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法的に診てみた近現代の日本

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記事一覧

国民党・共産党 of China【中編:北伐と国共の離合集散】

ロシアからの波紋【前編】について  日本との関わりのなかで,革命家が育ち,やがて清朝が倒…

国民党・共産党 of China 【前編:辛亥革命を育んだ明治日本】

明治日本と清国の関係国清国交樹立  日本と”中国”が初めて正式な国交を結ぶのは,150年…

Silent Majorityの実声

第一声はニクソン大統領  「Silent Majority」というフレーズを最初に使ったのは,1969…

伊藤博文公暗殺事件の裁判管轄

この事件の「裁判管轄」がテーマ 明治42(1909)年10月26日は,伊藤博文が暗殺され…

昭和2年 田中義一・蒋介石”首脳”会談

革命いまだ成らず前後の時系列 1912(明治45)年1月1日 中華民国の成立 1912年…

”賊軍”が矢面に始まった日台関係

日本と台湾温帯と熱帯が同居する島  台湾の中心を横切る北回帰線,その北が「温帯」,南が「…

西沙諸島(Hoàng Sa)にあった日越の共棲

西沙諸島の価値ベトナム語でHoàng Sa(ホアンサ/黄沙)  西沙諸島。  英語で「Paracel Irands」,ベトナムでは「Hoàng Sa(ホアンサ/黄沙)」と呼ばれている。  その島々自体に価値は低く,1930年頃までは,いずれの国も実効支配することはなく,フランス(ベトナム)と中華民国が領有権を潜在的に主張していた程度で,国家間で問題・紛争が生じるほどの接触すらなかったと言っていい。 「航行の自由」の要  アメリカのバイデン政権は,令和3年2月5日,政権下

南沙諸島(Trường Sa) 日本の元最西端

南シナ海と南沙諸島 「新南群島」と呼んだ日本  南シナ海(South China Sea,ベトナムでは「…

八重桜な主権回復

風さゆる み冬は過ぎて  まちにまちし 八重桜咲く  春となりけり  昭和26(1951)…

”中国”大使館二つの血統 「飯倉町」系

日中150年間にあった二つの血統日”中”国交樹立150周年  令和4(2022)年は,中…

明治日本が獲得した租界と治外法権

”租界”という響き9都市にあった日本租界  「租界」という東洋的妖艶な響きに,当の日本人…

関東大震災下の”戒厳”が産んだ治安維持法

大震災と時の首相 平成23(2011)年3月11日に発生した東日本大震災,時の内閣総理大…