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中学校除籍 その6 家を出る
結局、私は小学校五年生で転校させられました。
新しい家の資金は、古い家の売却金額と母と祖母の預金で賄ったそうです。
祖父の建てた家が庭付きの比較的大きな家だったので高く売れたようでした。
名古屋でも田舎の新開地で育った私にとって
まるで異世界のような、都会の中のとても古く歴史のある街でした。
「来年の修学旅行までには友達ができればいいな」
くらいに考えていたのに
転校初日からいきなり十人くらいの生徒と仲良しになり、臆病な子供だった私は自分でもびっくりするほどの早さでこの学校に馴染んでいきました。
母は居抜きでスナックを借り商売を始めます。
夜はスナック。土日の昼は喫茶店という営業スタイルでそこそこ流行っていました。
そして中学校に入学します。
ここでもすぐに友達が出来ました。
学校帰りに駄菓子屋のおばちゃんが焼いてくれる一枚八十円のお好み焼きを買い食いしつつ
友達とダベったり、野球をやったり
とにかく毎日走り回っていました。
本当に本当に楽しくて
こんな毎日がずっと続いていくと思っていました。
家庭の中に巨大な亀裂が入り
裂け目が大きく広がっていることなど知らずに。
あれは春が来る直前のこと。
柔らかで暖かな陽光のまぶしさを今でもはっきりと覚えています。
「旅行に行こう」
とまた母が言い出しました。
中学校一年の三学期の終業式の数日前です。
「学校があるから」
正直このときの私は母と旅行に行くよりも友達と遊んでいるほうが楽しかったのです。
「通信簿も貰わなきゃいけないし」
「おばあちゃんが貰ってきてくれるから大丈夫。日本一周旅行に行くから春休みより前に行かないと間に合わないんだ」
と母は言います。
このときに再度
私の頭にものすごく嫌な予感がよぎりました。
それは
「絶対に行ってはいけない」と告げています。
しかし日本一周という言葉に惹かれもしたし
こういった突然の旅行は何度もあったから
大丈夫だろう。
という気持ちもありました。
それが自分で自分の首を絞める結果になろうとは、そのときの私は子供だったのでわからなかったのです。
私はリュックサックにグローブとボールをつめただけで、その日本一周とやらに出かけました。
名古屋駅で待っていたのは知らない男性でした。母をスナックまで毎日送っている専属契約のタクシー運転手だそうです。
いい人でした。少なくともこの時点では。
そこから先に地獄のような日々が待っていようとは夢にも思わず、私は二人と東京行の新幹線に乗ったのです。