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林檎姫
赤い林檎を一口齧る。華やかな蜜の甘い味。
湖に浸した足の先から泡になって消えていく。
ヒトは死んだら何になるのだろう。最近よく考える。
腐って、溶けて、大地に消える。誰かの命の糧となり、また次の命へつながる。ヒトも獣も虫も木も、花も魚も皆同じ。
私だけがひとり違う。
私は一体何なのだろうか。
ザブン。
そのまま、勢いよく湖に飛び込む。
深い深い水の底、沈んだあなたを探しに行くわ。
どうせ見つからないと分かっていながら。
気がついた時、私は私だった。
私以外の何者でもなくて、私は私、独りだった。
他に同じような者もいなくて、本当にただ一人だった。
寂しいと感じたことはなかった。
ただ、独りの夜は時たま、静かすぎたり煩すぎたりしてよく眠れなかった。
それを寂しいと言うのだと、あなたは私に教えてくれた。
あなたは最初、この森で倒れていた。私は、真っ赤な水を溢しながら、地面に倒れるあなたのことを全く気づかないもんで、すっかり踏んづけていた。それでようやっとあなたが倒れていることに気がついた。横になったあなたは、なんだか元気が無いようだから、私は元気の出るおまじないをかけた。
森の獣たちにもよくかけるやつ。すると、あなたは途端に元気になって、それから、静かだったはずの森がとんでもなく煩くなった。
あなたは私を知りたいと言った。
私は知りたいと言うことが分からなかった。
それは好きになることだとあなたは言った。
私はなんだか怖くって、でもなんだかものすごく楽しいことのように思えて、だから私が知ってる限りのことを教えた。
ずっとここにいること、獣以外と話したことがないこと、湖で泳いだり満月の晩に歌うのが好きだと言うこと、この森の外から一度も出たことがないと言うこと、木苺の実が好きだけど、酸っぱいのは嫌いなこと。あなたと喋るのは嫌いじゃないこと。
あなたも、あなたの知る限りあなたのことを教えてくれた。
ここから少し離れた森に住んでること、妹や弟がたくさんいること、家族のためにお金をたくさん稼ぎたいこと、真っ赤な林檎が大好物だと言うこと、私にヒトメボレをしたこと。
好きっていうの、いまだに私はよく分からない。
だけど、あなたがいた毎日が随分昔のうちに終わって、結構な時間が経つと言うのに、毎日のようにあなたのことを思い出すの。
独りの夜は相変わらずに静かすぎて煩いけれど、確か、あなたと出会うまではもっとずっと、穏やかな時間だったように思う。
森の湖畔であなたを待って、待って待って、待ち続けて。一旦諦めて、やっぱり諦めきれずにまた待ってみて、気づいてしまった。
ああ、寂しいのか、私。
そうか、そうか。そうだったのか。
私はどうやら寂しかったみたいだ。
そして、私は、あなたのこと大好きだったみたい。
水面に写る私の顔は、どれほど時が過ぎても変わらない。
いつもひどく退屈でつまらなさそう。
両手の人差し指で持ってぐいっと、無理矢理に唇の端を引き上げてみる。
昔、あなたがよくやってきた。
こっちの方が可愛い顔。
あなたにやってもらった時の方が、うまくできるのに。
あなたの前ならもっと、可愛いのに。
なんて言うんだっけ、ああ、笑顔。
悲しくないのに涙が出る。泣いているのに笑けてくる。
私は一人だ。今は一人。
唇の端っこを無理やり指で押し上げて、今日も下手くそに笑ってみる。
そしたらなんだか、あなたが大丈夫って笑ってくれる。
そんなような、気がしたから。
今日食べた林檎は、まだ全然熟れてなくて、酸っぱいハズレの林檎だった。
私は一人で林檎を食べた。
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