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残り131日-イギリスに学ぶひとりぼっちの流儀(145日もあれば無知無知な理系大学生でも共通テスト世界史8割いけるんじゃないか)

ワクチンの副反応に悩まされておりますが今日も世界史の勉強です。

今日はビスマルク体制まで進みました。

休日のあいだ黙々と動画を見た甲斐もあり進度は上々です。

ですが、フランス革命あたりの話したいところをすっ飛ばしてしまう結果になってしまいました。そいつらは問題演習や過去問演習で出てきたときに回すことにします。

今回の授業も大変楽しく視聴しました。特に「19世紀の欧米7ビスマルク体制」における先生のぼっちネタにはには強い共感を覚えました。ぜひ1度見ていただきたいです。11:20くらいから見るとちょうどいいと思います。

というわけで今回は、僕たちぼっちの憧れであるイギリスの外交についてお話ししようとおもいます。

フランス、おまえひとりぼっちな

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プロイセン=フランス戦争(1870-1871)

ときは1870年ころ、フランスドイツの仲はプロイセン=フランス戦争(1870-1871)によってどん底に陥ります。

それだけではありません。このころのヨーロッパはオーストリアロシアがともにバルカン半島を狙い、オーストリアとイタリア未回収のイタリアと呼ばれるオーストリア領域にも関わらずイタリア人が多い地域をめぐり血の気が絶えない状態でした。

そこで当時のドイツ宰相ビスマルクはいろんな国と手を結ぶビスマルク体制を構築します。

まずは、フランスともう一度戦争状態になったときに襲われると面倒になるオーストリア、ロシアと巧みに手を結び、イタリア、オーストリアとは三国同盟(1882)を結びます。

これでドイツの周りにいる敵はフランスだけになりました。

一方フランス側はボッチです、悲しいです。胸が痛いです。

残っているヨーロッパの大国はイギリスなのですが・・・。

光栄ある孤立

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ロンドン万博(1851)

イギリスは手を組みませんでした。

当時のイギリスは世界の工場と呼ばれ強力な経済力を有していました、海軍の力もなかなかのものです。

そのため「俺はひとりでやっていける」と孤高を貫き、孤高のボッチ期間はクリミア戦争後(1856)から日英同盟(1902)年まで約50年間続きます。この期間を光栄ある孤立と呼びます。

かっこいいです。これこそボッチの理想形だと思います。

”ボッチ”この言葉からは”クリぼっち(クリスマスを1人で過ごす人)”に代表されるように負のイメージが強い印象があります。

しかし、それらボッチはいわば受動的ボッチであり、ボッチの発展途上系なのです。受動的ボッチには強い痛みを伴います。僕の高校1年生のときがまさに受動的ボッチの全盛期です(思い出したくない)。しかしめげてはなりません。

そこから一人で悩み、悩み抜き、自分が一人で生きる価値を見だしたとき、そのひとは受動的ボッチから能動的ボッチへと進化するのです。

能動的ボッチとはまさに光栄ある孤立イギリスを指します。経済力と海軍力という誰にも負けない強みを見つかればボッチはむしろ”光栄”と呼ばれるのです。

ですから、ボッチを悲しむ人が見ているか分かりませんが、今は痛みに耐えるときです。光栄あるボッチとなったとき、あなたはきっと誰にも負けない魅力を手に入れているに違いないのです。

孤独のチカラ

斎藤考さんの著書「孤独のチカラ」では孤独こそ成長への通過儀礼だと主張しています。孤独に身を沈めることで「生は限定された時間をどう生きるかという真剣勝負の場であることを意識することができる。(p.152より引用)」ようになり、自分の人生の質を上げようという意識が芽生えるというのです。

孤独は失恋によってももたらされます。フラれ慣れていない人がフラれると想像を絶する傷を負います。しかし、その傷に関しても斎藤孝さんは肯定的にとらえます。

失恋という喪失感は、単純に一日も早く回復すればいいというものではない。むしろ、そのときにしか味わえない甘美な悲しみをとことん味わい尽くす。そのことが人間を深くする。
斎藤孝 著,「孤独のチカラ」,新潮社,p.158より引用

だからこそ僕たちボッチはイギリスを見習い、積極的ボッチへの昇格を目指すのです!

話が長くなってしまいました。

最後に、孤独について杉谷庄吾(人間プラモ)さんの漫画「映画大好きポンポさん」より僕が好きな言葉を引用して今日の記事を締めたいと思います。

幸福は創造の敵

明日も見てくれると嬉しいです。

それでは


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