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「近代日本仏教徒の中国進出から、戦後の日中仏教交流へ:研究史とその課題」

『新しい歴史学のために』No.304 に掲載されました、論文の「はじめに」部分をご紹介します。



はじめに

 「日中関係と仏教」と聞けば、多くの読者は古代の遣唐使をイメージするだろう。本稿のタイトルをみて、明確なものをイメージできる読者は少ないと思われる。中には、創価学会が宣伝した日中国交回復への貢献エピソードを知る読者がいるかもしれない。しかし、創価学会と中国の関係は当事者たちが宣伝しているようなものではない。興味のある方は、別枝行夫「戦後日中関係と公明党」(『北東アジア研究』第29号、2018年3月)を参照いただきたい。

 まずは本誌読者のために、近代の日本仏教と中国の関係を概観しておこう。「仏教の教義や学術的な交流」に焦点をあてれば、先行研究に学びつつ、以下のようにまとめることができる。すなわち、前近代は日本の僧侶が中国へ仏教を学びに行き、経典を持ち帰った歴史であり、近代は中国から僧侶や居士[ 在家仏教徒の意味。ただし、中国の「居士」は日本と異なり、妻帯以外は僧侶に近い戒律(特に飲食)を守るため、本稿では中国の居士と日本の在家を区別する。]が「中国で失われた仏教教義や文献」を持ち帰り、「西洋の知識に基づいた仏教学」を学びに日本へやってきた歴史である。

 一方、「日中関係と仏教」に焦点をあてれば、近代は日本仏教が政府や軍、そして民間人(短期滞在・移民含む)の海外進出にともなって、日本列島から活動範囲を拡大した時代である。当時の仏教界では、北海道や沖縄など従来影響力を及ぼせなかった地域や海外への進出を「開教」といい、日常的な「布教」活動とは区別した。

 北米やハワイ「開教」の場合、日本人移民が生活の必要から協力して費用を捻出し、日本から僧侶を呼び寄せた。しかし、東アジアの「開教」は、条約にもとづく開港都市への進出や従軍僧侶としての活動、占領地での宣撫活動等政治との関係が深く、現代の私たちが仏教に抱く「平和」イメージとかけ離れている。

 日本の仏教は、江戸時代にはじまる本末制度によって、各宗派の本山が各地の別院を統括し、さらに別院が地方の末寺を統括した。実際に統括的に機能したのは明治以降といわれるが、大きな宗派ほど官僚的なヒエラルキーを持ち、上層部は所属する寺院をとりまとめた。1872年の太政官布告によって、浄土真宗以外の僧侶も妻帯できるようになり、もともと血縁が重視された浄土真宗は皇室と婚姻関係を結んで華族につらなった。僧籍を有する(もしくは還俗した)政治家が目につくのも、およそ浄土真宗である。

 明治初年、他宗派に先駆けて中国進出を試みたのは浄土真宗の大谷派(東本願寺)であり、日清日露にはじまる対外戦争において、最も多くの従軍僧を派遣したのは浄土真宗の本願寺派(西本願寺)である。また、台湾では曹洞宗や臨済宗が大きな影響力を持ち、朝鮮半島では浄土真宗が先鞭をつけ、曹洞宗やその他の宗派があとを追った。

 仏教のみならず、近代日本の諸宗教と政治および戦争との関わりについては、入手しやすく、かつ先行研究を網羅したものに小川原正道『近代日本の戦争と宗教』(講談社、2010年)、同『日本の戦争と宗教 1899-1945』(同、2014年)がある。*1

 日本仏教の海外進出についての研究は1960年代に始まり、80年代から90年代にかけて盛んとなった。藤井健志「戦前における仏教の東アジア布教」『近代仏教』第6号、1999年)はとくに80年代から90年代の研究について、「日本仏教が日本の軍国主義(または天皇制)と深く結びつき、東アジアで活動した歴史を批判し、戦争責任について反省を促す研究スタイルが多かった」と指摘した。

 海外に進出した僧侶の多くは浄土真宗の僧侶であり、彼らの主な活動地域は東アジアだった。そのことに無自覚な場合、「日本仏教」の海外進出は「戦争協力」に帰結しやすいが、それは全体像を反映しているとはいえない。また、先行研究が主に用いてきた各宗派の出版物は、もともと「政府への協調や貢献を表明するためのメディア」なので、これらを批判なく用いた研究は「政府への追従」を示す証拠にとどまってしまう。藤井は、以上のような固定的な枠組を乗り越えるために、北米やハワイなど日本移民への布教研究や新宗教研究との比較、社会史・政治史の成果を取り入れた研究、そして教団の動きだけでなく僧侶個人の活動についても分析する必要性を指摘した。

 21世紀に入り、日本人仏教徒の海外進出についての研究は大きく進展をみた。書籍に限っても以下のような成果があげられる。守屋友江『アメリカ仏教の誕生――二〇世紀初頭の日系宗教の文化変容』(現代史料出版、2001年)、陳継東『清末仏教の研究――楊文会を中心として』(山喜房佛書林、2003年)、同『小栗栖香頂の清末中国体験――近代日中仏教交流の開端』(同、2016年)、松本郁子『太田覚民と日露交流――ロシアに道を求めた仏教者』(ミネルヴァ書房、2006年)、佐藤哲朗『大アジア思想活劇――仏教が結んだ、もうひとつの近代史』(サンガ、2008年)、小川原正道編『近代日本の仏教者――アジア体験と思想の変容』(慶應義塾大学出版会、2010年)、高本康子『近代日本におけるチベット像の形成と展開』(芙蓉書房出版、2010年)、川邊雄大『東本願寺中国布教の研究』(研文出版、2013年)、坂井田夕起子『誰も知らない『西遊記』――玄奘三蔵の遺骨をめぐる東アジア戦後史』(龍渓書舎、2013年)、柴田幹夫『大谷光瑞の研究――アジア広域における諸活動』(勉誠出版、2014年)、エリック・シッケタンツ『堕落と復興の近代中国仏教――日本仏教との邂逅とその歴史像の構築』(法蔵館、2017年)、吉永進一『神智学と仏教』(法蔵館、2021年)、杉本良男『仏教モダニズムの遺産――アナガーリカ・ダルマパーラとナショナリズム』(風響社、2021年)、村嶋英治『南北仏教の出会い:近代タイにおける日本仏教者, 1888-1945』(早稲田大学アジア太平洋研究センター、2023年)。

 同時に、戦前の日本仏教各宗派の資料の編纂復刻が進められ*2、宗派の資料だけでなく、政府の公文書を用いた研究もみられるようになった*3。かつて、資料調査すら困難だった中国においても多くの仏教資料が復刻され*4、海外にも広く資料収集を行うプロジェクトが進められつつある*5。今後は他分野の成果を取り入れ、海外の研究や資料を利用しつつ*6、先行研究を批判的に深化させることが課題となる。具体的には日本「一国史」的な枠組を越え、第二次世界大戦の終結で分析を終えることなく、今日にいたるまでの仏教と政治(戦争含む)の研究へつなげることが重要だと考える。

 以上のような問題関心のもと、本稿はまず近代日本の仏教徒による中国進出について、先行研究にもとづいた紹介をおこなう。さらに、従来の研究が対象としてこなかった戦後日中の仏教「交流」までを視野にいれることにより、先行研究の問題点を浮かび上がらせたい。

1.日本仏教の中国進出
2.日本の外交と僧侶の活動
 (1)厦門事件と大谷派僧侶
 (2)日中仏教徒の交流と「廟産興学」運動
 (3)台湾総督と大谷派僧侶
 (4)水野梅暁と外務省
3.「公的」な仏教交流のはじまり
4.戦時の日華「親善」と仏教
5.戦後の日中仏教交流から、近代日本の東アジア布教研究へ
 (1)日本人僧侶たちの社会運動と中国の「民間」外交
 (2)文化大革命から日中国交正常化へ
おわりに

*1鵜飼秀徳『仏教の大東亜戦争』(文春新書、2022年)は先行研究の整理部分に事実誤認が散見されるため、小川原等の著作とあわせて読むことを勧めたい。
*2『仏教植民地布教史資料集成』(満州・諸地域編:全8巻、不二出版)2016-17年。同(台湾編:全6巻)2016年。同(朝鮮編:全7巻)2013年。『資料集・戦時下「日本仏教」の国際交流』第Ⅰ-Ⅴ期、不二出版、2016-19年。『アジアにおける日本の軍・学校・宗教関係資料』(第4期:日本佛教団〈含基督教〉の宣撫工作と大陸――日本語学校、全4巻、龍渓書舎)2018年。同(第5期:宗教調査資料、全7巻、龍渓書舎)2014年等。編者略。
*3 新野和暢『皇道仏教という思想――15年戦争期の大陸布教と国家』社会評論社、2015年。大澤広嗣『戦時下の日本仏教と南方地域』法蔵館、2015年等。
*4 代表的な成果に黄夏年主編『民国仏教期刊文献集成』・同『補編』・同『三編』・同『稀見民国仏教文献匯編』(全て中国書店:北京)2006-13年。日本の大学図書館や寺院に残る中国語の仏教雑誌を調査した坂井田夕起子「「支那通」僧侶・藤井草宣が収集した中国の仏教雑誌が意味するもの――日本の研究機関が所蔵する仏教資料との比較から」(『中国研究月報』第70巻第11号、2016年11月)、同「藤井静宣(草宣)の活動と彼の収集した中国仏教雑誌・新聞について」(三好章監修『真宗大谷派浄圓寺所蔵藤井静宣関連資料』あるむ、2018年3月)。
*5 例えば、坂井田夕起子「第二回「太虚と近代中国」国際学術シンポジウム参加記」『近代仏教』第27号、2020年5月参照。
*6 中国における研究動向については陳継東「中国における日本仏教の中国布教研究の現状と問題点――木場明志の研究を通して」(『近代仏教』第21号、2014年8月)。


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