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No. 6. 太陽に向けてナイフを投げよ(田中秦延「会って、話すこと」)

 漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の単行本59巻「テレビでこんにちは! の巻」というお話をご存じだろうか。同話では主人公の両津勘吉がカメラ付きのテレビと電話回線を利用した“リモート同窓会”を実施する。まさに現代でいう“リモート飲み会”である。同エピソードが掲載されたのは1988年、当時の読者は滑稽な“ネタ”として読んでいただろうがおよそ30年後、そのネタはネタみたいなウイルスによって現実になる。そんな時代においては当たり前がネタになる。たとえば“面と向かって話し合う”ということも一時期は何をしているんだと非難にさらされた。

どうでもいいことを話す

 本書はコロナ渦に執筆された会話に関する知見を述べた一冊である。表紙を見れば分かる通り筆者の主張はかなりユニークなものだ。表紙にはこう書いてある「自分のことはしゃべらない」「相手の事も聞きださない」

「じゃあ何を話せばいいのか」そう考える人は筆者に言わせれば言葉の攻撃性に気が付いていない人と言えるかもしれない。筆者はいう、

ある意味、「どうでもいいことを話す」。これこそが会話をする理由である。p.60

たとえば今日の風景、「曇り空で肌寒かったけど雲の下で寒風になびく桜の葉がきれいだった」こんなことでいいのだ。

言葉は太陽に向けよ

 馬鹿みたいに自分語りをしてはいけないし、相手の話を真剣に聞いてはいけない。

「言葉の世界」に足を踏み入れると、「人は必ず傷つく」p.137 

褒めたつもりでも相手にとっては悪口になってしまうことがある。容姿に関することは特にその傾向が強いというのは持論だ。

人間は、どういうわけだか、自分を一番大切にしてくれる人を、わざわざ一番傷つける仕組みになっている。p. 139

だからこそ、言葉の刃は雄大な太陽や柔らかな日常など“どうでもいいこと”に託すのが一番なのだ。

会話という名の接着剤

 じゃあ、会話なんてわざわざする必要なんてあるのか。絶対にある。Mehrabian(1)はメッセージ全体の印象を100%としたとき言語内容の占める割合は7%、音声と音質の占める割合は38%といういわゆるメラビアンの法則を発表した。つまり会話の価値などそもそも半分以下なのである。大事なのは残りの55%会話の間に生まれる相手の表情やしぐさ、つまり非言語にある。会話はいわば二人をつなぐ接着剤に過ぎないのかもしれない。

 コロナウイルスは様々なものを奪った。そのなかで筆者は会話についてコロナは身体を奪ったと指摘する。Zoomなどリモートでの会話は55%を大きく阻害してしまう。だからこそ大切なのはやはり「会って、話すこと」なのだろう。気づかせてくれたのは皮肉にも、私たちが話すべきどうでもいい風景に浮かぶ太陽、その周囲で輝く大気と同じ名前のウイルスだった。

(1) Mehrabian, Communication without Words , Psychology. Today, Vol.2, No.9, pp.53-55, 1968.


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