そだててもらったすえに
いまこちらからあなたになにか
してあげられることはないか
そうたずねたら
「あなたが元氣でくらしていてくれること」
そうこたえてくれた
うまれてきていちばん
めぐまれていたことはきっと
このほしで
こんなだれかとであえて
かぞくとしてともに
くらせたことだった
あらためる
くいあらためて
こころをきめる
まえのわがみは
どうだったのか?
ぶらさがり
こっそりさぼり
みてみぬふりして
ひそかにぼやき
ちょろまかし
むさぼりあまえ
ねどこをよごし
ゆぶねをよごし
くいちらかして
まどろみおぼれ
ありあまるなやみ
あきらめやけくそ
かげりから
めをそらしたまま
なんてことだろう
まわりのひとまで
うごかそうとした
おもいしったよ
たしかにひどいやつだった
あわれなやつ
みじめなやつだ
すきなひとたちをきずつけた
つらかった
いたましかった
どうやらようやく
ありのまま
そんなわがみとそっくりな
よわくていびつなひとたちを
すなおなこころで
うけいれられる
かつてより
きっとすこしだけ
おかげさま
ありがとうっていう
こころでくらせる
くいあらためて
ひごと こころを きめながら
みみをすまして
はっきりと えらびとりながら
かつてより
すこしだけましな
あたらしいひとに
ゆっくりうまれかわりながら
みおやさんたち
お母さん
ずっとずっと
養ってくれてありがとう。
ぼくたちは大丈夫だから
気をつけて行ってらっしゃい。
楽しんできてね。
元気でね。
お母さんがしてくれたように
ぼくも子たちを養って
みんなを祝福して暮らす。
遠くから見守っていてね。
孫たちに力を添えていてくださいね。
お父さん
ぼくは生きるよ。
お父さんの孫たちを育てるんだ。
身ずから何かを断つとしても
それは新しく生きていくため。
もしも子たちを残して
家を立ち去るとしても
それは短い仕事のあいだしばらくだけさ。
ぼくもまたどうにか
生きのびて子たちを養うよ。
こころざしを保って
きっぱりとこころを決めて
多くの人たちとチカラを添えあう。
ぼくたちを
見守ってくれてありがとう。
いのちを尽くして
育ててくれてありがとう。
みんなを励ましてくれてありがとう。
人生を捧げてくれてありがとう。
ぼくらの日ごとの暮らしのなかに
ふたりの願いは息づいているよ。
これからも子たちと一緒に
話しかけるから よろしくね。
いのちのかみさま
夜明けまえ ひとり目覚める
今日もまた胸がなにかにかりたてられて
切になにかにあこがれている
暮らしのすべてと関わりながら
あめつちのかなたのこととも
どうやらつながりあっているなにか
いのちのかみさまに
いのちがせきたてられている
かすかに胸にこみあげる
いきぐるしさがしずまるように
あてどないこころのうごきを
たしかめてみる
寝床でおどるようにして
いのちのつっかえをとおしてみる
たなこころをんむう根にそえて
いきているこのいのちをたしかめてみる
このいのちはどこからきて
どこへ向かおうとしているのか
たしかめてみる
わがやのくらしを
この世でどこからはじめるにしても
そこにはおたがい歌って踊って
みんなのこころが
それぞれゆたかに かよいあう
いのちのまつりをもとめてしまう
まつるといってもこれまでの
ふるいかたちをなぞるわけにもいかなくて
つもったほこりをぬぐいとり
これまでの とがを みとめながら
またしくじるかもしれない未来へ
めをとじてあたまからとびこみ
ここにいま生きているいのちのながれにそって
あたらしいかたちをうみだしつづける
これがいのちだ
まずは身ずからまわりのいのちと
いのちの立場でまつるチカラを
そだててたくわえつづけるほかない
はだしで土と草をふんで
たまったなみだはときに
ぬぐうことなくあふれさせながら
いまからうみだす ここからはじめる
わがやからこのわが身から はじめていくのだ
こんなにも こんないのちさえ
夜明けまえからせかしかりたてる
いのちのかみさま
どうかわしらのちからのかぎり
まつるくらしのおためしぶりを
おもしろおかしくおたのしみにね
心臓さん
我が身といっしょに生まれてきてから半世紀あまり、
ひと日たりとも、一分たりとも休むことなく、
働き続けてきた心臓さんが、
ちかごろ時々ふっと短いお休みを取るようになった。
どうしたのかと訊ねてみたら心臓さんは、
しわがれた声で こんな話をささやいたんだ。
かつてワクワク・ウキウキしていた頃
他人ごとみたいであまりピンとは来なかったけど
元もとみんなそっくり似通った心臓同士、
近頃なんだか身にしみてわかるようになったんだ。
朝ごと夜ごとに、さみしかったり、こわかったり、
立ち尽くしそうになる相手の気持ち。
大切な人、愛にまつわるいろんなことで
つっかえちゃって苦しんでいる相手の気持ち。
多分こちらは相手に必要なチカラを添えられる。
苦しみをつぶさに身ずから味わって
どんなふうにつらいのか知ったあと
きっとこちらは相手のつらい想いを
包みこむ心臓さんになってあげられる。
もだえてる心臓たちと同じリズムで響き合って、
こっちもついつい怯えちゃったり切なかったり
ふと気まぐれに立ち往生しちゃったりして
感情的にせわしないこんな一個の心臓だけど
お互いにこんなに響きあえるんだから、
ほかの心臓のお役に立てるはずだから
なんだか、この自分、心臓として、
とってもめぐまれているんじゃないかって
ときめいてドキドキしている毎日なんだ。
この広い宇宙のなかで
よろこびを運ぶ心臓になろうって思うんだ。
さらさらな、よろこびにあふれた血液を、
いのちの動脈にめぐらせて
周りの心臓さんたちへ
行きわたらせたりできるはずだよ。
大丈夫、きっとできるよ、
まだ停止してるわけじゃない、
こうして動いていられるんだから。
たなそえる
だれかへチカラを
そえられるのはうれしいね
こころあるはっきりとした
かたちをあらたにうみだして
だれかに にっこりしてもらえる
そんなくらしにひごと
めぐまれていたら
しあわせだよね
あいてのだれかが
なまえのない みなさんじゃなくて
すぐそばにいるひとだったら
なお うれしい
おたがい日ごと
身ぢかにチカラを
そえあえるひとだとしたら
なお うれしいね
ああ このいのちさずかって
ほんとうにめぐまれている
ありがたいなあってきもちになるよ
あなたもわたしも ふたりとも
『梅雨の巻』に続く
🎄 🎄 🎄
朗読している動画はこちら「みたからチャンネル」から。
https://www.youtube.com/channel/UCdt4nStjoaRZntWXOhLtmpQ
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